活動最終日

今日は活動最終日、難民居住区ゾーン3のアラバ小学校で音楽ワークショップでした。

日曜日に昨年のグループ2つと、今年のグループ今日で2つ目。合計4つの異なるグループでの音楽ワークショップを続けているとさすがに腰が抜けそうなくらいに体力を使いますが、やはりここアフリカは音楽の大陸。音楽が日常の中に溶け込んでいるのか、非常に感動的な音楽ワークショップが毎日続いています。

昨日のロザリン達もすごかったけれど、今日僕が担当した「未来へ向けた」のパートチームもまた感動でした。男の子中心で偶然編成されたものだけれど、そのグループの中にいたのがピーター・アランキーくんとベトエル・アラフィー君でした。

ピーターは最初非常に堅いイメージがあって、音楽ワークショップはつまらないのかなあ…と思っていたのですがさもありなん、一番最初に歌詞を作り始めたのはピーターでした。

未来に関しての様々な考えを語り、付箋で貼ってまとめ、自分なりの歌詞に編み込んでいく作業はなかなかに難しいものですが、ピーターとそしてもうひとりベトエルはかなり積極的に言葉を紡ぎ出してくれました。でも、

「パイロットになって空を飛びたい」

という夢を語ったのは別の生徒だし、とても積極性を感じるグループでした。そして完成したのがこの歌詞でした。

ーーーーーーーーーーーー

少しでもいい未来のために もっとたくさん学ぶ

少しでもいい人間になるために 私は気づきを得た

国がここにある 教会も、道も、そして病院までも

だから私は 空をかける夢を持ち 出来ることは何でもする

ーーーーーーーーーーーー

そこからは各グループが歌詞に込めた意味を発表し、そのあとでみんなで2回歌うのですが、びっくりしたのがうちのスタッフ、アーロンが担当した「過去~南スーダンの日々」のグループ。なんとバラード調になっていたのです。しかも完全に3度上を行くコーラスが付いていて、見事この上ない展開でした。やはり、音楽で気持ちを表現する土壌があるのがアフリカだと思うのです。

そして最後の大合唱も、割れんばかりの声量と2重に重なったコーラスが迫力をつけ、歌い終わるのが惜しいくらいの時間を過ごせました。

2時間ほどの活動が終わり、いよいよ最終の挨拶となった時、ピーターが突然立ち上がりこう言いました。

「僕は亡くなった母への曲をつくった。この場で聞いてほしい。」

そして無伴奏で歌い出したピーターの歌声。それは切ないほどに愛おしく、か細いようで芯のあるメロディラインに守られて、お母さんへの気持ちがしっとりと伝わってくる曲でした。ちゃんと難民の彼らはこうして自分のトラウマを吐き出し、形にすることを自ら身につけようとしているのです。その時思ったのが、

「人には表現したい気持ちがある」

ということでした。でもその場所がない場合、気持ちが煮詰まってしまう。だから僕たちは心のケア~心理社会的ケア~としてそんな「表現の場所」を提供することが大切な役割なのだと思いました。

ワークショップが終わってピーターと話しました。

彼は小さい頃に父親亡くし、苦労しながら南スーダンで生活してきました。しかし3年前に母を亡くし、このウガンダに逃れてきました。現在25歳で小学6年生。妻がいて子どもは3歳と6歳。小学生であっても夫として、父親としての役割を果たしています。そして亡くした母への思いを自ら歌にしてこれまでずっと歌ってきたのです。音楽はこうしてピーターを支えてきたのでしょう。

適度の疲れと、心地よい充実感と共にみんなで集合写真を撮って戻ろうとしたら、

「ギター貸してくれる?」

うちのグループのもうひとり、ベトエルでした。

「ギター弾けるの?」

「うん。」

「どこで習ったの?」

「教会で。」

「ギターは持っている?」

「うん、でもペグのところが壊れているんだ。」

「直せそう?」

「大丈夫だと思う。」

そしてまたベトエルもオリジナルの曲を歌ってくれました。まだまだ声が大きく出ていなくて、なかなか歌詞はわかりにくかったけれど、彼も確実にこうして自分の気持ちを音楽に乗せていました。

この南スーダン難民居住区において、表現する準備ができている子どもたちが多いことを感じました。あとは場所と道具をそろえ、スキルを高めていけば子どもたちは自ら表現することをためらわない。

アフリカ、ウガンダ、南スーダン。

心理社会的ケアがこれからどんどんその役割を果たして行くであろう予感を感じながら、アラバ小学校をあとにしました。

この難民居住区で暮らす人々に幸いあれ!

桑山紀彦

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *