今日は嬉しい日でした。
九州は、福岡県飯塚から、田中誠先生(外科)が還ってきてくれる日です。
田中先生は4月の3週間、どっぷりとクリニックに詰めてくださり、日々被災された皆さんを診察していました。涙の別れの後6月、8月とちゃんと約束通りにクリニックに還ってきてくれて、いつもの笑顔でばんばん患者さんの診察をしてくださいました。今日から土曜日の午前中まで田中先生がいてくださいます。それだけで心うきうき。副院長の奈実香先生もさぞ心強いことでしょう。
現在東北国際クリニックはインフルエンザワクチン接種で患者さんが増えていますが、今日は心療内科合わせて85名の外来患者さん。2年前、1日7,8人の外来患者さんだったことを考えると10倍に増えたわけですが、そのほとんどが仮設住居やこの近隣のアパートに暮らしていらっしゃる被災された皆さんです。正確な統計は出していませんがおそらく8割が被災された方で占められている、それが今の「東北国際クリニック」の外来です。その意味においてはあの翌日以来ずっと続いているこの診療が、すなわち被災地の医療支援になっていると思いながら日々の診療にあたっています。
そんなところが田中先生や飯塚病院にも伝わって田中先生は公式的に「派遣」という形で名取にいらしています。明日、火曜日は午前のみの診療ですから午後からは閖上と北釜(下増田)を回られます。定期的に来ることで、その変化や問題点、希望や落胆が現実のものとして田中先生自身の心に染みこんでいくことと思っています。
思えばこうやってまたしても熱い九州人に支えられている僕たちは九州に心から感謝しています。
そんな田中先生を囲んで今日の夜は「鍋」でした。
うちの副院長、奈実香先生が「鍋が食べたい」といったことが引き金となり心理社会的ケアチームのリンリン、ケンケン、悠ちゃんが中心となって鍋をこしらえてくれました。名付けて「宗貞鍋(むねさだなべ)」。
まるで戦国武将が幕の内で食べた鍋みたいな印象ですが、単にこれはけんけんの苗字が「むねさだ」であることに起因しています。そしてそんな鍋を囲むと出てくるのが被災当日の話し、その後の1ヶ月くらいの話しです。やはり僕たちも話したい気持ちが前面に出てきているようです。明ちゃんが饒舌に話し、普段はあまり被災のことを話さない優子ちゃんもずいぶん話し・・・。うちのステージスタッフにとってもいい時間となりました。こうして自分たちで囲む「鍋」を体験すると、おそらく多くの被災者がこういった鍋を突っつきながら、
「あの時はこうだった」
「それでこうなった」
という話をしたい時期に来ていることがよくわかります。どうか各仮設住居でも自主的な「鍋パーティ」が開催されますように。
そしてここにも江里ちゃんが来てくれました。普段は小食な江里ちゃんが2杯も食べて、
「あ~おいしかった」
といってくれたのは嬉しかったですね。アパートに送っていきながら、
「またやろうね。」
「うん!」
という会話。こうして今の被災地の夜は更けていきます。明日はいよいよ二本松訓練所の平成23年度3次隊の定期公演です。ずっと避難所だった二本松訓練所は元に戻りました。避難されていらっしゃった皆さんはどこへ行ったのか、とても気になりますが、まずは元に戻っての公演です。
桑山紀彦
お鍋を囲んで、ひと山越えた事を実感します。
クリニックには7ケ月を乗り越えて共通意識と連帯感が強まり、人と人の温かい繋がりを感じます。これこそ“絆”。
リーダーを中心に、すばらしい結束力がますます強くなること、間違いなしです。
これをバネに、これからも続く支援活動に尽力ください。
おはようございます。今週は行事の関係で6時過ぎに自宅を出ています。 皆さん、田中先生に話を聞いて頂けて良かったですね。被災地で被災者の方の為に日々頑張ってるけど自分達も被災者。良い時間になったんですね。日常だと見落とす事も時間をあけてせっすると見えて来る事がありますよね。田中先生が来て下さる事、大きな意味がありますね。
遠方から医療支援にこられる医師の方々は本当に大変ですね。遠く離れていても、いつもこころは被災地にある。頭が下がる思いです。
「ロシナンテス」の川原先生も震災直後、東北国際クリニックに来ておられました。
川原先生のことはTBS、日曜の夜11時「情熱大陸」で紹介されました。その番組を観てボクは感動を覚えました。医療というものがまったく行き届いていないスーダンで、献身的に医療活動する姿に感動を覚えたのです。
九州大学医学部を卒業して外務省に医療事務官として入省した川原先生は、スーダンに派遣されました。そのときから川原先生の人生は変わったといいます。スーダンの悲惨な現状は、生涯をスーダンの復興に身を捧げることに決意するに時間がかかりませんでした。
