さて、新学期になって心のケア~「心理社会的ワークショップ」も新しいフェーズに変わってきました。
これからは、自分のどんどん表現していく「創作」が中心となります。もちろんジオラマ三部作も大きな評価を頂きましたが、子どもたちのポテンシャル(潜在能力)は留まるところを知りません。
この月曜日からは新しく音楽を使ったワークショップが始まりました。
これは、「心理社会的ケア」の中では定番中の定番です。これまでも、ジャワ島中部大震災やパレスチナ自治州ガザ地区、ルワンダのFAWE女子高等学校の生徒さんたちとの心のケアで用いてきた手法です。
でも、日本の子どもたちと一緒にやるのは初めてなので、結構緊張しながら取り組みが始まりました。
しかし、やっぱり日本の子どもたちもとってもやる気。興味津々でついてきてくれます。まずは、「普通のものが楽器になる」というテーマで、ぱっとボトルに「大豆」「小豆」「米」を入れて創ったぱっとボトルシャーカー(通称ペッカー)を使って音を合わせていきます。大豆はゴロゴロした音、お米は「シャカシャカ」した音。そして小豆はその中間です。
子どもたちは自分にフィットした音を探していきます。
シェーカーとしてはお米が一番「らしい」のですが、子どもたちは意外なほどに大豆を使った創ったシャーカーがお気に入りでした。ゴロゴロした音であっても、どこかお腹にずんと来るんだと思います。
もちろん「入れる量」によっても音が変わります。それぞれを試してみながら、自分にとって「気持ちいい音」を探していきました。
続いて「パイプフォン」。これは排水などにも使う塩ビのパイプを適切な長さに切って、しゃもじにゴムを貼ったものをつくって叩くと素敵な音でなる楽器になります。しかも、パイプをジョイントを使って継ぎ足していくと、どんどん音が低くなっていきます。
「長さによって音が決まる」
子どもたちは音のマジックにかかっていきます。
そして続いて「スポンジプレート」
これは、レールのような木に隙間テープの長いスポンジを貼ったものを2本置き、その上に適当な長さの木を置いて叩くと、これまた良い響きを得ることが出来ます。こうして、「すぐそこにあるもの」を楽器に変えていくことをみんなで学びました。
そしていよいよ瓦礫の登場です。
今日の参加者の龍磨君がよく言います。
「みんな瓦礫瓦礫って言うけど、あれは元々は僕たちが暮らしてきた大切な家の破片なんだ。お父さんお母さんが一生懸命働いて稼いだお金で買ったり建てたりしたものなんだ。それを僕は“瓦礫”って呼びたくない。“宝物”って呼びたいんだ。」
そうだね、龍磨君。君の言うとおりだ。だから今日はそれを使って「楽器」をつくりました。
宮城県農業高等学校は今も破壊されたままの姿です。その中から叩くとなりそうなものを借りてきました。それはタイルであったり、木ぎれであったり、鉄の棒、屋根瓦、ガラスの破片・・・、様々です。それをスポンジプレートの上に置いて楽器に変えていきます。
「みんな、これは瓦礫じゃなくて、楽器だよな!」
「そうだね、ガレッキだね!」
なるほど見事な命名。「瓦礫」と「楽器」で「ガレッキ」。
こうして今日も僕たちは、失ったもの(瓦礫)から、大切なもの(音の鳴る楽器)を手に入れることが出来ました。
子どもたちも新学期始まってすぐなのに立派な集中力でついてきてくれました。
来週はいよいよ「オリジナルの曲創り」に入っていきます。
請うご期待!
桑山紀彦
物が有り余る時代に育った子供たちが、どのくらい興味を示して想像と工夫をするか・・・・。
楽器を作ったことで、新強い世界が広がるのが楽しみです。
瓦礫…。確かにそうですよね。はじめて気づきました。自分の「生活」、「思い」、「夢」だったものですからね。
ガレッキ、素敵なネーミングですね。
どんな音楽が、歌が出来上がるか、とても楽しみです。♪♪♪
「みんな瓦礫瓦礫って言うけど、
あれは元々は僕たちが暮らしてきた大切な家の破片なんだ。
お父さんお母さんが一生懸命働いて稼いだお金で
買ったり建てたりしたものなんだ。
それを僕は“瓦礫”って呼びたくない。
“宝物”って呼びたいんだ。」
感受性の豊かな龍磨君の言葉に、心打たれます。
津波は多くのものを奪い去ってしまったけれど、
龍磨君に“心の目で見つめる大切さ”を残してくれたんですね。
結果がすぐにでるものではないかもしれませんが、
こういった深い想いを表現できるワークショップなるものは
とても重要だと思わされます。