この3月の卒業式シーズンは、なんとも苦い思い出として自分の中学校の卒業式を思い出します。
文学少女で趣味も話の内容もぴったり合っていた余川文子さん。でも、特別付き合っているという関係ではないので当たり前といえば当たり前ですが、卒業式当日に伊勢高校に転校することを第3者から知らされ、哀しみと憤りからギターをぶっ壊し、親父の酒をあおってあえなく私服警官に補導されたあの日。それでも白線流しの斐太高校に入れたのは優しい大人の皆様の特別な配慮だったと思うのですが、補導されてもその日の夕方にはみんなが卒業式の打ち上げで盛り上がっているボーリング場に行けたのですから、これまた寛大な高山の街です。
しかし半ば赤ら顔の桑山に、
「あなたは甘いのよ」
と言い放ち仲間の待つボーリング・レーンに戻っていった余川文子さん。それから実に40年の月日が流れ、一度も会うことなくお互い大人になりました。いつかあの日のことを謝ろうと思って来ましたが、ついぞ余川文子さんの消息はつかめずだったのに…。
今から4年前、この伊勢市国際交流協会のステージで呼んで頂いたところ、最後のコメントでこの余川さんのコメントをしたらなんと会場にいた伊勢高校出身の方が卒業者名簿を調べて下さり、今の余川さんの住所が分かったという革命的な出来事が起きました。ついにそこから約半年後迷いながらも手紙を書き、余川さんに40年の積年の思いを込めて投函、住所は海老名の住所から実に10キロ以内の場所だったのです。しかし…未だ返事なし。
2年目の伊勢のステージでは「手紙を出せた」ことは報告したのですが、昨年、今年とは親展なく調べて下さった皆さんには申し訳ない限りです。こうして伊勢のステージの毎年続くことでいつかは余川さんにコンタクト取れたことを報告したいのですが、あの卒業の日、相当嫌われたのだと思います。
今日の伊勢のステージは大盛況でした。
毎年集客数が上がっており、今年もほぼほぼ満席。第一部のコーラスの子どもたちもみんな残ってくれていて嬉しかったですね。今日は4番。南スーダン難民篇、パレスチナ~海を見に行った少女たち篇、パラグアイ篇、そしてゼロ戦と大地篇、そして命をたどる旅路篇と、実は少々盛り込みすぎな内容でした。でも皆さん大変盛り上がって下さり、この伊勢における国際交流や国際協力はとても盛んであると感じました。
協力隊のブースにはOVの3人がいらっしゃり、ウガンダ、ベナン、フィリピンのOVでした。やっぱり協力隊のOVは会うだけで友だちになれます。
これからもこの伊勢市国際協力協会の公演が続くといいように思います。そして何らかの形で余川さんからレスポンスが来るといいように思っていますが、あと1回手紙でも出すと通報されるのかもしれませんね~。そんな世の中なので。でもこうして自分の中学生の頃の苦い思い出に向き合おうとする気持ちは、きっと年齢を重ねたからなのだと思います。旧いクルマを大切に乗り継ごうとする気持ちにどこか似ていて、自分としては前向きに捉えたいと思っています。
桑山紀彦