1枚の写真から(第1回)~津波が去って

 「津波が去って・・・」

9/14-1
 この写真は3月12日朝8時30分頃の写真です。
 真ん中に写っているのは、11日の17時に診療を中止し、すぐ隣の下増田小学校に避難して一夜を過ごし、
「どれ、クリニックを開けよう」
 ということでとぼとぼ歩き出した我が副院長、藤川奈実香医師の姿です。
 
 あの朝は本当に良く晴れていました。
 11日の夜、雪が降ってずいぶん凍えましたが、朝はすっきりと晴れてまるで昨日の悪夢が何事もなかったかのような「空」でした。しかし「大地」は津波にさらわれ、ヘドロと瓦礫に埋もれ、遺体が道路に、庭に横たわるという世界でした。
 この日、良く覚えているのはこのあまりに良く晴れた天国のような空の美しさと、阿鼻叫喚の世界に巻き込まれ地獄と化した地上の哀しさでした。松任谷由実の歌に「悲しいほどお天気」というものがありますが、まさに「哀しいほどお天気」でした。
 ところが次に覚えているのは
「何が何でもクリニックを開放し、少しでも多くの被災者の皆さんを受け入れるのだ!」
 という使命感でした。
 電気は全くダメ。でも水は地下タンクの備蓄が残っていました。スタッフは・・・、看護師も事務スタッフもいません。でも明ちゃん、優子ちゃん、翔也君がいました。
「何とかなる!」
 と叫んで早速表の自動ドアを手で開けました。電気が来ていませんからね。その時の感覚、
「どんなことがあっても、この扉は開け続けるんだ。」
 という決心がつい昨日のようです。
 
 やがて9時を過ぎて一人、また一人とずぶ濡れの方が来始めました。
「家流された・・・。」
「娘が見つからない・・・。」
「家の中に一晩閉じ込められた・・・。」
 まさに、そこで起きている出来事が目の前で語られ、じわじわとこの津波の被害の大きさがわかってきました。何せ電気が来ていないのでテレビが見られない。情報から隔絶された僕たちに、大切な「本当の情報」をくれたのは、まさに患者さんたちだったのです。
 昼が過ぎても患者さんは切れ目がありません。でも全く何も食べなくても、何も飲まなくてもぜんぜん気にならないであっという間に夕方になりました。困ったのは「電灯がつかない」ことです。
 暗闇になっても患者さんがあの「開け続けた扉」をくぐって来てくれるのです。それを閉めるわけにはいきません。3月12日の夜の風はまだまだ冷たかったけど、一番外の扉は開け続けていつまでもいつまでも患者さんを待っていました。
 ようやく深夜になって患者さんが切れた時、朝から何も食べていないことに気付いたのです。でも、全くお腹が減った感覚はなくて不思議でした。こんなふうに人間は踏ん張りがきくもののようです。
 真っ暗に日が落ちた名取市下増田。空を見上げるとそれはそれはたくさんの星が見えました。
「名取にもこんなにたくさんの星が輝いていたんだ。」
 ふと言葉が口を伝って出てきました。でも今から思えばあの日天に昇っていったたくさんの魂が輝いていたのだと思います。
 忘れられない3月12日、早朝の写真でした。
桑山紀彦

1枚の写真から(第1回)~津波が去って」への16件のフィードバック

  1. 半年前なんですね。
    「ふんばれ!ふんばれ!」としか言えなかった日々でした。
    早朝4時のラジオ深夜便。ふつう聴かないよなぁーと思ってましたが、間違ってました!ごめんなさい!
    今日、職場に行ったら、同僚(といっても先輩ですが…)が私に近寄ってきて、「昨日と今朝、桑山さんの特集、やってましたよ!ラジオで。」
    すごい!ちゃんと身近に聴いてる人がいたんだ。
    その人は桑山さんのこと直接は知らない方です。
    12月、その方とも逢えますよ!桑山さん。
    ふんばれ!桑山!ふんばれ!

