最近の話題といえば、子どもたちとのジオラマ制作やバス旅行。閖上あみーずの虹色アクリルたわしの展開。江里ちゃんの猫のヒット。閖上小中学校遺族会の慰霊碑建立・・・。
それだけ聞いているとゆっくりとでも確実に「復興」の兆しがあるように思えてきます。
加えて我が「地球のステージ」事務局のすぐ近くになんと閖上復興市場ができることとなりました。2月4日(土)にオープンです。今日は、けんけんがその担当の方を話しをする中で、
「2店舗空きがある。」
という情報を得、すかさず
「ジオラマ展示をできませんか。」
「いいですね~。」
という展開に持っていってくれました。さすがけんけん、こういった先見性が事業を発展させていきます。
ということで、店舗が入るはずだったスペースにジオラマ展示ができそうです。現状では「未来の街閖上」は完成していないので、「在りし日の街」と「津波の日、覚えている風景」の2作品ですが、50人の子どもたちの作品集なので迫力があります。
ぜひ2月4日以降、復興市場に注目ください。
でも、そんなふうに一つ一つ復興に向けて歩いて行く中で、大切な人を失った人の心の中の時計は止まったままです。
北釜のかあさんが言いました。
「周りの人が、“そろそろお墓に入れてあげないとかわいそうだ”というのを聞くと、頭に血が上る。まるで私が何もしていないみたいに言う。“かわいそうだ”って何?私が母親として一番娘のことを思っているのに、どうして“かわいそうだ”なんて言えるんでしょうか。」
母が娘を思う気持ち。
痛いほど伝わってきます。
「でもね、娘が生きている時よりも、ずっとずっと身近にいる感覚が強くなっているんです。すぐ横にいつもいるって感じがする。だから、傷んだお墓に入れてあげたくない。ちゃんとお墓をきれいに直してから、お骨を入れてあげたいって思うんです。」
お墓は流されました。でも見つかったのにたくさん擦り傷がついているのです。それをちゃんと直してあげたいけど今石屋さんはどこも修繕や新しいお墓の依頼で時間がありません。いつもの何倍も時間がかかっているんです。
でも僕は思う。
「北釜のかあさんが毎日毎日ちゃんと娘さんに向き合って、滑走路に向かってお祈りしているその“日々”が大切だ。」
と。そんな変わらない思いを持ち続け、苦悩を抱えながらも日、一日を生きようとしている北釜のかあさんがこの世で一番強いと思えてきます。
「今でも、“いつ死んでも怖くない”と思えています。早く死んで、早く娘のところへ行きたいという気持ちが消えたことは一日たりともありません。」
それが、最愛の子どもを津波で失った母親の真の気持ちです。
桑山紀彦
「お墓に入れてあげないと、何時までも成仏できないから可哀そう」「亡くなった者を弔うのは、形ではない!心なんだ」・・・
どちらの気持ちもうなずけます。
これは信心を超越して、実際に身近な人を失った方の純粋な声だと思います。
北釜のお母さんの辛い気持ちの吐露~読んでいて涙が出そうでした。第三者がとやかく言う言葉はありません。
ジオラマ、ゆっくり見にゆけそうですね。
心に痛みを抱えている人に、アドバイスよりその人の言葉を聞くことが大切ですね。
お子さんを先に見送った皆さんの無念さはいかばかりか。
心が落ち着かれますようお祈りします。
復興の向かって明るい兆しが見える中
北釜のお母さんの思い・・・・涙があふれます・・
この光と影を理解し心を寄せたいと改めて思います。
桑山さんからの現地からの現実の声を
もっと、みんなが知ることが大切だと感じます。
これからも発信して下さい。
今、離れて暮らす母の声が聞きたくなりました。
日 一日 亡き子と向き合い
「 生きよう」 としている北釜のお母さんを、桑山さんが
「強い」
と 言ってくださったのを 読んだ時
私は涙が溢れました。
私も、時間が止まったような自分を、いつもどこかで責めていましたが、
「頑張ってるね。」
と、肩を抱いて頂いたような温かい気持ちになったのです。
桑山さんのような温かい心の方が被災地にいて、活動してくださる事は ほんとうに 有り難い事だなぁ。と思いました。
桑山さんの活動を応援する事を通して、
被災地の方に寄り添いっていけるのだ
と解りました。
ラブレターの返信
どんな便りでも送った便りの返信を貰うというのは嬉しいものである。
葉書はもちろんだが、たとえそれがなにげないEメールであっても、メールボックスを開けるまでは、どんな返事が書れているのかと胸がドキドキするものである。まして封書に包まれた手紙であったりすると胸の高まりは抑えようもなく口から心臓が飛び出すくらいに興奮することもある。小心者のボクに限ったことであるかも知れないが・・・・・。
今年の正月であった。
郵便受けから取りだした年賀状の中に、一通の英文で書かれた封書が混じっていた。外国に友人はいないし知りあいもない。いったいだれがどんな目的で送ってきたものかと悪い頭をひねった。訝りながら差し出し郵便局を見てみるとNew Yorkとなっていた。突然「おやっ」と、思った。思い当ることが一つだけあったのである。慌てて震える手で封を切ると、美しい女性の字で数行したためられていた。
Hideki様
