活動2日目

今日は保護者向けのセミナー&ワークショップです。

子どもたちへのケアをおこなっていますが、そこには保護者の理解が欠かせません。保護者が心理社会的ケアへの正しい理解をしていれば、例え子どもが夜にトラウマの出来事を思い出して涙しても、適切に対応できるようになると考えるからです。

今日集まってきたのはとても若いお父さんお母さんたちでした。こちらでは十代で親になることも珍しくないので、子どもが13歳であっても親も30代前半くらいの年代だったりするのです。

その中にいたのがルパティ・サミュエル君でした。一見クールなサミュエルですが、班の中での発表が終わり、班の代表となってみんなの前で語ることになった時、ゆっくりとその頬に涙が流れていました。彼のはりがねの人生もまた壮絶です。

みんなの前で
発表するサミュエル

「楽しいはずの小学校だったけれど、父が死に一旦はどん底に落ちたんだ。でも伯父が応援してくれて学校は続けられたよ。でもその伯父も亡くなり、またどん底に陥った。次は無理をしておじいちゃんが支援してくれたんだ。でも次はそのおじいさんも亡くなってまたどん底になった。でもその後は親戚の人に預けられて、なんとか苦労しながらここまで来られたんだ。未来についてはほんの少しだけ希望を持っているけれど、多くの希望は持てそうにないから、針金の登りはほんの少しだよ。」

多くの人々がその多くの人生につぶれそうになっています。難民となったということは大きな人生にいける最悪の出来事なのです。しかしその出来事をこうして人の前で語ることによって、その瞬間人生の主人公になります。もちろん悲しく、苦しい出来事も多い人生ではあるけれど、その瞬間は人生の主人公になれるのです。その「主人公性」を経験してもらうことが大切だと思うのです。

戦争などの被害に遭うと、自分はちっぽけで取るに足らない人間だと思えてしまっています。しかしこの心理社会的ケアではまさに自分の人生にも意味があり、語るに足る、生きるに足るものであるという感触を取り戻すことができます。

心理社会的ケアは、そんな一人一人の人生を重んじ、形にすることを大切にすます。そしてそれをみんなで分かち合うことで人々は勇気づけられ生きる力を得て人生をより良い方向に変えていこうという気持ちになるのだと思います。

難民になる前となった後の大きな段差、落差を自分の中でも認め、他者との中でも確認していくことでかえってその落差から来る呪縛を解き放つことができると確認しました。

この呪縛からの解放が難民の皆さんにとっては大切です。難民となったことの衝撃を受け入れない限り、本当の人間としての動きは出てきません。この動きこそが多くの資材投入や機会の創成を活かしていくに必要なものである。

共存というのは、難民のコミュニティにおける他者との共存。対象国であるウガンダの人間との共存を指しがちであるが、それ以前に、自分の人生の軌跡との共存が大切なのだ。その共存は自分の人生を受け入れることから始まります。はりがねの人生はまさに自分の人生を受け入れるためのワークショップなのです。

桑山紀彦

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