週末はずっと九州ツアーでした。
金曜日に山口県の周南市に入り、毎年学校を数校回らせて頂いている周南市役所、松本さんや教育委員会の柳さんに再会し、元気な周南の子どもたちに逢いました。周南はその中心部がもともと徳山だったのですが、合併で大きくなりました。しかし徳山は我らが山口県人弾丸赤木によれば「昔から元気でちょっと跳ねちょる」人たちの集まり。そんな風土が「市内の学校を一つ一つ回していく」という壮大な事業につながっているんでしょうね。
桑山が勝手に都市伝説にしたいと思っている「真実のふく(山口県ではふぐのことを“ふく”といいます)」にも再開。
以前は在来線改札の外、南口にあったものが国体の影響で新幹線乗り場の中に移っていました。いつものようにおそるおそる手を入れてみると・・・、大丈夫、かまれませんでした。嘘つきはここでかまれるのです。
さて、その後徳山湾内にある大津島(おおづしま)の人間魚雷回天記念館に向かいました。太平洋戦争当時、ここから人間が乗って自爆することで兵器となった「回天」が出航していきました。哀しい歴史です。日本には現在も大切な戦跡がいくつかあります。南からいくと、ひめゆり平和祈念資料館(沖縄)、知覧特攻平和会館(鹿児島)、長崎原爆資料館(長崎県)、広島平和記念資料館(広島)を巡ってきました。しかしこの回天記念館には行けていなかったのですが念願かなってついにいくことができました。
しかし残念ながら回天は知覧の特攻隊のように明らかにしてこなかった事情があるため資料も少なく、証言や絶筆の書も限られています。その意味においてはなかなか後世に伝えていきにくいものなのかもしれません。それでも、自分の両親や兄妹に向けた辞世の句には涙がにじんできます。彼らは決して「お国のため」というよりは「愛する両親や家族のために」「この人たちを危険から守ろうとしたかった」のだと言うことがわかります。
回天に乗る直前までは東京大学、慶応大学、早稲田大学の学生だった人も多く、そのあまりの辞世の句の達筆さをみると、賢く、優しく、正直であったことがわかります。時代や状況は大きく違えども、この人たちも「見て見ぬふりしない気持ちを持ち続けた」存在であったと思います。
さて、弾丸赤木と地球のステージ・チーム九州の代表、服部さんとの行脚は続きます。
九州新幹線「さくら」です。
土曜日は博多で「なんとかしなきゃプロジェクト」全国縦断ステージの第3弾、九州公演でした。九州(及び沖縄)は被災地から一番離れている地域です。でもその「離れているからこそ、自分に何ができるかを真剣に考えた」人たちの集まりです。
(ステージのあとのトークショウ。果たしてこれだけの人が壇上に登る必要があるのでしょうか・・・。)
明日、月曜日からいらっしゃる田中先生は福岡県飯塚市の飯塚病院、救急部トラウマセンター長ですが、4月の3週間着任以来、6月、8月そしてこの11月にまた来てくださっています。なんとありがたいことでしょうか。明日月曜日は田中先生を囲んで「地球のステージ」で鍋です。リンリンが計画してくれました。なんかみんなで一緒の鍋からご飯食べるのって3月末以来かもしれません。少々あの頃の記憶が蘇るかも・・・。
そして、そのまま南下して鹿児島は鹿屋(かのや)市のステージでした。鹿児島県はかつて加治木町で1回ステージがあったのみでその後なかなかステージが開催されていませんでした。しかし今回呼んで下さったのは鹿屋市役所勤務でかつて青年海外協力隊として活動してきた前之原さんでした。しかもそれを側面支援してくださったのがJICAの鹿児島デスク、市民活動推進員の力竹(りきたけ)さん。彼女もまた青年海外協力隊でした。