  2. 長瀞から一般道を走って自宅に帰る途中、なんか大変な事が起きてる? と思いながら運転し、一気に30以上のメールが来たのに気がついて、頭が混乱した事を思い出します。自宅に着いたら、娘が、「お母さん、東北が大変な事になってる。」と叫んで、テレビの前で呆然としたのは、つい半年前。
    随分と時間が経った気がするけど、まだ、半年。
    日本中で頑張らないと!と、思い直す今日この頃です。

  3. 地球のステージを見て、ブログを読んで、あの時の気持ちを維持しようと意識していますが、復旧・復興に10年を要するといわれているのに、僅か半年で、だんだんと遠くて人ごとのような感じになっている自分がいます。
    新聞では伝わらない記録で記憶がよみがえる「一枚の写真から」に期待しています。

  4. そこに、いつもの時間にあり続けることの大切さを上記ブログ記事から感じました。
    先生の病院は、基地なんだなあと・・・・。
    先生のスタンスは、そうなのですね。ガザの方にとっても必ず帰ってくる人・・・。

  5. 3月12日は晴れていましたね。
    一晩中震えて過ごした避難所をでて、朝日を浴びて歩いた道では寒さは感じずに家に戻りました。
    昨晩家まで戻れなかった多くの人達が、泥と流された車の間をとぼとぼと歩いていました。
    何も手に持たず濡れたまま歩いていた男性に、避難所でいただいたおにぎりを思わず手渡しました。「よく生きててくれました。」声にはだせなかったけど涙が止まらなかった。
    先生がクリニックを開けていてくださって、皆さんどれほど心強かったことか。本当にお疲れ様でした。怒涛の幕開けでしたね。
    この世で一番大切な命を、大事にしていきます。

  6. NHKラジオ深夜便
    ありがとう ございました。
    ******
    丁寧な記録は お互いに
    とっても
    いい 記憶 作りに なるんですね。
    ******
    墨あそび詩あそび土あそび管理スタッフ KENNTA
    墨あそび詩あそび土あそび管理スタッフ CHIKACCO
    ******
    特に 記憶 を 繋ぐ作業が 人間に
    大切なこと お教えくださり
    嬉しく お聞きしました。
    ******
    友人たちとも
    共有したい
    と 早速
    話しています。
    *****
    墨あそび詩あそび土あそび管理スタッフ KENNTA
    墨あそび詩あそび土あそび管理スタッフ CHIKACCO

  7. ラジオ聞かせていただきました。
    感動しました。
    私は陸前高田で被災しました。
    クリニックがひらいているということで
    さぞ心強いことでしょう。
    頑張ってください。

  8. あいさん、おひさしぶりです。おこらんどの皆さん、岩手のお父さん、もしかしたら初めまして!でしょうか?
    悪意に満ちたコメントや電話…「なんだかなぁ」って桑山さん達も被災者でありながら地域の皆さんのために働いてるのに…って思わされる事が度々ありました。今日は嬉しかったです。やっぱり気持ちが伝わってるって思えて。満員電車の中で涙がでました。陸前高田の市長さんは娘の高校の先輩で同窓会が陸前高田を支援しようといごいているようです。
    みんなで頑張りましょう!

  9. 桑山紀彦様
    ラジオ深夜便14 日後半のお話も拝聴しました。
    歌『この国から~』再度お聞きしましたがやはりいいですね。
    なんとも居心地がいいのです・・・不思議なメロディです。
    大地深くから叫んでいるようにも聞こえるのです。
    一枚の写真から~・・・これからずうっと見させて頂きます。

