順応する子どもたち

日々、医療現場で働く人たちの新患受診が来ています。

自身が新型コロナに感染した患者さんの病棟で働く看護師さんも、自分は強いと思っていたけれど、さすがにこの恐怖と不安に抗い(あらがい)切れないということで受診を希望されていたり。もちろん現状でもオンライン診療ではありますが、精一杯力になりたいと思っています。

一方で子どもたちは・・・。

津波の時もそうでしたが「子どもたちには恐ろしいほどの適応力がある」という感じがしています。つまりそれはこの「学校がない」という状況に既に慣れている子どもたちが多いと言うこと。もちろん色んな制限がありストレスはたまっているけれど、子どもたちは基本的に今の環境に順応しているように思います。従って子どもたちの新規の受診は少ない傾向です。

学校が始まれば、それに適応していこうとする。学校がなければその環境に適応しようとする。そのしたたかさは悩み混む大人たちを尻目に、びっくりするほどの開き直りのようにも見えますがそこでふと思う。果たしてそれでいいのか、と。

子どもたちの適応力と順応力はすごいですが、だからこそ大人や社会が導いていく必要があるのではないか、と思います。今9月を新学期の始まりにしてはどうかというアイディアが出てきています。その思考はさすが宮城県知事、村井さんという感じですが、心配なのはその9月までの4ヶ月間をどう過ごすのか、その具体的なプランが抜け落ちていることが心配です。子どもたちはそうなったらなったでおそらく順応していくでしょう。でも、それは無為に過ごす、やたらにだらだら伸びきった生活を4ヶ月続けていく可能性が高いということでもあります。そこで失うものは大人や本人が想像するよりもはるかに大きいように思います。

途上国であれば、学校がなかったら家の手伝いはもちろん、働いて家計を支える絶好の機会なので、子どもたちの生活には目的も張りもあるでしょう。でも日本は違います。おそらく今がそうであるようにネットにふけり、無為に過ごす傾向が固着してくように思えます。正直この4月にも欠けた授業を埋めるべく学校から課題がいろいろと出ていますが、まともにやれている子どもたちはほとんどいません。みんな口々に「なぜか今回はやる気が起きないんだ。」と言います。終わりの見える夏休みの課題はなんだかんだで取り組む子どもたちですが、今回の課題は終わりの見えない期間の課題。透けて見える大人の”都合”によって出された課題にはやる気が出ない、とまたまた素直な反応をしているように思います。

「地球のステージ」的には9月に新学期が新たに始まることは、それはそれで「あり」だとは思うけれど、そこまでの5月~8月をただの「お休み~」にしてしまいかねないところが大いなる不安です。

もしもその期間中に「職場体験」「修学旅行」「遠足」「山登り」「演劇鑑賞」「“地球のステージ“鑑賞」といった「体験学習期間」のように位置づけて、子どもたちの身体と心にどんどん刺激を伝えられるのであれば大いなる意味があると思いますが・・・。

果たしてこの議論はどこへ。みんなで意見を言い合うべきだと思います。

桑山紀彦

 

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