今日も早朝からエレズの検問所を抜けガザでの仕事でした。
今日は一気に南に下りラファの町に入ってセミナーです。集まってくれたみんなは現在心理社会的ケアのトレーニングを受けている団体のファシリテーターさんたちです。
心理社会的ケアはガザでも大人気ですが、なかなか実際にそれを教える人がいません。そこでうちの5人の有能なスタッフは他団体のワーカーさんたちに心理社会的ケアを教えてもう3年目に入っています。今回新しく作ったセミナー資料の説明のあと、映画「ふしぎな石~ラマラの大地」を見てもらいましたが心理社会的ケアの奥の深さを感じてもらえたようでした。
そして質問タイム。
「Un-happy day(不幸せだった日)をみんなで描こうとしたけれど、なかなか描けなかった。こんなときはどうするといいのか。」
みんなまだまだ学校の先生たちのように「いいものを描かせてあげたい」と願っているのでしょう。それはそれで優しい気持ちです。でも心理社会的ケアは違います。こう答えました。
「いい質問をありがとう。描画セッションは”絵を描くこと”を目的にしているものではありません。”絵を描くことで、自分のトラウマの物語を語りやすくする”と言うことが本来の目的です。だから”絵を描く”と言うことは、吐き出すための一つの”ツール”なのです。
だからその時みんなが描けなかったからといって、描かせるものではなく、みんなが描けなくて”白紙”であっても良いということ。”白紙”も一つの答えなのだと言うこと。
そしてなぜみんな白紙なのかを共に考え、ではどうしたらその「不幸せだった日」を描けるようになるのか、その手法について話し合うことにもまた意味があるのです。そんな視点でこの手法を身につけていってほしいと思います。」
みんなちゃんとうなづいていました。
この発想の転換が今のガザに求められているのではないでしょうか。いいセッションがで来たいと思います。
そしてみんなで記念撮影を行い、残りの9ヶ月間の学習を誓いました。
もしかしたら設立できるかもしれない「心理社会的センター(Psychosocial Center)」の構想もこういった活動の延長の中で考えると、現実味を帯びてくるように思います。
さて、帰りのクルマはマジディの運転です。そしてルーリーに再会しました。
我が娘のように思って接してきたルーリーは今19歳になりました。アル・クーツ大学の英米文学・通訳翻訳学科の1年生です。英語で生きていこうとしています。身長も伸びて171センチ。長身の美女です。
「今はね、大学が楽しくてしょうがないよ。英語を使っていろんな人とつながれている。将来はもちろん先生になりたい。その次は通訳者。なんとかその道でやって行けたらいいな~。」
19歳とはいってもあどけさの残るルーリーはクルマの中でもずっとしゃべりっぱなし。絵美さんとは女子会系の話で盛り上がっていました。彼女と初めて逢ったのは、亡きダルゥイーッシュの家。ルーリーが7歳の時でした。それから12年が過ぎ、立派な大人になってきているルーリー。そんなルーリーに今回こそは再会できると思った5日前、珍しく曲が出来ました。もちろんルーリーのための曲です。
「彼方(かなた)へ」
2年半ぶりの新曲ですが、ヨルダン川西岸篇2で使う方向です。ずっと接してきたルーリーですが、最近のガザの入域制限で本当に会いにくくなっている状況だからこそ出来た曲なのかもしれません。でもルーリーはまだ自分のことが曲になったことは知りません。いつか、歌ってあげたいと思います。
桑山紀彦