こうしてたくさんの協力隊OG、OBに支えられて日本各地での公演が可能になっています。それもすべては平成13年度1次隊、二本松訓練所の初演、平成14年度1次隊、駒ヶ根訓練所の初演以来、10年、9年と続いて来たおかげです。それがこの鹿児島県鹿屋のステージの実現となりました。感謝感謝です。
鹿児島人が大好きな桜島
こうして九州で震災のことを伝える「地球のステージ」を公演していると、本当にたくさんの人が心を痛め、九州から何ができるかを模索し続けてきてくださったことがよくわかります。このブログはそんな遠い地域に住む人たちをつなぐものであったとも思います。これからもたくさんのことを伝えていきたいと思う一方で、やはり偏った見方しか出来ない一部の人たちが常に「見張る」ブログであることが哀しいばかりです。
北九州の服部さん、山口の赤木さん、全行程に付き合ってくれてありがとう。物販売は大変助かりました。
まだまだ九州公演は続きます。
お疲れ様でした。 鹿屋は以外に芸能人を排出してるんですよね。 鹿屋のステージから南九州にもステージが広がって行くと良いですね。明日の“鍋”楽しみですね。
九州の人々の思い、熱いですね。僕も8月に気仙沼を訪問した帰りの新幹線で、「どうしても被災地に行って佐賀でそれを伝えたい」という佐賀の中学生に会いました。
3/12開通だったため、多くの人に見てもらえなかった九州新幹線のCMも熱い九州人らしいです。観たことがない方は、ぜひJR九州のWebサイトでご覧下さい。ただ、新幹線が出来て極めて不便になった人々の存在も忘れてはいけません。
「ひめゆり」「知覧」「長崎」「広島」は僕も行きましたが、「回天」の記念館があるとは知りませんでした。一度訪れたいものです。鹿屋で公演だったようですが、鹿屋の史料館には行かれませんでしたか?太平洋戦争中、知覧に陸軍、鹿屋には海軍の特攻基地がありました。僕も訪れたことがないのですが、鹿屋航空自衛隊の基地内にあるということから知覧のような趣旨のものではないのかもしれませんが、一般人が観覧することは出来るようです。。鹿屋からも1000近い「見て見ぬふりをしない」若い命が飛び立ったはずです。
鹿屋のステージを見させて頂きました。大変感動致しました。ありがとうございました。
回天のことは風化していました。
エンジントラブルで海底に頓挫したまま、春秋に富む若者が犠牲になったと云うおぞましい話を思い出します。
やはり、記録を残すことは大切ですね。
宮部みゆき考
宮部みゆきの作品をまだ読んだことがない。
恐ろしいからである。怖いからである。 作品がミステリーであるから恐ろしいのではない。名前や題名だけからでも漂ってくる未知なる才能の深さ、得体の知れないオーラが名前や題名から感じられるからである。
同じようなことは、吉本ばななや北村薫などにも云えることなのではあるが。もっともボクの場合は世に出ている作家すべてが、才能が恐ろしいものではあるのだが。
かつて大阪にあるプロ養成学校の心斎橋大学に通っていたころ、講師の先生から宮部みゆきの人となりについて聞いたことがある。
「宮部みゆきさんは、話をしてみるとキャピキャピしていて、今どきのギャルといった感じなんだよ。それもとてつもなく明るくて、元気のいい女の子って感じ。作家というものは、みけんに皺を寄せたり、しかめっつららしく難しい話しなんかしなくてもいい」。そういう話を聞いたことがある。そんな人となりの作家ならなおさら恐ろしくて余計に読むことができない。難しい顔をしてさらに難しいことを言ってくれたほうがよっぽどいい。そのほうが安心して読む気になる。そんなこんなで宮部作品をまだ読んだことがない。
この土曜日、テレビ朝日制作、宮部みゆき原作がドラマ化された。「火車」である。なぜ今までこの作品が映画やドラマ化されなかったのだろうかと思った。1992年に書かれた作品であるのに。
これは、どこにもない、誰も思いつかないストーリーである。ドラマを観て宮部みゆきの凄さを改めて思い知った。
