今日は洋子さんと会いました。
洋子さんは大好きな小斎さんの奥様。小斎さんは閖上3丁目に住む生粋の閖上人です。閖上小学校、閖上中学校の卒業生で、ずっと閖上に暮らしてきました。そして家のすべてを失いました。今は土台もありません。
でも小斎さんは言います。
「僕はもう一回閖上に家を建てる。小さくてもいい、絶対に家を建てるんだ。」
74歳の決心は僕たちを勇気づけ、小斎さんの夢を一緒に追いかけることにしています。
その奥様の洋子さんはいつも変わらない視線と優しい心で大好きです。今は子どもも大きくなりお二人で大きなお屋敷に暮らしてきたけど、今は仮設住居に暮らしています。洋子さんは宮城県古川市の出身だから
「私は閖上にはこだわらないなあ。また津波が来たらどうしようかなあ、って思うから怖い気持ちがあるのよ。」
でもご主人が戻るといえば、一緒に戻っていかれることでしょう。そんな洋子さんが言います。
「最近、いろんな事が”小さくなっている”のよ。」
「小さくなっている?」
「そう、仮設住居に住んでいるとね、テーブルも小さいし、お皿も小さいし、いろんなものがすぐに手に届いちゃって、自分の周りが小さくなってしまったように思うの。」
「・・・。」
「するとね、人間まで小さくなっちゃったんじゃないかって思えてくるのよ。」
「・・・。」
「こぢんまりしちゃって・・・。」
「そう感じますか・・・。」
「最近特にね・・・。このままじゃダメだって思うんだけどね・・・。」
これが仮設住居に住むということです。それまで小斎さんは本当に大きな一軒家に暮らしてきました。大きなテーブル、大きなお皿、長い廊下、踊り場のある階段。その空間にある距離感が今の仮設住居とは全く違うのです。洋子さんは一生懸命それを受け入れようとされていますが、最近自分が小さくなってしまっていることに気付いたのです。どうするといいのでしょうか。
「洋子さん、山に登りましょうよ!」
「そうだね。山登りしてたからな・・・。」
「山のてっぺんに登ったら、ぐるっとすべてが見渡せて、す~って思いっきり空気を吸ったら、また人としてでっかくなれますよ!」
「そうだね!」
「とりあえずどこから登りますか?」
「う~ん、月山はよくいったけど最後の昇りがきついからねえ。」
「そうそう、月山は最後のガラ場がきついですね。蔵王のお釜から1時間くらいの刈田岳はどうでしょう。」
「うん、いいね。でもね、山登りの道具もすべて流されちゃって・・・。」
「そっか・・・。今度一緒に買いに行きませんか・・・。」
「私はいいけど、お父さん凝るからなあ。ちゃんと一式そろえないと気が済まない人だからな。」
「一式そろえましょうよ!」
小斎さん夫妻と一緒に”山に登る会”を開きたくなった桑山です。
さて、午前には清江さんも来てくれていました。近くのお百姓さんです。一生懸命上澄みの土5cmをはぎ取り、本来はお米を作るその土地を畑に変え、あれやこれやと野菜を栽培しているのです。
「今日ね、いい賀茂ナスが取れたのよ~。ほら見てすごいでしょ、立派な賀茂ナス。これね、塩分濃度が高いところでもここまで大きくなった貴重なナスなのよ。だからぜひみんなに食べてもらいたくて!」
本当に立派なナス。我が下増田の農家はあきらめません。なんとしてもつくれるものを一生懸命つくってがんばっているのです。早速この一つは洋子さんにお裾分けしました。
こんな小さな出来事を重ねながら、被災地の毎日は進んでいます。
桑山紀彦
和合亮一・その2
福島在住の和合さんは、原発避難区域に自宅があります。
3月16日の夕暮れ。最も放射線数値の高い福島市の部屋で一人きり、パソコンの画面を睨んでいた。(中略)
ラジオからは、新潟や山形へと避難する人々へ、慌てないで下さいという呼びかけ。アナウンサーも時々、涙声になる。人は減っていく。放射能の恐怖。食料・水・ガソリンは手に入る見込みはない。気力が失われた時、詩を書く欲望だけが浮かんだ。(中略)
「放射能が降っています。静かな夜です」「ここまで私たちを痛めつける意味はあるのでしょうか」
余震はひっきりなしに私の<独房>を襲ってきた。ひどい揺れの時は、パソコンを玄関まで持ち出して、揺れの中で「チクショウ」などと呟き、悔しさと情けなさと怒りが混ざり合ったような心地で、泣きながら、言葉を打った。
何も考えなかった。<独房>の中で私がひたすら想ったのは、言葉の中にだけ自分の真実がある、ということだった。(中略)
言葉には力がある。ある夜に感じて、伝えたい感慨がある。「私たちは、一緒に未来を歩いている」。どうしてこんな想念が浮かんだのか。私たちの母国語というものに日本人の歴史そのものがあり、そしてその先には占われた未来があることを、日本語を前にして肌で感じた瞬間があった。だから私たちの<言葉>に祈りを込めたい。
夜明けの空だ。生きて来た時間と、
これからの未来を約束してくれる、空の明かり。
光彩。風向き。雲の切れ間。
ソプラノの調べ。
この世に、
生まれた意味。
和合亮一著「詩の礫」よりー特間書店刊ー
和歌山 なかお
おはようございます(o^-‘)b
久し振りの定時出勤電車です。
私の実家は農家ですが、農家って、その年の天候に左右されて営んでるので、臨機応変に物事を考えるし、諦めないし、強いです。色々な食べ物も輸入でほとんど頼っているニッポン!国をあげて農業の見直しすれば!最近、お米屋さんから古米が消えてるって放送されてましたが、実家が農家と知ってる知人から、我が家にも古米で良いから送って貰えない?と言われることがあります。笑って聞いてたけど半分以上本気じゃったんじゃろうなと思う今日この頃です。
私は、なすが大好きです。希望のなそ!食べずにクンセイ?にでもして、将来、津波祈念資料館に展示できたら良いのに!
「人間まで小さくなっちゃったんじゃないかって思えてくるのよ。」これが、仮設住宅で暮らしていらっしゃる方々のリアルな感覚なんですね。優しい素敵な笑顔の小斎さんご夫妻がまたお家を建てられること陰ながら祈っています。きっとできますね。その時には、またブログで教えて下さいね!
小斎さんのお気持ち、辛いですね。
私は結婚して最初に澄んだアパートが1Kでした。実家は大きくありませんが、
庭のある2階建てでしたから、狭さに慣れず苦労した記憶があります。
当時はまだ土曜出勤もあり、日曜日もなるべく外出していました。
幸い1年半で転勤し、3LDKのマンションに引っ越しましたが。
小斎さんと山登りの会、企画できるといいですね。
希望がまた一つ生まれて良かったです。
清江さんの かもなす美味しそうですね。ステーキにして 甘味噌+生姜をつけて食べれば最高!!
たくましいですね。早く お米も 作れるようになるといいのになあ~
小斎さんご夫妻も 早く 仮設から出られますように。
まだまだ 涙は 枯れません。
早く 皆さんが 幸せになりますように お祈りします。
応急措置とは言え、仮設住宅に入れてよかったと単純に思ってしまいますが、環境の変化が人間に及ぼす影響がこんな形で出るとはショックです。
画一的な住宅に馴染むのは、人により時間がかかる・・・時間がかかりすぎて精神的に病んでしまう・・・心のケアが大切と云う事が実感できました。