あの日から半年

 ついにやってくる9月11日。

 その半年目に自分はどうしているのか、ずっと想像しながらこれまでやってきたように思います。
「少しでも良くなっていますように」
「多くの事柄が元と同じになっていますように」
 いろいろと考えてきました。
 確かにクリニックや「地球のステージ」はかなりの部分元に戻れたように思います。患者さんはいろんな意味で増加傾向です。近くに美田園の仮設住居があるので、そこからの高齢者の皆さんの内科受診が増えています。
 心療内科はずいぶんテレビや新聞に出た影響もあって激増の一途を辿ってきました。そのため震災関連の新患の方のみにさせて頂いている状況が続いています。
「見て見ぬふりしない医療」
 を目指しているのに、震災関連ではない人を受け入れないのか、という批判も頂きましたが、たった一人の心療内科医で、しかも診察日が月曜日と木曜日の週2日しかないのですから申し訳ありませんが、制限はやむなしと思ってこれまでやってきました。それでも昨年と比べると約5倍の新患数です。それでも救いは、
「良くなりました~」
 といって2,3ヶ月で外来が終了する方が多いことです。元々の疾患ではなく純粋に震災と津波によって引き起こされた「心の苦しさ」ですから、きっかけをつかんだり、時と共に楽になって行かれる場合は多いと言うことです。
 「地球のステージ」はおかげさまで依頼件数は増えています。
 確かに岩手、宮城、福島からの依頼は激減しました。しかしその代わりに全国の皆さんが、特に西日本の皆さんが一生懸命呼んでくださっているおかげで、この秋はほとんど1日も休みがありません。でも、そうやって「伝えていくこと」が大切と思っている私たちにしてみれば、本当にありがたいことです。
 こうして、クリニックと「地球のステージ」はかなりの部分が元に戻り、通常に近くなってきていますが、とても辛いのは僕たちのすぐ隣にいらっしゃる、「亡くした人たち」です。
 亡くなった人は還ってこない。
 無くなった家は元には戻らない。
 失ったものは、もう返らない。
 その苦しみと落ち込みに今もさいなまれ、半年が過ぎても全く変わらず心の苦しさに苛まれている人がどれほどたくさんいるか・・・。
 そのことを考えるだけで、胸がバクバクしてきます。
 この半年でいったいどれだけの死の物語、喪失の記憶を聴いてきたでしょうか。ざっと数えると実に200人近い新患の皆さんに来て頂きました。そのほとんどが必ず大切なものを失っている方々です。
 その慟哭と涙の語りにずっと付き合ってきました。
 時には僕も耐えられず、そこで号泣したり、一緒に静かに泣いたりしてきました。それでもどうしても耐えきれず、いくつかの物語をブログの中で表現させてもらいましたが、それも批判にさらされてきました。
 それでも
「あっという間だった」
 といった方があたっているように思います。いくつかの山場がありました。
 直後~もう経営も破綻、「地球のステージ」の公演も出来ず、「食べていけない」と絶望したとき。
 3週間目~第1回目の疲労期。それまで勢いで来れたものが、このあたりに1回がくんとエネルギーが落ちて集中力を失い、へこんだ時期。
 3ヶ月目~毎日がなんだか間延びした感じがしてきて、来る日も来る日も同じことを繰り返していることに消耗し、第2回目の疲労期を向かえました。
 そして6ヶ月目に入る頃~ようやく半年が過ぎたという気持ちと共に、ぜんぜん良くなっていないこと、変わらないことが目立ってきて、「もう半年が過ぎているのに・・・。」という思いで焦りが生じてくる時です。
 これらの山場。辛かったですね。でもよく考えてみるとこれはすなわち僕の外来を訪れた皆さんも一様にこの4つの山場の苦しさを訴えていらっしゃったことに気付くのです。
 そしてこの半年目、第1回目の「記念日反応」が来ていることに焦りを感じます。
 いろんな意味で区切りの第1回目、それが半年目です。この時点で人はこれまでを総ざらいして評価したくなっています。
「半年でここまでやれた」
 と思える人はいいですね。順調に回復していけるかも。
「半年なのに、まだこれだ」
 と思っている人は、これからが辛いですね。どんどん世の中から置き去りになっている自分や、一般社会から隔絶されたような感覚に陥っていく時期でもあります。
 だからここで大切なことは、もう一回3月11日のことをしっかり思いだし、それでも、「こんなことが出来るようになった」
「こんなことは良くなっているじゃないか」
 ということを逢えて意識してあぶり出し、自信につなげていくことだと思います。
 こうやって見ると来年の3月11日はいったいどんな日になるのか。もちろんその日は一切予定を入れず、名取で静かに仲間たちと過ごしたいですね。この震災と津波で知り合うことが出来た大切な人たち、江里ちゃん、太さん、隆さん、愛ちゃん、小斎さん夫妻。そして明ちゃん、優子ちゃん、リンリン、ケンケン、悠ちゃん・・・。みんなと静かに2時46分を迎え、閖上の海に向かって叫びたいです。
 その時、どんな言葉を叫びたくなるのか、その日その瞬間まで逆に考えないようにしていたいと思います。
 そんな節目の9月11日、札幌でのステージがあって良かった。
 札幌西高等学校の田辺先生を中心とした自主企画ですもの。もうチケットもかなり売れているようです。
 ぜひ札幌近郊の方、日曜日午後1時30分から、札幌市北区の藤学園のホールでお逢いしましょう!
桑山紀彦
桑山紀彦

