活動4日目

今日は朝から外部トレーニングのためのセミナーでした。

この心理社会的ケアに関わるソーシャルワーカーやカウンセラーに対する心理社会的ケアのさらなる知識の向上を目指して行うものです。今日は新たに作成したスライドと共に講座を行いました。そしてディスカッションで出てきたこと。

「この地の子どもたちには、心の状態にも大きな差がある。タフな子どもたち、そうではない子どもたち。タフな子どもたちはいつも言います。

”オレはトラウマなんて受けていない。あれは心の弱い奴らが受けるものだ。”

そんな時はどうするといいのか。」

難しいテーマです。トラウマは「出来事」であって、心の弱さ強さには関係ありません。そういう出来事に「曝された」時点でトラウマと呼びます。ただそれをどう受け止めるかによってケアのモデルが違ってきます。

でもどんな心の状態であっても、ちゃんとフォローするためにわざわざ2次元表現から始めていくのだと言うことが伝わったと思うと同時に、今日みんなと共有出来たことは、

「トラウマは乗り越えるものではなく、共に生きていくものだ」

という考え方。日々暴力行為が起きているこの地においては、トラウマに対してまず「辛いから隠す」「なかったことにする」のはまず無理と思われます。では「乗り越える」「克服する」ということが可能か?否、それは方向性として違っていると考えたい。だったら「共に生きていく」「時にはそれを利用して生きていく」ということを目指したいのだ、それがこの心理社会的ケアの本筋なのだと伝えると、なんと多くの参加者がうなづいているではないですか。これにはびっくり。

トラウマを実際に日々受けているパレスチナの人々。彼らにしてみれば

「共に生きていく?は?冗談じゃないぞ!乗り越えなくてどうする!?」

といわれても仕方ない状況です。にもかかわらずこの「共に生きていく」「時にはそれを利用して生きていく」に対して共感してもらえたのです。やはりこの人たちと共に心理社会的ケアを広めていく仕事をしていきたいと思いました。

最後に昨年撮影した映画「ふしぎな石~ラマラの大地」を上映しました。みんな一心に見てくれています。終演は大きな拍手で受け止められました。

そしてみんなに伝えたこと…。

「考えてみれば、サディールは従兄弟を殺害されなかったら、この映画を共に作ることはなかった。失ったものは大きい。でも得るものもある。それがトラウマと共に生きていくと言うことではないだろうか。」

心理社会的ケアがゆっくりと浸透していっていることを感じます。

今朝はニッポンの味第3弾。日清カップヌードル(標準版)。でもこれ以上これを続けると皆様からおしかりを受けそうだから、一旦このパターンは今日で終了!

桑山紀彦

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