地球のステージスタッフによる日誌です。その日の公演の様子や、なにげない毎日の様子をお伝えしていきます。
みなさんどんどんコメントをお寄せください。ステージに関すること、広く伝えたいことなど書き込んで、つながりの輪を広げていきましょう。

山形でのステージは涙をこらえるのが大変

2017.06.11 Sunday

昨日は久しぶりの山形でのステージでした。

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 県立霞城学園高等学校は地球のステージが始まった年の1996年4月に開校した通信、定時制の高等学校でした。駅西口の巨大なビルで始まったその高校のことは良く覚えています。それから20年。いろんな事情を抱えた山形の高校生たちに様々な夢とチャンスを与え続けてきたと思います。その20周年行事で呼んでいただきました。

 別の学校とはいえ、同じ山形の高校を卒業した次男、亜久里くんはこの春にデッサン1枚で東北芸術工科大学に入学し、映像学科に在籍しています。2ヶ月ぶりくらいで会う亜久里くんはちゃんと大学生の姿になっており、大学を案内してくれました。夕方からはホテルのサーバントのバイトがあるからという彼は、一人の自立しようとしている若者になろうとしていました。

 そしてステージ。

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 目の前には多くの山形の高校生。何度も感極まりながら、この山形の高校生たちに希望の未来と良きチャンスがあればと願い続けながら歌っていました。

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 山形を離れ宮城に転居し、そこも離れて神奈川県に住む今、ひたすら山形が愛おしい。見るもの全てが懐かしくまた愛おしい。医学生時代に通った大学病院の近くのイタリアン「ロカーレ」のスパゲッティの多いことも全く変わりありませんでした。これ4人分?と思うくらいの量は今もそのままでした。

 道に生える雑草さえも愛おしく、山形で暮らした28年が蘇ります。

 第二の故郷のように思う山形がこんなに愛おしいと言うことは、今苦労しているのだと思う。一つのことが解決するとまた一つの問題が繰り返し襲ってくる。市民活動をやっていればそんなことはあまり前なのかも知れないけれど、それにしても日々の大変さが迫っているんでしょうね。やたらと故郷が懐かしく愛おしい。

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 それでも次男がこの山形の大学に進み、山形で学んでいることが喜びです。

 

 今米子空港に着きました。

 今日は出雲でのステージ。多くの仲間がいる島根県ですが、今日はみんなそれぞれの日曜日。時間に余裕があるのでレアな出雲を探求してみようかと思っています。

 夜遅くには海老名に戻っています。

 

桑山紀彦

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宮城県への陳情

2017.06.09 Friday

今日、宮城県に陳情に行きました。

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 館長の小齋さん、遺族会の丹野さん、番人の皆さん、閖上あみーずの皆さん、うちの事務局からは絵莉香さん、高城さん、そして海老名から駆けつけた明ちゃん…。

 みんなで気持ちを一つにして、県議会議長に嘆願書を手渡しました。

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 小齋館長と丹野さんが必死に訴えること、それは

「助成が落ちた。これではやっていけない。だから助成を再検討してほしい。」

 と言うことではなく、

「今や”閖上の記憶”は大切な語るための場所、集うための場所である。それを今の時点でなくすことは、未だ語れていない多くの被害を受けた人たちの復活の機会を奪うものである。だから宮城県としてもこの”閖上の記憶”の存在そのものを認知し、適切な支援をしてほしい。」

 ということです。

 

 それでも今朝、復興第2班の芳賀さんからは、

「部内で検討しましたが、決定は変わりません。」

 という答え。まあ期待はしていませんでしたが、それが現実です。

 前任者の大江さん(現在塩竃保健所勤務)との口約束、

「後半の3年間は毎年100万円ずつ減らしていきますので、3年後にはしっかりと自立してください。」

 という指摘を受け止め、そのロードマップでやってきたものが、1年が過ぎた時点で突然こんな事態に…。

 しかし繰り返しますが、これは「突然ではあるけれど、自立の時は来ている」というお告げのようなものだと理解していきたい。それは、小齋館長も、丹野さんも番人さんも、事務局のみんなも同じ思いです。

