10月からの心のケア

 いよいよ心のケアも後半に入りました。

 閖上小学校は生徒さんが早帰りするために、避難所や文化会館、保健センターに拠点を移して「スカイルーム」を展開していきます。毎週1回、各仮設住居3カ所と文化会館、そして「地球のステージ」の50畳ホールにて、心のケアが始まっていきます。
 今日はその第1回目、下増田地域の被災した子どもたちとのワークショップです。
 これから3ヶ月間、取り組むのは「ジオラマ制作」です。
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(今日の下増田地区の被災した子どもたちが今日、つくってくれた”津波以前の私の街”)
 津波以前、津波直後、未来の3つの時制に分けて、自分たちの住む地域の様子をジオラマ制作していきます。
 その意図するところはこんな感じです。

①ジオラマ制作(3月10日の私の街)

 子どもたちが今一番求めているものは何かを考えてみました。それは「あの日の出来事をどう整理していくか」だと思います。そのために大切なことはまず、「津波の前の街はどうであったか」を制作することです。それがきちんと制作できてから、「3月11日、あの日の私の街」を制作していきます。

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(ちゃんと具体的に制作できました。来週は色を塗っていき、田んぼや道路を作っていきます。県道10号線沿いにちゃんと街がつくられています。)


 ◆回数:全4回

 ◆問いかけ:「みんな、辛いかもしれないけど僕たちの街が本当はどうだったのか、忘れないために再現しよう」

 ◆必要な物品:❶900mm×900mmの地図

        ❷紙粘土

        ❸サインペン、絵の具

        ❹ボンド

 ◆ねらい:自分たちの街が本当はどんな姿だったのか、思い出しながら制作していくことで変に忘れてぼやけてしまっているところを補正し、心の中の不全感を解消する。

 ◆ポイントⓐ:学年が縦割りになり、いろんな年代層の子どもが集まってくる可能性があるので、900mm四方の地図の中で役割分担を決めていくことで「共存」を目指す

 ◆ポイントⓑ:閖上も、下増田も地域としては広いので、ある部分を抜き出して「分担制」で行います。例え自分の家がそこになくても、自分が担当した部分を制作していきます。従って、閖上の場合は4地区に分けて制作し、最終的に4地域の作品が一つになって「合作」となります。

 下増田は、杉ヶ袋の交差点を中心にして「1点作品」を制作していきます。

②ジオラマ制作(3月11日の私の街)

 3月10日の私の街の制作が一段落したところで、それが一体どう変わってしまったのかを表現していきます。その制作過程の中で「何が起きたのか「本当はどうなっていたのか」を紡ぎ出し、自分の中で埋もれてしまったり、無理矢理閉じ込めていたり「正常性バイアス(被害が起きるわけはない)」によって閉じ込めてしまっている記憶がないかを緩やかに検証していきます。その中で、心の整理が進み心が軽くなって「語り」が促進されることを目指します。

 ◆回数:全4回

 ◆問いかけ:「みんな、辛いかもしれないけど僕たちの街があの津波によってどんな被害を受けてしまったのか、心の整理のために再現しよう」

 ◆必要な物品:❶900mm×900mmの地図

        ❷紙粘土

        ❸サインペン、絵の具

        ❹ボンド

 ◆ねらい:自分たちの街が津波によってどんな被害を受けたのか、思い出しながら制作していくことで変に忘れてぼやけてしまっているところを補正し、心の中の不全感を解消する。

 ◆ポイントⓐ:①で制作した同じ地域のジオラマを制作します。

 これに2ヶ月間をかけていきます。

 そしてその後に、

③ジオラマ制作(未来の“住みたい”私の街)

 自分たちが住みたいと思う街の姿をジオラマで形にしていきます。それを通して心の中にある願いを具体化し、表出していきます。それはおそらくそれを見た大人たちの心にも届くものになると思います。

 これが最後の1ヶ月の制作。3作品の完成に3ヶ月かけます。

請うご期待!

桑山紀彦


10月からの心のケア」への8件のフィードバック

  1. 子供たちがどう反応するか、不安を感じつつも立ち上がる気力を期待しながら見て行きます。

  2. 桑山紀彦 様
    ジオラマ製作と上記の内容とてもびっくりしました。
    このブログが被災者以外の多くの方にご覧頂けるといいですね。
      心の不全感を解消する・・・すばらしい取り組みに感激しております。

  3.            尾崎ハウス解体
     二十六歳で突然死してから20年。尾崎豊ファンの間で慕われてきた尾崎ハウスが老朽化のため解体されるというニュースが流れた。
     尾崎ハウスというものの存在を知らなかった僕は、この建物の存在を初めて知った。
     それは、尾崎豊の生家か、尾崎グッズを集めた記念館のようなものなのかと初めは思った。しかし、それは尾崎に関する来歴が特にあったわけではなかった。
     平成4年4月25日足立区先住河原町の民家の軒先で倒れていた尾崎は、この家の家主の通報により救急車で運ばれ、搬送先の日本医科大学付属病院で亡くなった。死因はいまだに謎であるが、この尾崎が倒れていた民家が後に尾崎ハウスと呼ばれるようになった。いつしか尾崎ファンが集まり、尾崎を偲ぶようになったである。家主は尾崎とはなんのゆかりもない人である。
     死後二十年たったいまも多くのファンが献花に訪れ涙を流していくという。多くの人々のこころに、強く大事なものを刻みつけた尾崎豊という若者はいったいどういう人だったのだろうかと考えてしまう。いま分かるのは、数々のヒット曲の中のメッセージを読み取るだけである。「十五の夜」は練馬東中学校三年のときに作った作品であり、「十七歳の地図」は青山学院高等部在籍の作品である。「卒業」は、高校を中退した後、卒業式のその日にライブハウスで歌ったものである。
     彼の生涯は二十六年という短いものであったが、僕なんかが100歳生きたとしても経験できない人生であったに違いない。
     尾崎ハウスは無くなっても、彼の歌声は、多くの若者のこころに刻み込まれ、消えることはないのである。
       和歌山   なかお

  4. 以前、「ローラ 叫んでごらん」という、
    1歳半の時両親にフライパンで焼かれた少女の記録が
    書かれた本を読んだことがあります。
    身体的障害もあり、
    口もきけず知的障害児と思われていたローラに寄り添った精神科医の先生が、
    たしかローラを箱庭で遊ばせるシーンがありました。
    この気の遠くなるような長い間のカウンセリングの末、
    ローラは見事に社会に復帰したそうですが、
    こういった作業がとても大事なのだと、
    気づかされた一冊でした。
    心のケアという問題が、ごく一般的に考えられるようになることを願っています。

  5. 難しいことは わかりませんが、子どもも おとなも みんな ストレスをため込まず できるだけ前を向いて歩けるよう 手芸しながら お話ししたり スカイルームでの プログラムをこなしていくことが大切なんでしょうね。
    桑山さんはじめ スタッフの皆さんよろしくお願いします。
    同じ手芸好きな仲間として 何か 手芸グッズ送っても いいですか?
    また 教えてください。

  6. 自分たちの街を形作るんですね。
    長い時間をかけて取り組む間に仲間の絆も強くなるのかな。
    ずっと寄り添ってくれる専門家がいてくれる安心感がありますね。
    急に晩秋の気温になってしまいました。
    桑山さん始めスタッフのみなさん、どうぞお気をつけて。

  7. 鶴岡一中二年です
    今日の地球のステージありがとうございました
    来年も聞けたら光栄です
    そして生徒会歌、歌い継いでいきたいと思います
    来年も楽しみにしています

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