今日は茅ヶ崎の中学校でした。
あのサザンオールスターズの桑田佳祐さんの出身校です。
3年生まで600人を超える皆さんが体育館に集まり、静寂と明るい笑いの中、ステージはすぎていきました。
先週の土曜日の毎日新聞の全国版に丹野さんが一面ど真ん中に載りました。
その笑顔の写真とともに、
「思い出せない声」
の言葉が胸に刺さりました。丹野さんは昨年初頭から、それを気にしていらっしゃいました。
津波が恐ろしいのは、ビデオカメラも何もかも持っていってしまうことです。だから、公太君の肉声が残っていません。どんなに踏ん張っても人間の記憶は薄れていきます。それは反復しないと記憶のシナプスは途切れてしまうからです。人間は何度も何度も反復することで「記憶」の綱を得ることができる。反復しなければやがてそれは切れてしまいます。次々に新しいことを覚えなければならないから、でもあります。だからこの現象は丹野さんのせいではなく、声が思い出せなくなるのは、人間の生理だと思います。
それでも切なく、辛いものだと思うのです。
だから、今日はそれを伝えました。
映画「ふしぎな石」の丹野さんの「命のシーン」の後。
「みんな、死ぬなよ。」
恐ろしいほどの静寂でした。
こうして丹野さんの存在が、全国に伝わっていく。そして、
「津波のことは忘れても、津波で学んだことは忘れない。」
に則って、まずは、
「子どもが自殺するなんて絶対にだめ。」
を伝えていきます。
「地球のステージ」の役割として、それは丹野さんから受け取ったメッセージですから。
本当は丹野さんがこの場に来られれば一番いいけれど、そうもいっていられないとしたら、まずは「地球のステージ」が伝えていきます。
「死ぬなよ。どんな辛いことがあっても。」
せっかくもらった命です。地を這ってでも、血反吐吐いてでも、生きていくべきだと思う。
桑山紀彦
丹野さんの笑顔が素敵で友だちの家で毎日新聞見たけれど、載っていなくて 今、ネットで見ました。
文章読んで涙しています。
今年の慰霊祭には、行けそうにありません。ごめんなさい。
何か送ります。
なかなか大変でしょうが、元気出して、踏んばってください。
思い出せない声。
胸がつまります、涙がでますね。
丹野さんは、いまここに、ここをいきてらっしゃるんだ!
そのことの証のようなお言葉に身をつきさすようなすごみを感じてなりません。
現実に向き合い生きている姿がたくましくもあり、切なく辛さも感じる側面もあり。
地球のステージ、桑山さんの想いである「津波のことは忘れても津波から学んだこと」は、しっかり手につかんで次の世代につないでいきたいです。
そんな日本人の一人としていきていくことを今日ここで選んで決意します。東北に想いを向けて、傍観者ではなく自分ごとで!桑山さん、そして地球のステージのみなさまいつも本当に
ありがとうございます!
磐梯熱海での講演会ありがとうございました。それまでは何も分かりませんでした。死にたくなくても病気や天災で亡くなったり、死にたくて何回も自殺行為をする人がいたりと、不思議な世界ですね。私も死にたくて何回も何回も色々やりました。夢を失ったから…今は、子供を1人で育てているから自分を殺して生きてる毎日。以前は青年海外協力に興味があり、先生の講演を聞き、若い頃の自分に戻りました。ありがとうございます。また機会があれば色々と話や写真を見たいと思いました。
昨日の新聞には10年前にお嬢さんが手紙を10年間保管して届けるサービスを利用して出された手紙が届いたと掲載されていました。なかなか直接伝えられない想いがしたためられたお手紙に、ご両親は、頑張って生きていこうと誓われたそうです。
茅ヶ崎第一中学校の先生方がステージの最中、うたた寝した生徒さんの肩をポンポンとたたかれる姿に胸がほっこりしました。
命の大切さ・愛おしさにジーンと来ています。
きな臭いニュースや嫌な事件が続き命が軽く扱われる世の中が気になります。
「声が思い出せない」のはショックが大きくて一時的に記憶が戻らないだけなんじゃないかな、と思いたいです。きっといつか丹野さんの耳に蘇ることを信じています。こんなに辛いことを話してくださる丹野さん。感謝の気持ちでいっぱいです。今与えられている命を大切に生きて行きたいと思います。
津波はひどい・・・
家や想い出、地域までも奪ってしまう。
それでも生きていれば、新しい想い出をつくることもできるのに、一番大切な命まで奪っていく。
茅ヶ崎まで来ていただきありがとうございました。「みんな、死ぬなよ。」のメッセージ。静かなメッセージ。子供たちの中にも、私たち親の中にも深く残りました。