 高潔で崇高な精神に立ち戻れば、これを絶好の「自立のための機会」ととらえてできることをさらに見つけていく、その時期に来たということですね。

 

 桑山は昨日、さっそく海老名市役所に出向き、海老名でも有数の大企業を紹介していただけないか、相談に行きました。RICOH、XEROX、メグミルク、コカコーラ…。様々な大企業が拠点を置いている海老名市です。どこかとつながれる可能性を模索し始めました。

 こんな動きをするようになったのも、今回の突然の助成中止の「おかげ」ととらえよう。そんな団体としての気持ちのまとまりが、最高の財産だと思います。

 

 何をやっても揶揄する人間はいると思いますが、こうして気持ち一つに嘆願書を持って、県庁に出向く多くの仲間がいることが最高の財産です。お金には換算できない価値あるものを得ているという点において、私たちは助成は失ったけれど、別の大きなものを得ていると感じています。

 

 どういう形でお願いすることになるかはわかりませんが、皆様のお力をお貸し下さい!

 

桑山紀彦

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開き直っていこう!

2017.06.07 Wednesday

昨日は霞ヶ関参りでした。

 午前中は霞ヶ関ではありませんが、イスラエル大使館に出向き、外務省の菅野さんと共に、現在のイスラエルにおける滞在許可についての折衝でした。相手は永いお付き合いのイスラエル・ストロロヴさん。僕たちはパレスチナを支援しているけれど、もちろんイスラエルの人々と仲がいい。この感覚は大切にしていきたいと思っています。

 「地球のステージ」の熱意が、イスラエルという国に伝わるようにと踏ん張っていました。

 

 そして午後からは復興庁。

 今回県からの助成金が全て落ちて唖然としていますが、いつまでも呆然としていても仕方ありません。まずは行動あるのみ。霞ヶ関の復興庁に直談判に出かけました。

 復興庁の被災者担当の長岡さん、宗片さんは実に丁寧に僕の話を聞いてくださり、可能性のある支援の道をいくつか示してくださいました。もちろんそれで助成が決まるわけではないけれど、こうして中央官庁の方に、自分たちの活動が直接説明できて嬉しかったですね。

 お二人ともこれまでの5年を大変高く評価してくださいました。

 これから一生懸命申請書を書いてなんとか助成金を得ようと決意を新たにしました。

 

 そして丹野さん。

「県に陳情には行くけれど、それは助成金が落ちたぞ!金よこせ!という陳状をするべきではない。自分たちがこんな活動を行い、多くの人がそれを認めてくれているんだ。私たちには集う場所が必要なんだ、ということを訴えに行くべきだ。」

 まさにその通り。

 約束を違えて800万円を落としてきた県の対応ではありますが、それに拳を上げるのではなく

「これは”自立してやっていきなさい”というメッセージとして捉えたい」

 ということです。

 もちろん僕も冷静になればそう思っていましたが、一番「閖上の記憶」を大切に思っている丹野さんがそう言うのです。

 この思考、このバランスがある限り、私たちはきっとやっていけると思う。

 

 まずは陳情。そして復興庁への申請。出費の抑制のための方策。収入の増加のための方策。これに取り組む絶好の機会であろうと。それが2年早く、予告もなく来たことはショックだったけれど、元々県も「あと2年で終わります」と言っていたのだから、それが突然落ちても何れ来るものが早く来ただけ、と考えれば何も迷うことはないのでしょう。

 

 これから僕たちは今回の出来事を前向きに捉え、

「自立運営を可能にするための絶好の機会!」

 と捉えて、助成を突然落とした宮城県に逆に感謝するほどの気持ちで取り組んでいこうと話し合いました。

 こんなにみんなの気持ちが一つになれたことはなかったし、僕も復興庁に行く機会を得て復興庁の人々がどんな施策を持って、どんな期待をしているのかもよくわかったし…。

 そう考えれば、きっと道は開けていくと信じています。

 800万円がスポンとなくなったけれど、それを上回る程の資金を得られるように頑張っていきたいと思います。

 皆さん、是非応援を!

