今日はリンリン、ケンケン、悠ちゃんの3人で愛島東部の仮設住居を舞台にした「スカイルーム」でした。
学校の校舎内を離れて、仮設住居3カ所を含む5カ所で毎日展開しているこの心理社会的ケア~「心のケア」は順調に進んでいます。もちろん相手は小学生ですからグループ内でのけんかや言い合い、ドタバタはあります。でもそれはこの「スカイルーム」が本音が出せて、ここだったら自分の素の気持ちが表現できると思っているからだと思います。だからけんかや言い合いもあるけど、みんなで協力する時はちゃんと一つになります。リンリン、ケンケン、悠ちゃんはとてもよくやれている自慢のスタッフですね。
さて、いよいよ「閖上ジオラマ」が形になってきました。
ちゃんと「街」になっている。閖上の港、貞山堀が子どもたちの手によって再現されてきています。
貞山堀に浮かぶ船もちゃんとその「配置」を得ました。でも子どもたちが言います。
「もっと船があったよね!」
「そうだよ、もっとあった!もっとつくろうよ!」
ということで、いよいよ街ができてくると
「何が足りなかったのか」
「自分は何をそこに足したいのか」
が見えてきます。それが自分の根っこ、そうルーツにつながるアイコン(指標)になっていきます。街を俯瞰して、
「やっぱりあれがあった方がいい。」
と思って再制作するもの。それに込められた想いはより一層深いものがあります。
田んぼもきれいに並び、貞山堀の周りの樹木の茂り方もいいですよね。
確かにここに自分たちが生きていたという証が完成していきます。
それはすなわち「自分は根無し草じゃない。閖上人なんだ。」という気持ちにつながっていき。「これからどう生きていくのか」と心の中に確認したくなるエネルギーを生み出していきます。この「確認」がないと、何となく生きて、何となく風にフラフラとしてしまいがちな人生観になってしまう可能性があります。
子どもたちは一生懸命制作をし、自分の歴史を確認してくれています。
名取市役所は12月から展示の許可を出して下さいました。名取エアリモールは2月から長期展示の方向で調節に入ってくださいました。その時は閖上ジオラマも、「過去」「あの日」「未来の閖上」の三部作で展示できると思います。
こうして「心のケア」は確実に形となって進んできています。
桑山紀彦
追記
これを上層部の方に「不安」だけで「報告」するようなことはどうか、なさらないでください。広いお気持ちで、子どもたちの心のケアという視点で見守ってください。
三部作の完成が待ち遠しいです。
これを見たら自分の思い違いを解ってくれるといいのですが・・・いえ、きっと解ってくれるます。
おはようございます。皆さんに元気を注入出来る展示の場所と日程も決まり完成目前。ワク×2、ドキドキします。喧嘩が出来るなんて素敵。上手く発散しながら前進してるんですね。
追記を読んで頂き作品を見て下されば理解下さる方もいるはずだけど、なかなか素直に受け入れられない方も多いはず。それでも子供達、見た大人は前進出来ると思うから、嫌な事があってもドンマイ。です。
上村松園とジオラマ制作
ジオラマ制作はこころのケアーとして、大切な試みだと思う。
辛いこと、悲しいことを人に語り、形にすることは苦悩を取り除くことにつながると思う。ジオラマ制作を通じてあの日のことを振り返り、こころを立て直す拠り所となるのではないだろうか。えてして制作は、その人の生きる拠り所になったりもする。
先日、テレビ「なんでも鑑定団」で上村松園の初期の日本画が出展された。極めて品のないボクは幾らの値が付くのかに興味があり毎回この番組を観ている。この掛け軸には二百万円の値が付いた。
上村松園の代表作に「序の舞」があるが、宮尾登美子に同名の小説がある。気になって読んでみると、図書館で借りた本には、奥付けには昭和57年発行とある。読んでみて、なぜもっと早くこの作品を読まなかったのだろうかと悔んでしまった。
上村松園は明治八年、京都の葉茶屋の次女として生まれ、父の顔を知らず母親一人で育てられた。五歳のころ、行商の砂絵描きの後を付いて回った。紙と筆があれば所かまわず絵を描いたという。小学校を出ると、当時京都に出来たばかりの画学校(現京都市立芸術大学)へ進み、研鑽と才能の開花をみるようになる。
松園の描く女性は「淡く儚げな美しさ」を秘める。
松園にとって、「描く」ことは自分が「生きる」ことであり、子どもの頃よりそのことを知っていたに違いない。
作品を作ることは自己確立、自己形成に極めて大切なことではないだろうか。
ジオラマ制作もまた同じではないだろうか。
和歌山 なかお
素敵な街がよみがえりましたね。
子どもたちはよく頑張っていますね。
周りからいろんなことを言われながらもしっかり信じて進めている桑山さん。
辛い気持ちの中、記事をアップしてくださって有難うございます。
市役所やイオンモールに展示される日が待ち遠しいです。
写真を見るだけでも、子どもたちの心の中に起こっている思いを想像し
こちらも心がワクワクしてきますから『実物を見にいけたらな~』です。
何もないところから、何かを作り上げていくということは、
凄いエネルギーかいると思いますが、
子どもたちは被災で被った胸の奥底にたまったドロドロした思いを
ドロドロをエネルギーに変えていって、作品に昇華させていっているのでしょう。
ドロドロをドロドロのまま持ち続けるより、
昇華(フィルター?)されたものに変えるほうがいいでしょうに~?
と、専門的知識のない私は私なりに考えました。
こういったことを反対される専門家(?)のお考えの根拠というのも
実は知りたいです。