去年、「忘れられないあの日」でお父さんのお葬式を描き、翌日それを粘土で表現したベティ。19歳だけど小学校6年生の彼女は、
「今日は涙がでて本当に良かった。昔は泣いてしまうと心が折れてしまいそうで、怖くて泣けなかったけれど、今は学校に行けて目標が持てているから、泣くことは怖くなくなったんだ。」
と語り、お父さんをお葬式で見送った時のことを語ってくれました。
粘土細工は、小学校時代の図工を学んでいる日本人にはとても身近だと思うけれど、そういった授業のないこの地においてはおそらくが「触るのも初めて」という状況だと思います。でもベティはしっかりと形づくってくれました。
それから1年2ヶ月が過ぎ、今のベティはどうしているのか…。
今彼女が暮らすコボコの街に訪ねました。
去年の活動のあと、彼女は無事に小学校を卒業しました。でも中学校に行くお金はなかったし、体調を大きく崩して、実はコンゴの病院に入院していました。この北部国境地帯はかなりコンゴ国境に近いので、場合によってはコンゴで治療を受けるのです。
そして回復したベティは友だちを頼ってこのコボコの街に移住しました。今は近くにあるホテルのお客さんにお茶を出す「小さな仕事(Small Business)」を自分で開拓し、狭い路地に自分なりの店を構えてたくましく働いていました。
難民居住区を離れ、コンゴ国境のコボコに暮らすことは実は大変です。居住区内にいれば配給もありますが、ここは通常のウガンダの街なのでそういったチャンスは自ら捨てたことになります。
それでも「美容師になりたい」という夢を持ち、まずはお金を貯めたいと言っているベティ。こうして「難民ではない道」を選んでいく人もいます。
南スーダンを離れたという時点では難民となりましたが、ウガンダに暮らし、人間としてのチャンスを探し始めた時点で難民でなくなる人生を選択しています。それは平たくいうと「定住」ということだと思うけれど、それでも南スーダンへ帰りたいという思いは変わっていませんでした。だから今から一生懸命働いてお金を貯め、自分の夢をかなえるために頑張ろうとしています。
長い努力が必要かもしれないけれど、それでもあきらめずに前に進もうとしているベティ。自分の人生に自信を持って歩いて行ってほしいと思います。
たった1年でも人はこうやって変わろうとしています。立ち止まらない人生ってすごいなあ、と改めて思いました。
桑山紀彦