この写真は3月18日、津波から1週間目にようやく時間を見つけて行けた名取市下増田北釜の空港脇にあった歩さんたちが絶命した消防車です。
発見当時は天地が逆さまになっていたのですが、中の3人を救出するため90度傾けた状態のものです。
歩さんの死を知ったのは3月14日(月)のことでした。そこからの出来事を時系列で並べてみます。
3月11日 被災
3月14日 知人より歩さんが消防車で絶命したことを知らされる。同日娘さんに電話。お母さんの落ち込みがひどくて心配と告げられる。
3月18日 北釜で消防車を確認。周囲の車両も撤去が始まって「このままではこの消防車が撤去されて、破棄されてしまうのではないか」と心配になる。
3月21日 歩さんの遺体に対面。とてもきれいで穏やかな顔をしていらっしゃることで安堵。
3月22日 消防車が少しだけ動かされ、撤去の雰囲気が迫っていると感じ、名取市消防署へ電話。消防署としても撤去と破棄は考えたくないと言葉をもらう。
3月25日 名取市消防署が自主的に消防車に張り紙をしてくれる。「この消防車を動かさないで下さい」と書いてあり、塚原さんの名前がある。
早速塚原さんへ電話。引き上げて保存したいという意向を伝える。口頭であっても「了解」という返事を頂く。
3月28日 名取市役所秘書課大久保さんに連絡。消防署の許可を得て桑山が一旦受け取って保存させてもらう事になったと伝える。「若生技建さんがやってくれると思う」と紹介してもらえる。
若生技建さんに電話。日程を確定。
3月31日 引き上げ当日。桑山が立ち会い。そのまま若生技建さんの敷地内に置かせて頂く。
4月5日 第1回山形南高等学校からの清掃隊が到着。消防車を磨く。
5月1日 消防車の所有については、3人の遺族、名取市、桑山らが複数で管理した方がいいという提案書を消防署に提出。
5月14日 第2回の山形南高等学校からの清掃隊が磨く。
5月21日 第3回の山形南高等学校からの清掃隊が磨く。
こんな流れでした。
いま、この時のことを思うと、
「良く消防車の前で泣いたな」
ということです。本当に毎日通って毎日泣いていました。それは毎日やってくる患者さんの生と死の物語が辛く、そんな中一生懸命自分を貫いて亡くなった歩さんの生き方が「支え」だったからだと思います。あの頃毎日毎日怒濤のような支援活動の日々の中で自分を支えるために、やはり「同士」のような人が必要だったんだと思います。もちろん我がスタッフや全国からの支援者のみなさんもすばらしい「同士」でした。そんな中に自分に正直に生きて亡くなっていった歩さんの生きざまが、重なったんだと思います。
いまでも、歩さんにしかられないような、恥じないような日々を送らないとと思っていますがその心を支えてくれているのがこの写真なんです。
桑山紀彦
歩さんへの心情、改めてよくわかりました。
消してはいけない「想い」は祈念館のテーマですね。
消防車の保存について、ご遺族は気持ちの整理と納得をされたのでしょうか?
この消防車を巡って、色んな人のおもいが、錯綜していますが、保存の方向に動くと良いですね。三人の方がさいごまで、地元の皆さんを守ろうと必死で動かれた証しですもんね。他にも沢山の消防の方が尽力された証しみたいなものだし。
桑山紀彦様
消防車の清掃と保存、津波に遭遇したすべての方に
いろんなことを想い起すきっかけになることでしょう。
保存は大変なことですがご苦労に頭が下がります。
日本一短い川
全長13.5メートルの川がある。和歌山県那智勝浦町粉白を流れる「ふつふつ川」である。国土地理院が認め地図にも記載されたれっきとした二級河川である。この川がいま大変役にたっている。
先般の台風12号は紀伊半島に大雨をもたらし、南部は土砂災害など大変な被害に見舞われた。那智勝浦から新宮に向かう紀勢線は豪雨で鉄橋が流されいまだに復旧のめどがたっていない。道路は各地で寸断され自衛隊が復旧に日々取り組んでいる。支援物資が全国から寄せられているが、いまだに停電や断水が続いている地区が何か所もある。
そんななか地から水がふつふつと湧き上がっているところから「ふつふつ川」と名付けられた13.5メートルの川が大いに役立っているというのである。
朝、洗濯物を抱えたおかあさんや飲み水をポリタンクに入れようとする子どもたちで賑わうのである。
見落とされがちなこの川にやって来たおかあさんは「ここで洗濯するのは初めてだけど、こんなに透き通ってきれいだとは思わなかった」。水を汲みに来た子どもたちはは「ここでは常に美味しい水を汲むことができる」と喜んでいる。
日本一短い川はこんなふうに役にたっている。
中国の荘子に「無用の用」という思想がある。
荘子は言う。何かの役に立つということだけが大切なのではない。役にたたなくても、いつか役にたつことがあり、すでに役にたっているものは、役に立たないものに支えられているというのである。
例えば、あなたは地面の上に二本の足でたっている。必要なのは足の裏に接している地面である。そうならば、周りの土地は不用であろうか。違うであろう。周りに地面があるから立っていられるのである。荘子は語るのである。
小さいからといって、僅かなことだといって、不用ではないのである。
日本一短い川は人々に大いに役立っているのである。
和歌山 なかお
この車に乗った方々は、危険を顧みず最後まで立派に、職務を全うされたんですね。
中国から来ていた研修生たちを助けたのに、ご自分は亡くなってしまわれた方のお話も聞きました。
老人施設で、入所者を助けて、流されていった職員がいたとも
聞きました。
津波警報の放送をしていた若い公務員の方が亡くなったとも
聞きました。
きっと、きっと、誰も知らないところでも、自分を犠牲に
された方々が大勢いらっしゃったと思います。
“赤い消防車”は、人々のために人生を全うされた方々の
シンボルとなってほしいです。
生きている人たちは、その犠牲を忘れてはいけないです。
生きている人たちはみんなで協力して、少しでも世の中を良くしていかなくてはいけないです。
そんなことを強く思った写真でした。
歩さんの消防車、桑山さんの原動力になっていたんですね。
何とか皆さんの気持ちを一つに、残せるといいですね。
歩さんの消防車、皆さんの合意が得られ保存され続けることを祈っています。
津波による心の傷の治療を目的とした『津波祈念資料館』のために(ラジオを聞き、より強く思いました)。
そして…いまだ被災地に行く機会を持てぬ者にとって、映像ではなく震災を肌で感じさせてくれる大切な存在です。
あの日から「自分に何ができるか」問い続けながら、行けぬ負い目がいつもあります…勝手ですが、行けた時に歩さんの消防車と向き合い、あらためて感じ、考えたい