「火車」は山本周五郎賞、「こんなすごいミステリー」大賞などを受賞している。受賞するのもなるほどと頷ける作品である。
ボクは映画やドラマを観るとき、原作は必ず読むことにしている。TBSで放送の木村拓哉主演の「南極大陸」も原作「南極越冬隊タロジロの真実」を読んだ。
原作がある映像作品の場合、映像化された作品を批判するために読むのではない。どのように映像表現されているのかを知るために読むのである。単なる比較のためではない。文字表現が映像としてどうなっているかを考えてみたいのである。
今回のドラマ「火車」は宮部みゆきの偉大さが如実に表れている作品だと思った。東野圭吾の「容疑者Xの献身」もそうであるが、こんな展開、誰も予想できない。非才で凡庸なるボクなどは、(おまけに頭も悪けりゃ顔も悪い)まったく及びもつかない。よって、宮部みゆきはボクにとってははまだまだ読むことができない恐ろしい作家である。
宮部作品を読むことができる多くの読者の皆さんは、ボクより何倍も幸せな人たちということができる。
和歌山 なかお
桑山さん、明子さん。
夏日のような山口、九州ツアーお疲れさまでした。また、三日間お世話になりました。
都市伝説を企んだり、回天記念館に行かれたり、公演の間も惜しんで?本当に驚きです。
でも、桑山さんのそんなフットワークの軽さが長年積み重なっての今があるのですね。
福岡では九州の仲間が集まりましたし、
地元の国際協力団体の方々もお見かけする公演でした。周南、鹿児島と、熱い主催者のかたや、協力隊OGの皆さんの想いに触れるいい機会になりました。
今夜の国際さんは、熱い九州人の田中先生を囲んでのお鍋の会楽しまれたことでしょう。
今週末は関西若者チーム@京都公演です。九州から関西へ伝言ゲームのように広がる地球のステージの繋がりは、これからどのように広がるのか楽しみです。
なんと言っても、鹿児島から東北まで、とうとう新幹線もつながったのですから。
お供の2人、キャラ濃過ぎません??
ちゃんとおりこうにしていたか心配です。
そんなことを言いながら、母に元気に生きる活力をくださる地球のステージには、本当に感謝感謝です。
弾丸赤木さんのパワーには脱帽です。九州のツアーにも同行されたとは!
戦争の負の継承はなかなか難しい面もありますが、伝えて行くことが大事ですね。
自分たちの国の歴史をしっかり学びたいと思っています。
桑山さん、後藤さん
6日は強行スケジュールの中鹿児島・鹿屋まで足を運んでくださり本当にありがとうございました。
13年度以降の協力隊OBから訓練所での「地球のステージ」の話を聞くたびに、いつか私も見てみたい、という思いが強くなっていました。そして今回鹿児島での公演が実現して、本当にうれしかったです。
ステージももちろん感動しましたが、何よりも桑山さんとお話してその魅力にすっかりはまってしまいました。
被災されたみなさんは、私には想像もできないくらいに大変な思いをされてきていると思いますが、桑山さんのような方が近くにいらっしゃるということは本当に大きな救いになっているのだろうと心から感じました。
できれば地球のステージの続きを見てみたい。もっとたくさの鹿児島の人に感じてほしいです。
本当にありがとうございました。
11/5(土)「なんとかしなきゃプロジェクト」九州公演に参加せせていただきました。
会場が暗くなると赤ちゃんが泣きだしました。
すると桑山さんは、「ごめんね~暗くなったから、びっくりしたね~。お母さん気にしなくていいですよ~。僕は気になりませんからね~。」と...
優しく赤ちゃんとお母さんの気持ちを受け容れられると
赤ちゃんは泣きやんでましたね~
すごいな~気持ちを受け容れるやり方を実践されてました。
皆さん気がつかれましたか~
ありがとうございます。桑山さん。