桑山紀彦

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「閖上の記憶」存亡の危機

2017.06.05 Monday

閖上の記憶、存亡の危機

 

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一昨日総会の翌日に全国会員の皆様によって頂き、小齋館長、丹野さんの心に響く語りを聴いていただいたあと、被災地閖上を強く感じていただけたその「閖上の記憶」が突然存亡の危機にさらされてしまいました。

 

 宮城県からの助成が突然打ち切られることになりました。

 2013年から3年間、助成を受けてきた私たちは、4年目の昨年2016年、担当の方に、

「おそらくあと3年は助成の可能性があると思います。でもやはり”自立”を目指していただかなくてはならないので、年間100万円ずつ減額していきますが、しっかりとこの3年間で自立して下さい。」

 と助言を受け、昨年度は900万円の助成を受けました。そして予定通り今年は800万円の申請を出したのですが、それが「採用不可」となったのです。

 担当者が変わり、前述の引き継ぎはなかったとのことです。

 

 もちろん、私たちは県の助成金頼みにしてきたつもりはありません。

 何れは自立していかなければならないので、この「口約束」ではあるけれど、向こう3年間100万円づつ減額して終了というロードマップを信じ、県と協調関係でやってきたのです。

 それが担当者が変わり「今年は応募多数に付き不採用」という紙切れ一枚の通達で打ち切りです。

 さっそく新しくなった宮城県復興支援第二班、担当の佐藤さんとその上司、芳賀さんに電話をしました。

「一応話し合ってはみますが、もう決まったことなので。」

 とつれない状況です。

 このままでは「閖上の記憶」は8月末までしか持ちません。

 私たちは芳賀さんの答えは待ちますが、

「やっぱり無理です」となった場合は県知事に直接陳情に向かうつもりです。私たちのように長くやっている団体は多くが落とされ、新しく始めた団体を多く採用したようですが、「古株」とはいえ、共に自立までのロードマップについて「あと3年、年間100万円ずつ減額で自立」という話し合いをしてきたことが、その2年目で、あと2年を残して突然「打ち切り」という状況を打破していかなければなりません。

 

 小齋館長、丹野さん、武田絵莉香、そして番人や遺族会の皆さんが一緒に県知事を訪ね、それを少しでも多くのマスコミの皆さんが取り上げて下さったら、きっと流れが変わることを信じて進みます。

 

桑山紀彦

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年次総会の終わり

2017.06.04 Sunday

総会二日目が終わりました。

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 二日目は「閖上の記憶」を舞台に館長、小齋さんの案内ガイドと語り部、丹野さんの時間でした。

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 何度聞いても心動かされる語り。それはホンモノだからだと思います。みんなが、

「何て内容の濃い総会なんだ〜!」と感嘆してくださっていました。

 来年は海老名での総会なので、プレッシャーです。

 

 お昼はみんなで海が目の前のメイプル館で食べました。多くの人で賑わっていましたが、出てくる食事も速いもの、遅いものとりどりでそれもまた閖上の醍醐味でした。

 みんな納得されたようで笑顔の中にそれぞれの故郷へ戻って行かれました。

 

 海老名チームは帰り道をフル常磐道で選び、福島第一原発のすぐ横を通って帰りました。かつて高速道路沿いでも6〜8マイクロシーベルトあった線量が今回は最大でも3,2マイクロシーベルトになっていたのが印象的でした。

 南相馬も田んぼに水が入っている範囲が格段に拡がっていたことも、一つの「変化」でした。でも福島の問題はこれからも見守っていかなければなりません。

 

 来年の総会にも是非皆さんおいで下さい!

 

桑山 紀彦

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