血縁が奏でる未来

親父の弟に邦雄というとんでもない叔父さんがいました。

5人兄妹の末っ子として生まれ、勝手放題してきた伯父はアル中となり高山唯一の精神病院に35回の入退院を繰り返すというとんでもない人生を歩んでいました。若い頃はその持ち前のバイタリティで当時まだ流行る前の30分写真現像技術を先取りして、静岡市内で「千代田カメラ」という店を始めたりして、飛ぶ鳥を落とす勢いだった伯父ですが、その後の奈落に落ちていく人生は、子ども心に悲しく響いていました。

しかし、その後ある人との出会いで立ち直り「アル中地獄」などという本まで出版し、まさに復活の人生を歩んでいった伯父でしたが、10年ほど前に亡くなりました。その横にいて人生の復活劇を支えたのが、晩年に再婚した栄子さんという人物でした。

今日は年に1回の「いとこ会」。親父の弟、妹、それは僕にとっての叔父、叔母ですが、静岡県三島市から弘子叔母夫妻と大阪府茨木市から忠雄叔父夫妻、そして親父の兄、51歳で早逝した昭叔父の息子、つまり僕にとっての従兄弟にあたる直也夫妻(富山市在住)に僕の兄が加わって7人が高山に集まり、桑山家の歴史に花を咲かせました。

そんな中でみんなに見てもらったのが、先の暴走邦雄叔父を見事に再復帰させた栄子さんが最後に残してくれてアルバムでした。栄子さんも5年前、この世を去りましたが最後まで名古屋に住んでいた栄子さんを良く訪ねていました。そして突然亡くなってしまった栄子さんを訪ねた時、由比に住んでいて良く「地球のステージ」に来てくれていた栄子さんの妹さんが預けてくれたのが、そのアルバムでした。

今日改めてそのアルバムを見た時に驚いた写真がありました。それは28歳の邦雄叔父と、18歳の栄子さんが仲良く写っている写真だったのです。変です。だって二人がそれぞれ再婚したのはもう叔父が50歳を越えた頃の話ですから…。

親父の兄弟姉妹の中で一番若い、長泉の弘子叔母が教えてくれました。

「実はね、栄子さんは邦雄と同じ職場で働いていたのよ。そして邦雄のことが好きで好きでしょうがなかったんだけどね。邦雄は別の人と結婚していったんだよ。そして2人の子どもが生まれたのは紀彦も知っていると思うけれど、奥さんが心の病にかかってね、精神科の病院に入退院を繰り返していく中で離婚したのも知ってるよね。

栄子さんは邦雄が結婚して家族を持っても同じ会社で働き続けていたけど、どこかで決心をして自分も結婚したんだよ。でも子どもができなくてね。あの頃はそれはなかなか大変なことで、ついに離婚してしまったんだね。

それから長い年月が過ぎて、邦雄がアル中で崩れどん底にいたある日、ふと正気に戻った日があって、その時に邦雄は何を思ったか栄子さんに連絡を取ったんだね。そして二人は数十年ぶりに出逢って栄子さんはアル中の邦雄を受け入れ、ゆっくりと復活に向けて動き始めたんだ。

時間はかかったけれど、邦雄を信じ受け入れた栄子さんの力で邦雄は見事にアル中から立ち直り、お茶屋さんを始め、最後は幸せに名古屋で晩年を過ごしていた。

邦雄はまさに栄子さんのおかげで立ち直ったんだけど、栄子さんは長い長い自分の中の思いを遂げたんだね。この写真の時の気持ちを持ち続けていたんだね。」

もうこの世界にはいない人であっても、決して忘れないで時々思い出してあげることが本当に大切だと思いました。そしてその人の生きてきた人生の軌跡の中には、今を生きる私たちに多くの生きる意味を与えてくれることに改めて気付かされた思いでした。

時々血縁のある人間同士で歴史と未来を語ることをお勧めします。

桑山紀彦

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