ロザリンと南スーダン

ロザリンは、今日僕が担当することになった「過去の自分」~南スーダンにいた頃~の歌詞を担当するグループの中にいました。

最初の歌の練習の時も大きく口を開けて一生懸命歌っていたので、「この子はすごいなあ」と思っていたのですが偶然僕のチームになりました。

写真にあるように、南スーダンにいて一番悲しかったこと、目に浮かぶこと、幸せだったこと、不幸せだったこと…などを質問していき、子どもたちの答えを紙に書いて貼っていきます。こっちにはポストイットのような便利なものはないので、全て手作りで進めていきます。そしてみんなが一通り答えた時点で、さて、歌詞に編み直してしていこうかという問いかけをします。すると初めての経験の子どもたちは大抵ここで止まってしまいます。でもそこでファシリテーターのこちらが焦って「こうするといいよ」と言って例題を作ってしまえば、それで心理社会的ケアの骨格は崩れてしまいます。僕たちは導いたり指導するのではなく、引き出すのが役割だからです。

迷っているみんなをしばらく見守って無言にしていたら、小さな声の歌詞が聞こえてきたのです。

「人が殺された南スーダン」…

「家が焼かれた南スーダン」…

まさかそんな歌詞が自発的に出てくるとは予測しきれず、

「え?今何って言ったの?」と問いかけた先にいたのがロザリンでした。ロザリンは横にいる友だちと既に歌詞を練り始めていたのです。他の子どもたちにもロザリンのすることが伝わっていろんな意見を出してきます。

「南スーダンの空の色はね、白と青なんだよ」

「財産もいっぱい失ったな」

「南スーダンにはリンゴがあるけど、ウガンダにはないんだよ」

「ジュバの街はとっても美しいよ」

「クリスマスは楽しかったな」

「戻りたいな…。」

そしてみんなで話し合い、歌詞が完成しました。

 

「殺りくの南スーダン 破壊の南スーダン

長い道のりを歩いて逃げた 多くのものを失った

ジュバは美しい 青と白に輝く空

クリスマスにあふれる果実 リンゴの木が揺れる

ああ、故郷に帰りたい」

 

これが小学校6年生の子どもたちが作った「南スーダンの日々」です。もちろん小学校6年生

といっても15歳の子もいれば、19歳の子もいます。ロザリンはこの8月に16歳になりましたが、今小学校6年生です。

そして練習が始まっていきました。他のグループ、「現在~ウガンダの日々」と「未来~希望」のグループを見に行って、伴奏して練習に付き合い戻ってきてみると、ファシリテーターの僕がいなくてもちゃんと自分たちで歌い練習しています。ファシリが作ってしまった歌詞は決してこんなふうに自主的には歌ってもらえないけれど、自分たちで考えて作った歌詞はやはりしっくりくるんでしょうね、ちゃんと練習してくれます。そしてなんとコーラスを付け始めたのです。もちろん自主的に…。その歌声は、この悪いネット環境の中では絶対にアップロードできないので、帰国後に聞いていただければと思いますが、こんなに力強く美しい歌声はありませんでした。

何もかも完璧な南スーダンの難民の子どもたち。この歌詞の思いと歌声を伝えることは心理社会的ケアにおける第3段階「社会との再結合」に相当するので、ぜひ「地球のステージ」の中でも描いていきたいと思います。

歌詞の意味やその想いをロザリンが代表して語り、僕のチームは立派に歌い上げました。最後は3つのグループみんなが集まってみんなで大合唱です。3番までのこの長い歌を何度も何度も歌いながら、みんなで気持ちを一つにしていきました。

全く「やらされている感」のないこの音楽ワークショップ。大成功だったと思います。あ~、この歌声が皆さんに今、伝えられないことがもどかしい…。

明日の午前中ロザリンの元を訪ねます。

両親は2010年に南スーダンで殺害されています。今は生き残ったおばあちゃんと1人の妹、3人の弟と一緒に暮らすロザリン。どんな暮らしをしているのでしょうか…。

桑山紀彦

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