あの日から半年」への7件のフィードバック

  1. お疲れ様です。 本当に“あっ”と言う間の半年間でした。まだまだ手付かずの地域も沢山あるみたいで、少しずつ 一日でも早く日常に近い生活に戻って欲しいし、戻れるように考えて欲しいです。9月22日までだった電力使用の制限も昨夜で解除されましたが、東北では夜、電気がつかない地域もあると今朝テレビでしりました。ちょっとショックでした。かんさん、残念でしたが、のださんたのむよ!って願うばかりです。
    明日も良いステージになりますように。ステージが終わる頃から、私は”しょうご~“頑張って来ます!

  2. いつも想って頂け、嬉しいです。明日で半年…まだ半年… 未だに怖くなるし、最近は違った怖さが出てくる様になりました。 月曜日また病院でよろしくお願いします。
    明日気を付けて北海道に行って来て下さい。

  3. 半年。まずは本当にお疲れ様。本当にいろんなことがあったと思う。もしかしたらほとんどが辛いことだったのかなと思う。けど、親父さんがよく言ってるように絶望の中の1%の希望。それもあったのかなと思うな。まだまだ爪痕は残ってるよね。俺ですらたまにあの名取に入ったときの感覚名取にいたときの感覚が戻ってくるときがあるんだから。俺らもできる範囲で精一杯関わって行けたらと思うから改めてこれからも頑張っていきましょう。必ず光はあると信じて。
    体に気をつけて。皆さんにもよろしく。
    おやすみ。

  4. 報道を見ていても、気力が萎えて絶望感を苛まれる人が増えている感じがします。復旧の目途も立たず、落ち着く場所も定まらない不安はいかばかりかです。
    やはり人間は、寄り添い、支えあうことが必要だと気付かされます。厳しい境遇に遭っていない自分には下手な慰めは云えません。心療内科が大変重要だと云うことはわかります。
    話は変わりますが、大宮のステージにはちょっと腹立たしい思いがしました。桑山さんプロフィールの間違い、ちょろちょろ途中入場者、退席者の多かったこと、無礼千万!主催者の取り組み意識を疑いたくなりました。

  5. 長いような、短いような半年でした。
    震災以前からの患者なので、先生がお忙しいのにもかかわらずこの半年変わらず診察していただけて感謝しています。
    とても大変な状態で業務をこなされていることを、このブログで知り、もう通院止めようと思ったことは数えきれないです。私より先生に診察していただく皆さんはたくさんお出でになると思っていました。
    でも私の心も震災のショックに耐えられる状態ではありませんでした。
    早く立ち直りたいと思い先生に支えられる日々。安心できる病院があることは大きな支えでした。
    私はもう大丈夫と笑って言える日まで遠くないかなと思うときがあります。
    先生の物凄いお忙しさと背負っていらっしゃることの大きさ、想像を超えるであろう風当たりの強さを乗り越えるやさしさと強さを尊敬しています。
    弱り切って自分を無くしていた時の私を思うと、今は息をしていることさえ嬉しく思います。
    震災から半年と区切りのように報道されていますが、一日一日が大事な日と思います。まだまだ心と体が思うように動けない人も多いです。一人では立ち上がることは難しいけれど、人に支えられながら自立できる方向に行けたらいいなと思います。

  6.       ボクの「病床六尺」
    津波から半年という記念すべき日に入院します。
    あれから半年というか、まだ半年というか、もう半年なのか、あまりにもいろいろとあった日々だと思います。多くのことを日本人全体が学んだことに違いありません。そして、ボクも・・・・・・・。
     でも、ボクはどれだけ、利口になったのでしょうか。
     「病床六尺」とは、正岡子規が死の二日前まで書き続けた随筆です。
     不治の病のなかで自分の世界はわずか布団に横たわる六尺のみ。そのわずかな世界のなかで、庭に生える草花を楽しみ、枕元の果物に頬を緩め、未来の子どもたちのために教育論までした。旺盛な好奇心は尽きることはなかったと。正岡子規はすごいなあとつくづく思う。
     ボクの「病床六尺」はただ、震えるばかりだろう。伊丹にある近畿中央病院はボクにとっては牢獄のように思えます。怖い怖いなあああああ。
     今日より入院なのです・・・・・・。
       和歌山   なかお

  7. 桑山さんのブログとともに震災と向き合ってきた半年でした。
    このブログには真実を伝えていただき、本当に感謝しています。
    桑山さん、有難うございます。
    予想外の大きな被害に未だ復旧のめどが立っていない地域も多く、胸が痛いです。
    被災地を忘れないために、区切りの日は大事にしなくては、と思います。
    8月のステージは会場設営で須藤さんに大変ご苦労をおかけしながらの公演でした。
    今、広めようという動きが出始めています。蒔かれた種が育つことを願っています。
    被災地への想いがこれからより大きくなるよう、声掛けをしていきたいと思います。
    桑山さん、明ちゃん、優子ちゃん、スタッフのみなさん、これからもよろしくね。

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