キリバス在住唯一の日本人

阿部稔さんは現在キリバスにずっと住んでいる唯一の日本人です。

少し前まではもうひとりオノ・ケンタロさんという人もキリバスに長く住んでいたそうですが、彼は今故郷の仙台に戻ったそうで、そうなると阿部さんは唯一のキリバス在住日本人です。

もちろん現在7名の協力隊の皆さんが滞在しているので、調整員の池田さんを含めるとJICAで8名、そして阿部さんで9名の日本人が中長期で滞在していますが、何せ大使館も領事館もないので、当然「日本人会」のようなものはなく、阿部さんはある意味唯一のキリバス在住日本人として、いろんな仕事をしています。今回は、我が「地球のステージ」のフル・アテンダントをして下さいました。

宮城県石巻市生まれで、石巻中学校、女川高校(今はもうないとのこと)をでたあと、航空機の整備を学び、東亜国内航空に就職。その後自衛隊に転職してずっとヘリコプターや飛行機の整備をしてこられました。

そして一念発起し、青年海外協力隊を受験。見事合格してソロモン諸島に派遣。専門は船外機のエンジン整備の仕事でした。エンジンなら何でも任せて、という感じです。その後「日本かつお・まぐろ漁業協同株式会社」というなんとも美味しそうな会社の派遣としてこのキリバスのMTC(Marine Training Center)にやってきました。現在の石倉さんの大先輩協力隊員になります。

そこでキリバス人の奥様と出会い、3人のお子さんをもうけ現在もキリバス在住という波瀾万丈な人生を送っていらっしゃいます。現在も年に1回は石巻に戻られるそうですが、基本はキリバスに住んでいる唯一の日本人なのです。

そんな阿部さんが言います。

「何かに追い立てられるような人生はもう送らない。ここで暮らしていると、これで十分だと思えてくる。何かをさらに求めようとは思わない。十分足りているのだから、このままここで暮らしていこうと思う。」

まさに「足るを知る」人生を送っていらっしゃいます。人の幸せは、その人にとって「十分だ」と思えたら、もうそれ以上を無理して求めないということ。停電も断水も、嵐も高潮もあるけれど、食べるには十分なものがあり(野菜は少ないけど)、守るべき家族がいる。その家族を支え、支えられてここまでやってこられたという阿部さん。ただもう少しだけ働こうと思っているのは、

「子どもが大学を出るまではやっぱり親の責任だからね」

という理由。でもあと2,3年ほどで一番下のお子さんも大学を卒業すると言います。

「そしたら自由にするさ。」

という阿部さん。

「日本に還るんですか?」

と聞いたら、

「今さら日本に自分の居場所があるとは思っていないよ。この島でこのままのんびりと暮らしていくさ。」

とさらり…。

これが1人のキリバスに移り住んだ日本人の生き様です。

「”こんなところにもニッポン人”とかさ、そういう番組に出ることは絶対嫌だからね。そういうのは全部断ってきたんだよ。」

という阿部さん。写真も唯一この1枚だけ撮らせてくださった感じです。

キリバスに行きたかったら、阿部さんを頼るのが一番だし、それ以外に選択肢はないと思う。でも口調は常に厳しいです。

「沈む沈むってさ、みんなキリバスのことそう言ってあおるけど、そんなにすぐには沈まないって。俺たちもこうやって暮らしてんだらからさ!」

まさにその通り。昔津波で被災した時も、5日目に届いたおにぎりを美味しそうに食べている写真をアップしたら、

「募金が集まらなくなるので、被災地はもっと悲惨な顔をしていてください。」

と怒られたことを思い出します。

いろんな天変地異は起こるけれど、やっぱりそこで暮らしているのだから涙もあるけど笑顔も希望もあるという事なのだと思います。

宮城で生まれ育った1人の日本人が、最大標高3メートルの南太平洋の島に骨を埋めるつもりで人生を生きていらっしゃいます。

桑山紀彦

 

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