難民となるとはこういうことか

2月24日夕方:イスラエル政府はコロナウィルスの拡大を防ぐべく過去14日間以内日本にいた外国人の入国を拒否すると共に、既に入国している人についても14日以内に日本にいたことがある場合は出国を認めない可能性が示される。これを24日の午前8時から実施すると通達した。

 

それを受けラマラ事務所にいる桑山、中村は検討し、残って様子を見る方向性を確認し就寝・・・。

深夜5時:時差があって既に日中になっている海老名本部から「外務省からもメールが入っている」と連絡があり起きる。ラマラ事務所内でどうするか検討。これはただ事ならない事態に発展している可能性を感じ、本来のルートであるアーレンビー橋という陸路の国境を目指すこととする

6:20:ラマラのホテルを出発。既にラマラ市内からイスラエルサイドに行こうとするクルマで大渋滞。これは特にコロナとは関係なく、いつのも日常。しかし今日はやけにクルマが多く、3度の渋滞に見舞われる。

7:54:アーレンビー橋国境の手前で止められる。国境は8時からでないと開かないという。これではいくら急いでも間に合わないという結果は同じだった。

8:15:アーレンビー橋国境のパスポートコントロール。彼らは日本人の出国について全く何も抵抗ない様子でふつうに対応してくる。しかし電話1本で「そこにいる日本人を止めろ」と言われるかも知れないという緊張で手に汗握る。

まるでイランにおけるアメリカ大使館占拠事件から脱出した人々を描いた映画「アルゴ」のようで、国境管理官の一挙一動にドキドキする。しかし何事もなく出国が認められて、ヨルダンへ移動するバスに乗る。心の中では「やった!」と叫んだ。

9:00:しかしこのバスは人数がいっぱいにならない限り発車しない。ようやく9時になってバスが発進する。これで出国できると少し安心。

 

9:10:イスラエルとヨルダン国境は荒涼たる景色が広がり、そのちょうど真ん中にヨルダン側の国境検問がある。そこではバスに乗ったすべての人がパスポートを一旦国境警備係官に預け、そのまま運転手に渡される。国境緩衝地帯で逃げないためにパスポートはヨルダン国内に入るまで預かられる仕組み。

9:15:しかし係官は桑山のパスポートが日本人のものであると気付くと、それだけを持って平屋の建物に入っていく。明らかに日本人なので止められている様子が伝わってくる。

9:30:ようやく係官が戻り、「お前だけ荷物を持って降りろ」と指示してくる。国境のど真ん中に放り出される形でバスが去った。いよいよ一人になった。

9:40:国境警備のヨルダン軍の将校に呼ばれる。なぜベングリオン空港から入ったのにヨルダンに抜けてきたのか説明を求められる。そこでもう何年もこうして出国していること。時にはヨルダンで仕事があるので、このルートがふつうなのだと説明。

一旦座は和み、「もう少しで解放だ」と言われるが、一向に返事がない。

10:00:再度将校に呼ばれる。「本当にベングリオンから来てヨルダンに抜けようとしているのか?」と繰り返し聞くので、その通りであり、航空機チケットも持っていると説明。再度外で待つように言われる。

10:30:また将校に呼ばれ、「お前の入国は許可できない。お前をイスラエルに帰す。」という。なぜ?と問うと、「分からん、上の人間がそう言っている。そもそもベングリオンから来たのならベングリオンから帰れ」の一点張り。何を言っても頼んでもらちの開かない感じであった。

10:45:「このバスに乗れ」というバスに乗せられる。パスポートは渡されたが、入国拒否を示すような紙もなければ兵士が付き添うわけでもない。これでは単にヨルダンから来た観光客と同じ状況で戻っていることになると思うと背筋が寒くなる。

それはすなわちこのままでは入国を拒否しているイスラエルには入れないということ。しかしヨルダンも入国を認めないということは、まさにこの国境の緩衝帯の中にはまってしまい、そこから抜け出せない状況が容易に想像できた。

それは映画「ターミナル」と同じことであり、自分はトムハンクスと同じ立場になってしまうかも知れないという不安が募る。椅子をつなげてベッドを作り、トイレで脇の下を洗う自分の姿を想像する。しかし冗談ではない・・・。

 

11:00:イスラエル側の第一関門に到着。皆バスを降りてパスポートを見せ、顔写真と一致しているかの確認を受ける。自分がパスポートを出すと明らかに日本人とわかり、「そこに座って待て」と指示を受ける。他の国民は数秒で顔写真のチェックが終わっていく。

最後に残った自分は、もしもバスから荷物を降ろされここで待機になった場合、ここから一歩も動けないことを想像した。ここでは夜露がしのげないと思う。他国の乗客が気の毒そうにみている・・・。

11:05:突然「さあ、日本人よ!先に進め」。セキュリティ担当者がそう叫ぶ。一瞬耳を疑ったが彼はにこやかに「よい旅を」という。第一関門通過。

11:20:バスを降ろされ長い列の後ろに並ぶ。第二関門は荷物チェックのためのタグを貼るゲート。ここで1番〜6番に分けられて荷物のチェックの厳しさが決まる。パスポートをみながら係官が質問し、自分たちは答える。自分の2人前で係官が変わった。不吉な予感。しばらく待つと若い女性の係官が出てきた。じっとパスポートをみるが、しばらくして「3番」のシールがパスポートに貼られる。荷物チェックは「並」となった。

11:40:荷物をスキャナーに流し、ボディチェックの「X-Vison」に入って出るとすぐに女性係官が、「どの国から来た?」と聞いてくる。「日本だ」と言うと表情が変わり、「一緒に来い」という。ここまで来るとさすがに笑えてくる。どこまで日本人を差別視しているのか・・・。

11:50:別室へ連れて行かれる。そこで年配の入国管理官に質問される。これまでの活動、今日起きていることをすべて正直に話す。「しばしそこで待て」と言い残して彼は奥の部屋に入っていった。

12:05:年配の入国管理官が出てきて、

「今日の朝に国境を越えたのか?」

「そうです。」

「で、ヨルダンはお前をこっちへ帰してきたのか。」

「そうです。」

「なぜだ?」

「コロナウィルスの件だと思いますが、他にもベングリオンから来たものはベングリオンから出ろ。といって譲りませんでした。」

「あいつら頭がおかしいなあ。」

「僕はイスラエルには入れますか?」

「入れるよ。でもなるべく早く出るように。」

「・・・」

「我々は日本人が憎いんじゃない。コロナウイルスが憎いんだ。だから入国を許可するが、できるだけ早く日本に帰り、あの客船で何が起きていたのか世界に伝えろ。それが君の役割だろう。」「・・・ベングリオン空港から出られますか?」

「我々は入国を拒否しているのであって出国を拒否しているわけではない。だから大丈夫だ。空港に行け。」

「でも今朝から何人かの日本人が出国を止められているみたいなんです。」

「それは何かの間違いだろう。我々は入国を拒否しているに過ぎない。」

「・・・」

「ところでドクター。感染するとどんな症状が出るんだい?」

「まずは乾いた感じの咳が出て、数日後には高熱が・・・。」

 

こうして私は奇跡的に入国を許され今ラマラにいる。しかし今後どうやってここを出るのかまだまだ模索中である。

 

桑山紀彦

2020年2月24日

19:00

 

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