乗鞍登山

   今日は次男と共に乗鞍に登りました。

 毎年夏に一山ずつ登ると決めて、今年は我が故郷の乗鞍岳に登ることにしました。

 小さい頃から慣れ親しんできた山、乗鞍岳。「のりくら」の「のり」が自分の名前と共通であることも親近感がわく一つの理由でしたが、やはり出身の高山市立松倉中学校の校庭から見た夕焼けに燃える真っ赤な乗鞍岳の姿が忘れられず、自分の心の中の守護山でもあります。

 昔は2700Mの畳平(たたみだいら)まで自分たちのクルマで行けました。よく親父に連れて行ってもらったものです。高山市からだと約1時間で畳平に着きますから。

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 これは昭和47年の乗鞍スカイラインの様子です。まだ自家用車が乗り入れていました。

 現在では自然保護の観点から一般車両は通行止めとなり、松本、平湯、そして高山側のほおのき平からシャトルバスが出ています。その方が気楽でいいと思いました。

 朝の6時に実家を出てほおのき平のバス停を6:55にシャトルバスで出れば7:40には2700Mの畳平に着きます。そこから一気に3026Mまでの300Mを登ります。しかし懐かしい。やっぱり子どもの頃に登った山というのは格別な思いがあります。なぜなら山はその多くの風景が変わっていないからです。

 山の稜線の形、雪渓、這松の伸び方。すべてが昔見た「乗鞍岳」の風景。やっぱり“変わらない”って大切なことだと思いました。

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 現在の乗鞍登山道です。

 昨年月山登山で結構しんどい思いをしたのですが、それに比べると乗鞍登山は初級中の初級。みると運動靴でない人やスカートの人もいます。う~ん、これはハイキングだ・・・。

 しかし最後の登りはやはりきついし、3000Mを越える剣が峰ですから酸欠症状の「頭の奥がしんしんと痛くなる症状」が出てきてそれなりの苦しさがあります。そんな時やはり、

「なぜ登るのか」

 の問いかけが心に去来します。

 別にお盆休みなのだから実家でゴロゴロしててもいいんです。でも、やっぱり山に登ると決めたのだから、登ろうと思うんです。それはわかりやすく言うと、

「自分をごまかしたくない」

 気持ちにつながっているように思いました。

 この平和で満ち足りた日本において、次男にも何らかの苦労とそのあとの達成感を味わってほしいという“願い”から逃げたくないという思い。

 きっと乗鞍は美しく、懐かしいだろうから“感動したい”という思いから逃げたくないという思い。

 登りはきついけど、自分もその苦労を乗り越えることでやる気や勇気が出てくるのではないか、という“期待“から逃げたくないという思い。

 要は自分の心の中に浮かんだ思いや願い、希望に対して嘘をつきたくないという思いで登るんだと思います。そしてやっぱり登ってみると、

「やっぱり行って良かった~」

 と思えてしまう。人間は逢えて山登りの苦労と、そのあとの感動を求めて動ける生き物なのだと思います。もちろん家の中でゴロゴロだっていい。でも、ふと日常から離れて、非日常の中に身を置くことで変化する自分を探しているなら、身近なところでいいので山登りはたいへん有効だと思いました。

 月山の登頂を10とするならば、「5」あたりで行けてしまった乗鞍岳の最高峰剣が峰でしたが、やっぱり山はいいです。

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 このあと天気は下り坂。早めに登って良かった~。

桑山紀彦

乗鞍登山」への7件のフィードバック

  1. 人間も自然に生かされている生きもの。
    自然を壊して開発されつくした場所に生きる人間にとって、山は数少ない自然に帰れる所です。景色も、空気も、風も、時間も、本来のものが残っています。
    だから、何も考えずに、ひたすら有るがままに身体を委ねるのが一番です。
    そして、満足感と明日へのエネルギーを僅かながらに感じられれば昇った価値ありです。