  10. 始めまして、ラジオ拝聴してから毎日交信しているという、先生のブログを拝見させて頂きました。
    先生やスタッフの方達は被災されながらも、地域の皆さんの為にご奮闘され、震災で不安の気持ちで居た人達は、先生に話しを聞いて頂けて、どれだけ心が救われた事でしょうね。
    私は定年退職まで岩手に住んでました(現在は別の地で暮らしてます)連れ合いが逝ってから15年になります、他人が困っているのをだまって見過ごす事の出来ない人でしたから、生きていれば、ボランテイァに参加したと思います

  11. 「1枚の写真から~」
    起こってしまった出来事を乗り越えるためには、きちんと向き合うことが大切なんですね。
    写真を通して桑山さんが生活者のレベルで振り返って下さることで、被災地から少しずつ心が離れていっている者(私自身のことです)ももう一度、被災された方々の近くに寄り添えると思います。
    “ラジオ深夜便”を私は聴いていませんが、放送でこのブログをご覧になる方が増えたことで、桑山さんの目指している
    ことなどが正しく伝わっていくことを願っています。

  12.       もう一つの被災地からの報告
     今日、和歌山市において、宮城県大崎市の松山高校の先生から、被災地における学校の様子についての報告会があり行ってきました。
     まず、教育現場における犠牲者の数は、幼稚園(死者7名、行方不明2名)、小学校(死者163名、行方不明23名、教職員死者11名、行方不明3名)、中学校(死者65名、行方不明10名、教職員死者3名)、高校(死者75名、行方不明12名、教職員死者1名)、支援学校(死者5名、教職員死者1名)と報告されました。
     続いて、教育関係の建物被害。県立学校全壊91、半壊97。市町村立全壊663、半壊785。以上が宮城県内の学校の被災状況です。その後の影響として、宮城県沿岸3高校移転、移動60キロ教室バス移動、気仙沼向洋高校の生徒は3校に渡り行ったり来たりしている。曜日ごとに異なる学校で授業をおこなっている。
     報告をされた松山高校は内陸部にあり、そのためかあまり報道されなかったが、それでも校舎の大部分が使用不可となっているという。仮設校舎で授業をしている学校は多数あるともいう。
     
     もう一つの、被災地報告なのである。
       和歌山   なかお
     

  13. 震災の翌日…晴れてましたね。でもあまり記憶がありません。寒かった…閖上に行きたいって事ぐらいかな。 桑山先生や明ちゃんと共に居れば安心だったのかな…

  14. 深夜便が聞けることがわかってうれしく思っています。
    後でゆっくり聞きますね。
    明ちゃん、優子ちゃんも大変な思いで過ごしていたんですよね。
    夏休みのキャンプに参加したときに少しは思いを出せたのかな。
    二人とも桑山さんと一緒にいろんな経験をしてきたけど、今回は本当に辛いと思います。
    二人が心から笑顔になれるよう願っています。

  15.  震災から半年・・・。
    やはり、もう半年という気持ちになります。
    子ども達をお預かりする仕事をしている者として、多くの事を考えさせられる半年でした。
     今まで淡々とやっていた防災訓練を根本的に見直し、マニアルを作り直しました。 
     AEDの講習をまた受けました。
     ガラスが割れた時、飛び散らないようフィルムの代わりにプチプチを貼りました。
     私達は、やはり甘い考えでいたと痛感しました。
    まだまだやっていくことがあると思います。
     その時に、動けるだろうかという不安もいっぱいあります。
     しかし、大切な子ども達の命を守るためやれることはやっていきます。
    そして・・・
    1ヶ月後!桑山さんにお会いできますね。
    チラシも配り始めました。
    写真展の準備にも入っています。
     以前、コメントしてみえた大垣北高校の卒業生さん、各務原の方、10月15日(土)笠松町の中央公民館3階大ホールで19時から「地球のステージ5」を開催します。
    よかったらお出掛けください。
     桑山さん!お待ちしています☆

  16. ご無沙汰です。
    昨日
    福島 いわき
    からじゃんがら念仏踊り
    万博公園の 民俗博物館
    に らいほう 郷土民芸披露
    される
    おこらんど
    おぎようこ

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