今日は「閖上の記憶」で朗読会でした。
桑山が書き下ろした脚本「星に昇った少年」を、東京在住の中尾幸世さんとアイリッシュハープの守安さんに「朗読会」として読んで頂きました。
この脚本は、11月以降に開始される「スカイルーム」の演劇ワークショップの基本となる台本です。それを今回は「朗読会」という形でお披露目になりました。
「閖上の記憶」には、30人を超えるスカイルームの親子と実に5社になるマスコミの方が詰めかけてくださり良い雰囲気の中朗読が始まりました。お話しは、津波に襲われて行方不明になった少年が「おばけ」として現れるのですが、4人の小学生がそのこと出逢い、会話をすすめていく中でおばけ自身が自分が誰であったかの記憶を取り戻していく物語です。4人の小学生はそれぞれに苦しかった体験を語り、そしてついにおばけも自分が誰であったかをはっきりと想い出し、お母さんはその子の遺体を見つけ、天に昇っていくという筋書きです。
とてもシビアな内容ですが、おばけとして登場する海斗君は亡くなる瞬間を、
「全然苦しくなかった。す~っと気持ちが楽になって眠るようだった。」
と語ります。これは医学的にもそうだし、幾多のご遺族に尋ねられた時にずっと応えてきた桑山の所見です。でもそれを「脚本」というものの中であっても、ちゃんと語ってほしい。それがこの脚本を書いた一番の動機です。もちろん原題の「閖上のおばけ」は、遺族会会長の丹野さんが教えてくれた母親としての気持ち、
「おばけであっても我が子に逢いたい」
という気持ちに添いたくて書き下ろしたものです。
終わった時、遺族会副会長で奥さまと2人の愛娘さんを亡くした櫻井さんがおっしゃいました。
「海斗君が、”死ぬときは全然苦しくなかった“と行ってくれて、本当に胸がす~っとした。」
ヒヤヒヤどきどきの朗読会でしたが、やってよかったと思いました。
それでも「スカイルームの」小学生が言います。
「だって、作り話でしょ~。」
それに対して僕たちは伝えてきました。
「もちろん作り話だ。でも、僕たちは天国に昇っていった人たちの本当の言葉を聞くことができないんだ。だから、そこを想像していくことが大切なんだよ。
生きている僕たちは、想いを“言葉”で伝えることができる。でも、急に命をうばわれた人たちは伝えたくても伝えられなかったことがあるんだ。それを想像して作り話にして、みんなで代わりに語ってあげることが大切なんだよ。
でなきゃ、生きている人の言葉ばっかり語られて、亡くなった人の本当の言葉が聞けないじゃないか。亡くなった人の身になって言葉を想像しながら語ることが、今一番大切なことなんだよ。」
まだ、子どもたちの中にはその意味がわからない人もいるでしょう。でも、いつかこの「演ずる」ことの意味が伝わる日がくると信じています。
「生き残った人のばっかり焦点が当たって、亡くなった人がどんどん忘れ去られていく。」
その哀しみを苦しみを丹野さんは伝えてきました。僕はそんな丹野さんの代わりになって「脚本」を書いたようなものです。
実は朗読を担当してくださった中尾幸世さんは、1980年のNHKドラマ「四季・ユートピアノ」の主演女優さんです。17歳だった僕はそのあまりの映像美に打たれて、それ以来「映像」の仕事に携わりたいと思うようになったきっかけの作品でもあります。
ドラマの中で出てきたたった2秒の「はまなか」という北海道の駅名を覚えていて、その後の自転車日本一周のとき、「浜中」の駅を探し出し、駅長さんに「ユートピアノ」のロケ地を尋ね、中尾さんが演じた「榮子さん」のおじいちゃんおばあちゃん役を演じた古澤さんご夫妻を探し当てました。そして、東京の中尾さんの住所を聞き出し、尋ねていったという、今だったら完全に警察に訴えられそうなことをして、中尾さんのお母さんに「四季・ユートピアノ」のVHSビデオをお借りしてダビングさせてもらったという経緯があります。
それから32年。恋い焦がれた中尾さんが目の前にいらっしゃいました。
昔と変わらない、情感のこもったナレーションは聴くものの心を打ち、見事な朗読でした。今度森公美子が登場するNHKの人気番組「ようこそ先輩」の仙台市立木町通(きまちどおり)小学校の回のナレーションはなんと中尾さんが読んでいらっしゃいます。10月の放送なので、是非お聞き下さい。
そんな、32年目の出逢いもあって今日は忘れられない一日になりました。
これから、この「星に昇った少年」がどう展開していくのか、私たちの課題です。
桑山紀彦
昨年12月に訪れた閖上中学校。入口にあったささやかな祭壇にあった生徒の机の上に書かれた「死んだら終わりですか?」っていう文字、今でも心に残っています。
いい朗読会だったでしょうね。
みなさんの 気持ちが その場で 大きな輪になって 皆さんを包んだように感じました。
私は 聖路加病院副院長の細谷先生の お話しと 「大丈夫」と言う ドキュメンタリー映画を 見ました。
小児科の医者一本で40年。
40年前は 不治の病だった小児ガン。現在は70~80%が治る。でも、悲しいことだが亡くなるお子さんも いる。
彼らは お手伝いするために 呼ばれたのだと彼言う。
残った我々は、命を全うして彼らのもとへ行こうと。
細谷先生も 彼らのこと 忘れないために 記録することを いせ監督にお願いしたと。
命の大切さ、重さを感じた一日でした。
「亡くなった人の身になって言葉を想像しながら語ることが、今一番大切なこと」・・・”うーん”まったくその通り。
すとん~と心に収まる一言でした。
無念にも亡くなった人の想いを現世でつなげることを、さりげなく思いつき実行する桑山さんはやっぱり凄い!!
先ほどNHKアーカイブス ドラマ名作選で、ドキュメント風に撮影された『アンダルシアの虹』を見ました。主人公の方がとても魅力的で、検索してみたら・・・桑山さんとのツーショット写真が現れ、びっくり!!いろんな人が、いろんな形でつながっていますね。
「全然苦しくなかった。す~っと気持ちが楽になって眠るようだった。」
あなたの大事な人がこれとほぼ同じ言葉を私のところに伝えて来てたんだよと最近友人に言われました。
彼女が私の亡くなった家族の死を知った夜に感じたそうです。
友人は何も信じることが出来なくなっている私に本当は言わないつもりだったけど、とそう伝えてくれました。
「もちろん作り話だ。でも、僕たちは天国に昇っていった人たちの本当の言葉を聞くことができないんだ。だから、そこを想像していくことが大切なんだよ。」
作り話でしょと言った子供のように素直にそう思えなかった私の心にもこの言葉はすーっと入って来て、涙が止まりませんでした。
気づけばこのブログの文章は2012年9月のものなんですね。marcoさんが最近コメントをつけてくれなければこの文章を読むこともなかったんだなって思うととても不思議なことに感じます。
私の大事な人が伝えたくてここに連れてきてくれたのかなって素直に思うことにしました。
桑山先生、marcoさん、私をここに連れてきてもらえるきっかけをくださいましてありがとうございました。