昨日は2回目の音楽ワークショップでした。
最初の頃に行う写真言語法、描画、粘土細工などは個人制作が中心で、自分の内面にあるものを形にして吐き出していくという作業です。でも後半になってジオラマ制作や音楽、映画、演劇などはグループワークです。自分の思いも大切ですが、同時に他人の思いも受け止めて、形にしていく作業。それは自分の思いも形にしつつ、その中に他者の思いも混ぜ込んでいくという作業です。従って高度になりますが、表現の形式としては多彩になっていきます。
こういった集団でものをつくる時に大切なことは「やらされている感」を排除すること。パレスチナの子どもたちはともすれば「詰め込み教育」を真っ向から学んでいるので、こういったワークショップを行うと「正解は何?」と考えてしまいます。そして自分の思いを封じ込めてでも「先生」がほめてくれるような行動に出ようとしてしまいます。それでは心理社会的ワークショップにはなりません。
そんな中で、今日のワークショップはどれも「子どもたちが考えていることを引き出す」ためにとても上手なファシリテーターの動きでした。うちの4人のファシリテーター、ずいぶん成長したなあという感じです。そう、ファシは「先生」ではなく「導き出す者」。その技術をずいぶん身につけたなあという感じです。
ジャラゾーン難民キャンプでの活動は順調です。外に出ると強い風が舞っていました。
今日でパレスチナは最終日。午後4時にはみんなと再会を誓ってラマラをでました。目指すはアレンビー。ヨルダン国境です。国境まではスムースにつくのですが、ヨルダンに渡るためのバスが人数が集まらないと出ないバスです。1時間待っても出る気配がありません。となりのおばあちゃん、調子悪そうにしていますが、誰も動きません。しびれを切らし国境管理局にいって窮状を訴えたら、若いイスラエル人の国境管理局スタッフが動き、バスは出発することとなりました。何事も泣き寝入りするのではなく、やれるだけのことをやればなんとかなることもあるということだと思いました。
アンマンに着く頃には既に日も落ち真っ暗。NICCOの森尾さんが迎えに来てくれました。久しぶりの再会です。
アンマンは大都会です。ラマラも都会だけどやはりその規模が違う。ましてやガザやラファは時が止まったみたいです。こうして便利なアンマンに出てくると、政治体制に振り回され、不自由な暮らしをしているパレスチナの人たちのことを思います。愚かな為政者によって人々の暮らしが困窮する事態をどう改善していくのか…。途方に暮れますが、あきらめたら終わり。だからやれるだけのことをやるしかないのだと思います。
今日は1日NICCOでセミナーです。これで8年状にわたって続けてきたNICCO、ヨルダンの仕事のお手伝いは完全に終了します。
桑山紀彦