外務省の年収は2000万円。単身、スーダンに乗り込んでからはその10分の1の年収です。いまもそれは変わりません。
そんな人が、この世には、いるのですね。
桑山先生をめぐるネットワークは、偉大な人々の集合体なのに違いありません。
和歌山 なかお
温かなお鍋の様子、お伝えありがとうございます。
少しばかり安心しました。
こうやって、細かな様子がわかるとありがたいです。
なによりも怖いことは、現地の情報が入って来ないことです。
マスコミも、福島第二原子力発電所のことばかりを報道して、最も大切な情報を流してくれません。
行政も、未だ義捐金箱は置いてありますが、これさら取り上げようとはしなくなりました。
市民も、震災直後にはパニック状態の支援ブームでしたが、やはりブームにすぎませんでした。
このブログは、遠く離れている私にとっては、正確に現地の状況を伝えてくれるので、非常に貴重な情報源とさせていただいております。
お忙しい中、更新は大変な作業とは思いますが、支援する側にも不可欠な情報減でもありますので、ご無理のない程度によろしくお願いいたします。
田中先生を直接存じあげませんが、
お名前(誠)の通り誠実な方なのですね。
活動をやり始めるのは簡単だけれど、
どのような形であれ、続けていくのは困難がともないますから、
震災の支援活動も尻切れトンボ的に終了しているものが多いのではと思っています。
震災に関わる活動をしているわけではない私が偉そうに言うことは出来ないのですが・・・。
桑山さんの2カ月目のブログを読んで、
何もできないけれど、被災地の状況を知るために
このブログを読み続けることを決意しました。(大げさですね~)
現地の状況を直接知ることで、いつも心の中に震災と被災地があります。
何ができるわけでもないけれど、忘れないことはとても重要。
ウォーミングアップされているので、きっかけがあれば、動き出すことができることを
自分に期待しています。
田中先生を囲んでの宗貞鍋、体も心も温まったようですね。美味しそうですね~。
明ちゃん、優子ちゃんもたくさん話せて本当に良かったです。
いつも笑顔の素敵なお二人にも抱え込んでいるものがいっぱいありますよね。
田中先生、定期的に通ってくださって感謝しています。
これからもよろしくお願いします。
桑山先生いつもご苦労様です!温かいお鍋を囲んで皆さんで色々語る事が出来て良かったですね~!やっぱり、どんな立場の方々もあの日被災地におられた方々は被災者なのだと思っております。私も色々な立場の方々とお話しをする事がありましたが、皆さんはやっぱり同じような事を言います。私達のような立場でも、あの日の大震災はパニック状態に陥ってしまった事と、精神状態が正常に保つ事が出来なくなってしまっていたとおっしゃる方々が沢山いらっしゃいました。桑山先生やスタッフの方々が、ひとときでも語り合ったり、安らげる事が出来てとても安心しました!やっぱり語り合ったりする事は大切ですね~!そして、4日の日のコメントをされておられた「化石さん」ありがとうございます!私なんかの心配までして下さって、私は涙を流しながら読ませて頂きました。私は大丈夫です!私なんかより大変な方々が沢山おられます。そして、ほんの少しだけしか語れませんが、被災された親族の中には子供達もいます。仮設住宅に住んでいない状況なので、カウンセリングは、ほぼ受けていません。私達もカウンセラーではないので、難しい所もあります。助けたい方々は周りに沢山おられますが、私も色々な気持ちの整理が出来ていない状況ですので、どうしたらいいか分からなくなる時もあります。そして、私の主人が昨日弱音を言い出してしまいました。今までほとんど泣く暇もなく、建設業なので休みもほぼとれない状況でしたので、精神的にも体力的にも限界が来てしまいました。「もう疲れた、限界だ」と言われました。私も励ましたり、どうしたら休みがとれるか考えて、色々な意見を言ってみたのですが、中々難しいようです。今は主人を支える事が私にとって一番だと思っています。被災地の皆さん、くれぐれも無理せずに焦らず、そしてたまには休養を取りましょう!私も主人の事は、なんとかいい案を考えてみます。そして被災地を気にかけて下さっておられる方々に感謝の気持ちでいっぱいです。ありがとうございます。桑山先生、このブログを続けて下さってありがとうございます。先生もお身体をお大事になさって下さい。
R.Sさん、こちらこそありがとうございました!
私もこみ上げるものを堪えながら読ませていただきました。
ご主人を支えてあげてくださいね。
いつの日か、「あんな日もあったけど、なんとか乗り越えてきたよね」
と、笑いながら話せる日がくることを信じましょうね。