お便り下さり有り難うございます。
テレビでのドキュメンタリーを見てくださったんですネ。
Hidekiさんの温かいお言葉に恥ずかしい面もありますが、嬉しいです。
2012年も宜しくお願いします。
American Ballet Theater
加治屋 百合子
もうボクは飛び上がらんばかりに喜んだ。気持ちは天へも上ることとはこのようなことかと思った。独善的になんという温かいこころの籠った言葉であろうかと思った。多くの人へ出したファンレターの返事とはバカなボクは思っていない。優しい女性の言葉である。きっと今年1年は、いい年になると確信した。
ボクの送ったラブレターは以下の通り。
前略
初めてお手紙を差し上げます。
僕は和歌山県の田舎に暮らしていますが、加治屋さんのファンになった者です。
バレイのことは余り知らず、熊川哲也のKカンパニーの公演で「白鳥の湖」を見たくらいの知識しかありません。
加治屋さんのことはまったく知らず、四年前にTBSで「情熱大陸」が流れたとき初めて知った次第です。加治屋さんがニューヨークで単身暮らし頑張る姿に感動を覚えました。それ以来、応援したくなりました。
今回お手紙を差し上げるようにしたのは九月四日、NHKBS放送「世界がyurikoに恋をする~バレリーナ加治屋百合子~」を見たからです。僕が初めて加治屋さんを知ってから四年が経っているのですが、なお色あせないその姿に感動を覚えるとともに、ますます成長をしている姿に心が動かされました。僕はこの四年間何をしていたのだろうかとわが身を振り返りました。成長のなさに、僕は情けなくなりました。しかし、加治屋さんは日々成長を遂げていました。
加治屋さんのバレイには気品があります。奥行きがあります。格調の高さがあり、優雅さがあります。そしてなにより、美しい。
芸術の存在価値は、その「美」にあります。芸術そのものを表現している加治屋さんを四年ぶりに拝見し、ますます魅かれていく自分を感じました。
BS放送の最後の方で、TBT内にあるクリニックに行って治療している加治屋さんを見ました。股関節を痛めたことから背中の筋肉に傷害が出ていると放送で流れました。厳しい練習に一日も休まず励んでいる姿には敬服するばかりか感動さえ覚えますが、どうか体だけは大事にして下さい。体あってのバレイです。「美」を保つための練習ですが二律相反しているのですが、僕には体が大事に思えます。厳しい練習もほどほどにと思うばかりです。
ニューヨークにたった一人、ABTに日本人としてたった一人、同じ日本人として誇りに思っています。
体を壊すことなく、バレイによる「美」の表現に邁進されますよう、心から願ってやみません。
日本の片田舎、和歌山からささやかですが応援しています。 草々ーーー
アメリカン・バレイ・シアター
加治屋 百合子様
このラブレターが少しでも、効果があったのでしょうか!?
嬉しい返信を頂きました。
(今日は余談です)。
和歌山 なかお
本日は地球のステージ3の講演ありがとうございました。
桑山さんの活動を見てとても感動しました。是非とも4番も見たいです。
3番では自分から行動することをおっしゃっていて自分も受験に向かい自分から勇気をもって進んでいこうと思います。
また桑山さんの美しい歌声に1番からとても感激しています。
僕は今年で卒業ですがまた中川中におこしになってください。
また会える日を楽しみに待っています。
本日は本当にありがとうございました。
一周忌も済んでいないのですから、気持ちはまだまだ整理がつかないことでしょう。
何気ない一言が傷つけてしまうことを肝に銘じたいと思います。
一人ひとりの心に寄り添う桑山さんには感謝の気持ちでいっぱいです。
『河北新報のいちばん長い日/震災下の地元紙』を読み終えました。
被災地の状況をテレビなどで観るのとまた違った、心の奥深くに届くものがありました。
その中の一つに、『第8章 被災者に寄り添う』というところで、
≪取材先で感動したのは、南三陸町でイスラエル医療団がやってきた時です。壊滅的な町で心細い被災者の心情に同化していたのかもしれません。町関係者と医療団の初顔合わせセレモニーを取材する立場にありながら、「助けに来てくれたんだ」と、ぐっとなり、目頭が熱くなりました≫
とあるところで、イスラエル医療団とガザの空爆時に支援に入った桑山医師の姿がダブってしまい、読んでいる私も涙しました。
「私たちはあなた方を見捨てない」
というメッセージをガザに届けた桑山さんの
人間として、医師としての凄さを、
あの時知りました。
ガザの人たちも、そんな桑山さんの姿にどんなにか励まされたことでしょう。
危険を顧みず行動できる桑山さんのような行為はとても無理ですが、
自分の身の丈にあったささやかなことの中でも
「私たちはあなた方を見捨てない」
というメッセージを被災地に届けられたらと、願っています。
最愛の娘さんを津波で失った北釜のおかあさんのことは、子を持つ親として、何と言葉にしたらよいかわからないくらいの気持ちです。
あと6日で桑山紀彦さんに会うことができる(≧∇≦)25日の米沢伝国の杜での震災特別篇のステージ楽しみにしてます。公演が終わったら話しとサインがほしいですね。