ついにこの日が巡ってきました。
3年目の3月11日。もうあの日から3回目の津波の日が来ました。
最初から丹野さん、閖上中学校遺族会の皆さんと一緒に活動してきました。1年目は慰霊碑の建立。2年目は鳩風船にメッセージを書き、空にいる家族に伝えようというもの。そして3年目は鳩の風船メッセージと共に、海に家族への手紙を流そうとなりました。
今日も穏やかな晴れに恵まれました。
これは確実に天にいる家族がちゃんと「そうしてくれている」のだと信じています。そんな「奇跡」が実際に起きるんです。
今日の鳩風船に丹野さんは
「今何をしていますか?」
「母の涙が邪魔になっていないか心配です。」
と書かれました。
本当の本音。親として母としての心の内だと思います。
でも、確実に1年1年丹野さんの心は大きくなっていらっしゃると思う。もちろんそれで心の痛みや寂しさが減るわけではありません。
でも、それとは別のところで前に向いていく力が身についていらっしゃると思います。
ご遺族の皆さんが多くの哀しみを抱えながら、それでも今日この日に集い、我が子への想いを向けることができたことは幸せだと思いました。
今年は概算で400人の参列の皆さんが集いました。
昨年から比べると、100人が増えました。つまり今年は人数「減」ではなく「増」なのです。すごいことですよね。
ちゃんとみんな忘れないできてくれています。
皆さんついに4年目に入ります。
この1年のテーマは、
「津波のことは忘れてもいい、でも津波で学んだことは忘れない。」
「それは、いのちの大切さと、人のがんばりのすばらしさ。」
是非、これからも応援してください。
桑山紀彦
今日は一日中TVでニュースを見ていました。
まだまだ深い傷で気持ちが前にいけない方がたくさんいることに心配な気分になっています。
改めて桑山さんのやられていることが間違いなく多くの人を救っていると実感しました。
もっともっと拡がってほしいものです。
閖上に伺えなかったので、こちらで黙祷し思いを寄せました。
多くの方が集ってくださって良かったです。
被災地からの発信を4年目もよろしくお願いします。
朝はどうなるかと心配したお天気でしたが、青空になりましたね。仙台から、閖上につながっている空を眺めていました。
時間を巻き戻すことはできないけれど、今を一生懸命生きることで、新しい時間を歩んでいきたいと思います。
先生の活動、応援しています。一人でも多くの笑顔が生まれますように。
丹野さんたちの 思いは、風船に乗って天に届いたでしょうね。
まだ見つからない人もたくさんいます。
元通りなんて無理でも 前に向いて進めるもっともっと大きな援助ができないんだろうかと 感じた一日でした。
みなさんに 幸あれ!
なかなか被災地に足を運べなかったものですから慰霊祭に出席させていただきました。
鳩風船にメッセージを書き込む時、何人かの女の子達の隣になりました。
当時中学一年生で、ゆりあげ中学に通っていたそうです・・・
御遺族の方々が語っていた「ゆりあげ中学を遺構に残すのはどうか」とゆう提案、被災した方々や我々にぜひ必要だと感じました。
偶然、海のすぐ裏の鈴木英二さんの半分がれきになった家の近くで車の中で寝ましたが、だだっぴろい平原でぽつんと一軒だけあるのはインパクトがありました。