今日は朝から雨の中、ロザリンの家を訪ねました。やっとで見つかったロザリンの家。彼女が語りました。
「私は南スーダンのモロブという街に2003年、生まれました。
お父さんは建設の技術者で、お母さんは小さな裁縫の店を営んでいました。しかし内戦の激化と共に、生活はどんどん苦しくなっていきました。お父さんは仕事を失い、ある日副大統領派に殺害されました。2010年のことです。それから親戚をたどりながら転々としている時にお母さんは腸チフスにかかり、そのままなくなってしまいました。私たちは親戚をたどってウガンダに逃げてきたのです。
しかし、親戚も子どもを受け入れる数に限界があり、私は弟と妹と離れてこのゾーン3にやってきました。それはこの地区の小学校が無料だったからです。私はそれほど学校に行きたかった。遠縁の遠縁をたどり、ようやく私はこのゾーン3に落ち着くことが出来ました。2人の「おそらく」血がつながっている親戚に支えられて今私はこの家に暮らしています。
小学校の最終学年はもうじき終わります。でも私はなんとしても中学校に行きたい。もしも勉強を頑張れば奨学金が出て私は中学校に行けるかもしれないのです。だから今私は不得意な数学と理科を頑張っています。
英語と社会は得意です。でもなかなか数学が難しい。頑張らないと中学校には進めないので、毎日出来るだけ勉強を頑張っています。
将来は建設のエンジニアになりたい。そして大好きな南スーダンの故郷の街モロブに戻って街の再建に関わりたいと思っています。」
小さな家にたった一人で住むロザリン。両親を亡くし、弟妹とも離れてひたすら勉強を頑張る毎日。賢く、聡明な彼女が明るい未来をつかむために私たちに何が出来るのか、一生懸命考えて行きたいと思います。
最後にロザリンが
「日本って国に行ってみたいです。いろんなところが発展していると聞くし、平和なんだろうし…。今はそこからわざわざ来てくれて、私たちのためにできることをしてくださっていることを感謝します。」
16歳になったばかりの彼女がたどる道は険しいとは思うけれど、セビ先生が言うように、
「希望の光は見ようとしないと見えてこない。だから見ようとする気持ちが大切なのだ。」
という本音に照らせば、ロザリンは希望をつかむために十分な意思を持って生きていると思います。また次のセッションで会いたいと思います。
桑山紀彦