  2.       フェルメール
    京都市立美術館へフェルメールを見にいきました。
     本名ヨハネス・フェルメール。現存する彼の作品数は世界に三十数点しかありません。三十四点とも三十六点ともいわれるのですが、作品数が極めて少なくブランド性も高い上に贋作も多く真正の作品といわれているのは限られるのです。近年になりフェルメール作品と看做された作品はロンドンのサザビーズで三十三億円で落札されたほどです。
     今回日本にやって来たのは修復したばかりの「手紙を読む青衣の女」、「手紙を書く女と召使」「手紙を書く女」など三点。同時代の他の作家の作品数十点です。
     ヨハネス・フェルメールは1632年にオランダのデルフトに宿屋兼画商の倅として生まれました。1675年には亡くなっているのですが、その生活は窮乏を極めたようです。フェルメールが亡くなった後の妻の手紙には「亡夫は数年前のフランス国王との戦争以来、ほとんどあるいはまったくの無収入で、扱っていた絵画も大損覚悟で子どもの養育のために売却せざるを得ませんでした。それをひどく苦にし、ある日は元気かと思えば、あるいは病気といった具合でした」と綴られている。
     そんな生活のなかでも傑作を残したのである。
     「いい絵はいつまで見ても飽きることがない」といわれるものですが、フェルメールはさらに超越していると思われる。その理由は次のようなものです。
     絵がキャンバスに油絵の具で描かれていることを感じさせない。絵に吸い込まれるからである。なぜならキャンバスにあるのは絵ではなく、17世紀のオランダの社会そのものがあるからである。私たちは額縁の中にある絵を通して17世紀のオランダへタイムスリップするのである。時空を超えてその時代を覗き込むのである。
     描かれている人物は、手紙を読んだり書いたりしているのであるが、彼らが何を読み、何を書こうとしているのか、その頭の中で何を考えているのか、その思考までが見えそうである。ラブレターと見るか、両親への手紙かとみるのは鑑賞者の想像力によるが、とにかく人物の思考が見えるようである。
     最後に、人物の性格までもが描かれているようなのである。これはもはや絵画ではない。絵画を通してその時代や人物像を映画のように、まざままと見せつけている。
     私たちが普段目にする絵画は、キャンバスという素材に絵の具を塗ったものである。その描き方や塗り方が旨いとか綺麗とかいうそういう絵である。フェルメールはそんな絵の常識の外にある絵画なのである。名画とはこういうものかとあらためて感じ入った次第である。
     絵画に興味のある方はぜひ、京都市美術館へ赴きフェルメールをご覧になっていただきたい。
       和歌山   なかお
    追伸 
     画集を見たり、写真を見たりしても、フェルメールの凄さは分かりません。

  3. 今回は一人で登ったんですか?
    涼しかったじゃろう。ここ数日暑くて… でも 川に面した部屋は夜中からとっても涼しくなります。良きにしても悪きにしても自然ってスゴい!
    10年近く前ですが八王子の某小学校で地球のステージがありました。地球のステージを呼びませんかと保護者に声を掛た先生が、長男の小学校2年生の時の担任の先生の旦那様だったことがわかりました。私達が地球のステージを企画し事を知り、自分の小学校の先生方に「行ってごらん」と声を掛けて下さってるみたいです。
    地球のステージのお盆休みも終わりですね。明日からファイト 一発?

  4. 山登り、気持ちよさそうですね~。桑山さんの笑顔が輝いています!
    爽やかな山の景色にリフレッシュできて良かったです。
    明日からまた日常ですが、まだまだ暑いですからご自愛くださいね。

  5. 私も 山登り結構好きです。息子さんと登れて 良かったですね。
    私は、妹や友だちと 二上山や 葛城山や 金剛山と近くの山に 登っています。
    年に一度は 大台に!
    娘たちとは登ったことがないので 桑山さんのブログ読んでいて 一緒に登りたいなあ~と思いました。
    ちょっぴり休めて 良かったですね(^O^)

  6. 札幌の東田です。
    桑山さん。お久しぶりでした。
    山登りいいですね。青空をバックに桑山さんの笑顔、
    これまたいいです。少しはリフレッシュできたでしょうか。
    おやじの会のメンバーにも山好きがいて、私も一緒に登ったりします。北海道の山もいいですよ。いつかご一緒できればとも思いますが・・・・
    9月にお会いできることを楽しみにしています。

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