今日1月15日は「地球のステージ」が1996年に始まってちょうど16年目です。
山形市内の青春通りの行き止まり「サンセット・スタジオ」を借りて、マスコミの皆さんに集まって頂いて試作品を公演してからあっという間に16年です。
最初は桑山が代表をしていた「国際ボランティアセンター山形(IVY)」の一部門として公演が始まりましたが、やがて大きくなって独立。2004年にNPO法人となりました。
そして2009年にガザに入って明ちゃんと死にかけ、それでも生還して11月に宮城県名取市に新しい事務所を構えました。
そして2011年に再度津波で死にかけ、でもみんな生き残って現在に至っています。
考えてみれば大きな山場や危機は紛争と災害でした。特にこの津波は自分たちの元を襲ってきたという点において、非常に危機的でした。でも、今こうしてられる幸せを感じます。
とにかくまず3000回の公演を目指して。おそらく今のペースで行くと2年後ですね。そして次は20年目。それは2016年であと4年。そのあたりの「節目」を大切にしていきたいと思っています。
皆さん、よろしくお願い致します。
それにしてもそろそろNHKの「プロフェッショナル」とかTBSの「情熱大陸」なんかの依頼が来ないでしょうかなあ。それもひとつの「節目」になると思うし、もっともっとステージのことを知ってもらえればと思っています。
とりあえず4月くらいにはAERA(アエラ)の「現代の肖像」にでられそうなので、それもひとつの「節目」になると思っており、光栄です。
さて、今日は閖上小中学校の第3回目遺族会でした。
いよいよ慰霊碑の建立に向けて詰めの話をしていかなければなりません。今日も6名のご遺族の方が集まり、活発で忌憚ない意見の交換がありました。そんな中で大切なことが決まりました。
それは「除幕式」の日です。
現在名取市は3月11日に慰霊祭を行うのか、正式なアナウンスがありません。文化会館の補修が間に合うかが、懸案事項になっているようです。しかし、例えその3月11日に慰霊祭が行われるとしても、遺族会の皆さんは言うのです。
「わたしたちの“慰霊祭”は“現場”こそすべて。だから例え市の慰霊祭があっても、わたしたちは自分の子どもの名前を刻んだこの慰霊碑の除幕式で3月11日を過ごしたい。」
全員一致の強い強い意見でした。
聞いていて涙が出てきます。
大切な子どもを失った皆さん。正直「あの日」で時計が止まったままの“親”なのです。でも子どもを失ってもその親心は薄れるばかりかかえって強くなり、
「3月11日には慰霊碑と友に、閖上中学校で過ごす。」
ことを強く希望されました。
わたしたちも気持ちがかたまりました。
3月11日は閖上中学校で15名の子どもたちの名前と存在を刻んだ慰霊碑の除幕式と、式典。そしてできれば閖中の卒業生がやりたくてもできなかった「野球」をやる。それが11日に日程となりました。
皆さんもいろんな場所から、心をぜひ寄せて挙げてください。
さて、3月11日は支援に来てくださった方や、関わって頂いた方の中で「どうしても名取にいたい」という皆さんも多いかと思います。
しかしながら、ステージ横の50畳ホールは子どもたちの作品であふれており、泊まることはできません。早めに名取の「ルートイン」などを確保して頂いた方がいいと思います。混みそうです。
それから事務局は上記理由により、遺族会と共に自分たちの式典にかかり切りになると思いますので、時間や空間が限られます。前もってご容赦ください。
桑山紀彦
3月11日まであと2ヶ月。17日は阪神淡路大震災…あの時、映像を見ても、まさか、自分の暮らす日本でおきているなんて信じられなかったし、これ以上の事がおこるとは考え及びませんでした。3月11日、一歩前進出来る日になりますように。
そろそろ、情熱大陸 声がかかるのではないかなと、思っていますが。知名度が高くなるのが寂しい気もします。
「地球のステージ」を観ながら考える
人類の歴史は戦いの歴史だという。
古代からみても、エジプトやギリシャ・ホメロスのトロイア戦争に始まり、近代や現代はヒットラーの侵攻による第二次世界大戦や朝鮮戦争、パレスチナ紛争までいづれの時代でも枚挙にいとまがない。
わが日本はというと、古くは「古事記」の神武東征伝に始まり、大河ドラマはすべてといっていいくらい戦いのドラマである。いわく「龍馬伝」は幕末の動乱であり、「江」は戦国時代、今年の「平清盛」は源平合戦である。
人はなぜこうも戦いをするのであろうか。
役所広司主演、「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を先週観た。映画としてはいい映画であったと思う。当時の日本がなぜ戦争へと
向かっていったのかがよく描かれていると思う。
世界と戦争することなど、特に米英と一戦交えることなどは到底無理なことだと分かっていた山本五十六であるが、開戦しなければいけない苦悩がよく描かれている。
たとえ、たった一人でも、戦争に反対していても、海軍部内に仲間がいたとしても、それが叶わぬ状況となってしまってしまう日本の状況はやもを得ないとしても悲惨である。
原作の半藤一利著「聯合艦隊山本五十六」も読んだ。この中に、当時の知識人の様子がこのように紹介されている。
十二月八日、聯合艦隊機動部隊が真珠湾に奇襲攻撃をかけ、大戦果を挙げたことを聞いた知識人たちの反応である。
----あの日、多くの日本人が感激したことを記さなければなりません。
評論家の小林秀雄は「大戦争が丁度いい時に始まってくれたという気持ちなのだ」といい、評論家の亀井勝一郎は「勝利は、日本民族にとって実に長い間の夢であったと思う。・・・・・維新以来我ら祖先の抱いた無念の思いを、一挙にして晴らすべきときが来た」と書き、作家の横光利一は「戦いはついに始まった。そして大勝した。祖先を神だと信じた民族が勝った」と感動の文字を記しました。この人たちにしてこうである。---半藤一利著「聯合艦隊山本五十六」より
ボクみたいなバカで無知でおっちょこちょいではこのように浮かれても当然であると思うのだが、このような碩学にしてこうである。いかに平和に暮らすということが難しいことかがよく分かる。そうであるから「地球のステージ」が日本全国で開催しなければいけないのだとと松原市の公演会を観ながら考えていた。
このことは、毎日、日々、取り組んでいく必要があるのだと・・・・。
和歌山 なかお
一口に16年と言いますが、長い年月ですよね。続けることの重みを感じます。
桑山さんが歩いてきた道が地球のステージに昇華しているんですね。
これからもみんなの心に大事なメッセージを発信し続けてくださいね。
平和・博愛・平等・等々を訴えるステージの活動は、確かに「プロフェッショナル」にふさわしいです。実現してほしいですね。
市の慰霊祭が11日に決まった時に、桑山さんの身の振り方が気になりますが、直接気持ちの繋がる人たちの慰霊碑除幕式優先を支持します。