今日は福島県いわき市で「福島県高等学校PTA連絡協議会総会」がありました。
根本紀太郎さん始め、実行委員会の皆様が呼んでくださいました。これで、また福島県の高等学校のステージが増えると良いなあ、と思っています。
実は今から4年前、根本紀太郎さんが「福島県小中学校PTA連絡協議会総会」で呼んでくださったのをきっかけに、ものすごい勢いで福島県の小中学校のステージが増えていき、2010年は福島県が全国で2番目に多い県になっていったのです。その中に、葛尾中学校がありました。
2009年に1番、2010年に2番と続き、そのあまりに素直ですばらしい聴く姿勢の中学生に毎回感動して帰ってきたことを思い出します。
そして2011年3月11日、葛尾村は「全村避難」になってしまいました。
原発から20キロ以内に村の北部が入ってしまったのです。
もちろん2011年9月には葛尾中学校のステージ3番の予約が入っていました。しかし教育委員会の先生が涙声で言いました。
「今の時点でステージを開いてしまうと、バラバラになってしまった子どもたちの中で公演を見る事のできない子どもたちがたくさん出てしまいます。必ず、みんなが集まったときにステージ3番を開きます。」
僕たちはその日を今も待ち続けています。
そして今日、原発事故以来初めて葛尾村に入りました。至る所に除染ででた黒い廃棄バックが積み上げられていて、異様な光景です。
葛尾中学校に近づくと、下草がすべて刈られて除染されたところが出てきました。いわゆるホットスポット(高濃度汚染ポイント)です。
そして2分で葛尾中学校に着きました。
もう誰もここに通っていません。涙が止まりません。悔しさと哀しさと切なさが入り交じった、大変な思いがこみ上げてきます。隣で茨城から駆けつけてくれた長谷川さつきさんも泣いています。
「あんなに素直でいい子どもたちだったのに、なんてことだ・・・。」
これが全村避難ということです。
もちろん今は帰ることができる地域も広がり、ゆっくりと人は戻ってきています。でも、中学生を持つ親たちはとても戻れないと、避難を続けています。だから学校は復活しないのです。
原発の方向に近づいていきました。
見えてきたのは葛尾村の夏湯の集落です。「夏湯」どんな想いで先人たちはこの地名を付けたのでしょうか。自然が拡がる豊かな地域なのです。でももう誰もいません。無人となった家を荒らす無法者の対策のために防犯カメラが設置されています。
津波の被害を受けた私たちは、その復興の遅さにイライラするときもあります。でもここは原発事故による汚染地域。その問題の内容が全く異なります。一体いつこの問題が解決するのか、葛尾中学校のステージはいつ開催できるのか、途方に暮れてしまいました。
私たちは忘れてならない。原発問題は「今の問題」として、ずっと続いているからです。
桑山紀彦
人の気配さえない学校の写真…心が苦しくなります。
我が県の高等学校PTA連合会事務局に秋の出雲公演を案内しておきたいと思います。今の事務局長、熱い心を持った方なので、一度見てもらえれば、なんとかなりそうなんだけどなぁ…。
葛尾村の現状、本当に悲しくなりますね。
いつになったら安心して帰村できるのでしょうか?
これは一地域の問題ではなく、日本全体の問題ですよね。
関心を持ち続けなければ、と改めて思いました。
小松左京のあの大作「日本沈没」ですら、原発被害への記述はたった2行しかありません。これから効果的な除染技術が開発されることを前提として完了まで40年という無責任な試算、東電への賠償請求の時効の問題などなど、一体この国は「国」の体を成しているのでしょうか?暗澹たる気持ちです。
廃棄バック、ホットスポット、無人の校舎。
新聞では感じられないリアルな写真から、改めて原発事故の傷の果てしない深さ怖さを感じました。
一人一人に何が出来るのでしょうか?何をしたらよいのでしょうか?
絶対に忘れない。忘れてはならない。
今 自分の住む町が この様な状況になってしまったら どう思うか。
考えました。
先祖が愛してきた自然も 築いてきた歴史も みんなを傷つけてしまうのに…。
また 動かしていいの?輸出しても大丈夫なの?
この世の中の
「仕方ないんだ。」とする現実が悲しいです。
今日は胸にずっしり落ちました。
2010年9月17日、葛尾中のステージに初めてお邪魔しました。
体育館のすぐわきに車を停め、3日前の松戸のステージで、あきちゃんから預かったプロジェクターを、音響の中井川さんとセットしたりして、いつものようにステージの準備をしました。
常磐道を北上して、今では災害通行止めになっている富岡ICで降り、一般道で葛尾まで向かいました。
坂道を延々と上りながら、帰りは下りだから、桑山さんは、ここでかなりスピード出すだろうな・・などと想像しながら、葛尾中へ行ったのを覚えています。
その道中の木々の美しいことと言ったら・・・!
新緑の頃、また来るぞ!!と思いながら走りました。
その半年後に震災が起き、やっと昨日、新緑は見ることができましたが、「除染」も見ました。
怒りと悲しみで見た、美しい新緑は初めてでした。
NHK大河ドラマ「八重の桜」、初めは原発事故被災地・福島県が舞台だからということで観てました。しかし、観ているうちに福島県、会津というところの魅力に取りつかれてしまった私がいることに気づきました。夏目漱石の名作「坊っちゃん」にも「会津っぽ」という表現で出てきますしね。広島、長崎、そして福島という人為的核汚染に3度も見まわれた唯一の国、日本国がこれから何をしなければならないか、この国の憲法学者の末席を汚す私が余命を何に燃やすべきか、答えはおのずから出てきたように思います。
コメントをとても久しぶりに書きます。「忘れてはいけないこと」が心に響きます。きょう「災害特別編」伺います。お待ちしています。
昨日は久しぶりに埼玉でのステージ「災害特別編」に家族で行かせていただきました。
昨夜寝る時に、息子がぽつり・・・
「ジャワ島では震災から2年後にはあんなにちゃんと学校が出来上がっているのに、何で日本は2年以上経っても全然復興しないんだろう。
何かがおかしくない?」
子供の視点はするどいです!
世界中から集まった善意の寄付はどこにいったの?
豊かなはずの日本でなぜ復興が進まないの?
なぜ、いまだに仮設住宅や避難所で暮らさなければならない人がいるの?
やっぱり何かがおかしいと、叫びたいような気持ちでいっぱいです!!
経済政策ばかりが争点になっているような感のある選挙前。
誰かが言った「原発はトイレのないマンションをつくるようなもの」
けれども、日本は原発を海外に輸出しようとしている。
自国の原発事故を、まだ、どうすることもできないでいるのに。
人間として許せるものなのかと、自分の国が恥ずかしくなる。
震災があっても、
忘れるだけで何も変わらないのでは、虚しすぎます。
この国は、どうしたら変われるんだろう・・・
今日は11日です。3年目に入っても一向に進まない問題の数々。
毎日NHKTVで「花は咲く」の合唱が流れています。
ある福島の方は毎日聞かされると虚しくなると言っていたそうです。
3年目の今だから必要なことは何なのか、もう一度真剣に考えなければ、
と思っています。