年度初めのステージ

今日は会津若松でのステージでした。

 日赤奉仕団の会津支部が呼んでくださったものです。4月3日からステージがあるというのはとても幸運であり、さい先良いですね。何せ4月は少ないとき1,2公演しかないときもありました。今年は4公演あり、その最初がこんな始めにあるわけですから。ありがとうございます。
 4月に入ってはっきりと感じるのはマスコミにほとんど「震災」「津波」が出なくなったことです。「気分一新」という感じが強く伝わってきます。
 今年3月11日、1年目を迎えた時がピークで、それ以降どんどん関心が薄れ、いよいよ年度が改まって人事の異動も多数あって「被災」はどんどん過去のものになって行っている感じがします。
 被災地という「現場」にいると、本当にそれがよくわかります。
 これはしょうがないことなのでしょうか・・・。
 マスコミも「震災、津波では視聴率がもう取れない」という気持ちになっていたり、それまで一生懸命関わってきたけれど、人事異動で関係ない部署に移ったりという事情が働いている可能性もあります。
 でも、今日10日ぶりで「地球のステージ1」の公演、しかも「震災篇」のバージョン2.0を語ってみて、改めて「語ること」の意味の大切さを自分なりに感じることが出来たことと、会場を埋め尽くす「善意」の固まりの赤十字奉仕団のご婦人の皆様のたくさんの涙に触れて、
「忘れてない人たちもたくさんいる!」
 という思いを強く感じることが出来ました。
 だから皆様、テレビで報道しなくなっても、ニュースに出なくなっても、被災地はしっかり復興を目指して歩いて行きますので、どうかこの1年間も見守っていってください。
桑山紀彦

年度初めのステージ」への6件のフィードバック

  1. とにかく復興の足がかりを築かねばならない1年です。
    見る人はみています。めげずに頑張りましょう。

  2. 忘れませんよ。今からが正念場と思って、自分にできることを心がけていきます。みなさんのことを、それから脱原発のことを、これからも考え応援しますね。(つきおか改め)

  3. 桑山先生、スタッフのみなさま、おはようございます。
    忘れていません。あの3月11日は決して忘れてはいけないんだと思います。
    自分ができることを常にもち、自分にできる復興のお手伝いを心がけていきます。
    これからも東北の人々を、応援していきます。

  4. 私の周りでは被災地のふれあい喫茶などのボランティアに参加する人が増えています。
    瓦礫処理などの力仕事は難しいけど、何か自分に出来ることはないか、と思っていた
    人たちがようやくその場を探し当てた感があります。
    参加した人は支援の継続が必要なことを自分の体験とともに語っています。
    私も先月お邪魔した際の簡単な写真報告を作って見てもらっています。
    忘れてないよ、いつも心は共にあるよ、と広く発信していくことも大事ですね。

  5. 新しい出会いがらあると、今でも必ずといっていいほど「あの日何をしていたか」という話になります。
    わたしの周りだけかわからないけれど、あの日のことは個人個人の中でとっても大きな事で、薄れることはあっても忘れ去ることはないのかなと思います。
    その想いの中に、自分がこんな事を経験してこんな事を思ったということ以外に、今も踏ん張ってる東北の方たちがいらっしゃることを留めておきたいです。

  6. たしかに、こちらの地方紙神奈川新聞では、「防災」的な記事が増えているように思います。
    関東圏に住む私や周りの人たちは、迫りくるといわれている巨大地震の影におびえています。
    いつ、自分たちの身にも降りかかってくるかわからないのですから、
    「震災」「津波」「原発」は忘れようとしても決して忘れられるものではないのです。
    私は臆病で、普通に生活していても、
    少しでも揺れを感じると、心臓がドキドキし破裂するのではないかと思うほどです。
    こちらに住んでいてこんな状態ですから、
    余震の続く被災地の方々の心情はいかばかりかと想いを巡らせています。
    テレビやマスコミがあまり報道しなくなっても、この1年間見聞きしたことは私の身体の細胞の中に入り込んでしまったと感じています。そして、桑山さんのブログは、細胞が新陳代謝をする貴重な栄養素になっているようです。

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