今朝、会津は塩川中学校の4年目のステージに向かう道中、NHKを見ていました。
NHK仙台局の津田さんはつるっとした容貌が覚えやすく、「きっとまだ若いんだろうな~」と余計なことをいわれがちなアナウンサーさんですが、石巻出身ということもあって、今回の被災については並々ならぬ思い入れがあるようです。彼が担当する「被災地からの声」は非常に内容が深く、見ていて感動するし、考えさせられます。いつも被災者の皆さんの本音を引き出すすばらしい番組だと思います。
でも今日は違いました。正直頭の中に?????が羅列する人が出てきました。彼はいわき市の湾岸にある被災地で、津波で半壊してしまいあとは撤去されるのを待つ家屋に入って、花の形をした切り抜きを壁に当てスプレーを吹きかけて、壁に「花の模様」を付け続けている若者なのです。彼にインタビューした津田さんですが、彼の言い分はこうでした。
「半壊してあとは撤去を待つ家々が並んでいるのは哀しい。まるで死んだ町のようです。だからせめて撤去されるまでの間、家に花が咲いたようになればいいと思って・・・。」
そういってスプレーで花形の紙に色を吹き付け、壁を花模様で埋めていってました。僕はその光景を見て、
「この人何をやってるの?」
と思ってしまいました。どうも流れから判断するとその持ち主に許可を得ている感じではありません。正面の扉も壁も流されて、「がらん」とむき出しになった家の壁に描いているのでおそらく、自由に立ち入って花をスプレーで描いているように思いました。
いくら善意とはいえ、いくら思いが強いとはいえ、この行為が僕には受け入れられませんでした。もしも仮に江里ちゃんの家の壁にこんなふうにスプレーを吹きかけて花模様を描こうとする人がいたら、
「ちょっと待てよ」
といっているに違いない。どうしてもそう思えてくるのです。例え撤去を待つ家だといっても、その家族の記憶と歴史がたくさん詰まった家屋です。例え一階がえぐられて誰でも立ち入り自由のようになっているといっても、人の想い出のつまった家屋の中にスプレーで花を描くというのはどうでしょうか。
仮に持ち主の許可を得ているとしても、花形に抜いた紙を当ててスプレーで色を吹きかけるという手法はどうでしょうか。僕にはどうしてもいいイメージが持てませんでした。
津田さんの「被災地からの声」は絶大な信頼を得ている番組です。でも今回のこの若者は非常にドキドキハラハラしながらの登場でした。もう少し情報を多めに、そしてできればその家の持ち主の身になった報道をするべきではないか、と思いました。
このように、現地にいてもなかなか相手の気持ちにすべて添うことができず、余計なことをしてしまったり、かえって傷つけてしまうことがあります。もちろん「良かれ」と思っていることに全く疑いなくても、相手のためになっていないこともたくさんあります。桑山もそういうミスを犯したときもあります。
そんな時大切なのは真摯な姿勢に立ち戻り、良くなかったと思ったら心から
「ごめんなさい」
と謝ることが大切かと思います。でないと、せっかくの善意が裏目に出ることがあるからです。被災地は、まだまだ繊細な感覚が求められています。
さて、今日は日曜日だけど、仲良くしている仙台市内の消防士と話しました。あの日、数百人が遺体で流れ着いた海岸線の現場に入った消防士の友人です。
「ダメだ。最近集中力が極端に落ちてきたんだ。5月くらいまではまだ張り詰めてて良かったかもしれない。でも6月に入って急に弱気になってきたんだ。周りはかなり話せるようになってきていて、結構あの4日間の話を気軽にする同僚も多いんだ。でも俺はかえってダメだ。隊長として入るというのはきつい。とにかく現場の判断はみんな自分にかかってくる。自分の判断で人が死んだり生きたりするんだ。その重荷が今になって襲ってきている。
あの時、“助けて下さい、この先に人が沈みかけてるんです!”ってすがられた。でもこれ以上海側に行くのは消防では無理と判断したんだ。無理して進めば二次災害が起きて、うちの隊員の家族を悲しませることになる。
自分は隊長として
“すみません、これ以上は我々も無理です。”
と答えたよ。でも家族が言うんだ。
”そんな!見捨てるんですか!?“
ってな。
見捨てたいわけがない。でも自分は隊全体の責任者だ。すべての人を救うことはできないのが現状だ。だから苦渋の判断をしたんだ。それが今でも悔やまれる。夢にも出てくる。
毎日の救急や消防の活動にも支障が出てきているんだ。まるでスイッチが入るみたいにあの日の記憶につながっていく。この家の扉を開けると、人が亡くなっていたらどうしよう、ってなスイッチが入りそうになるんだ。胸がドキドキする。あの日あの時、扉を開けると玄関に人が倒れて亡くなってた。溺れて亡くなった人だった。その記憶につながっていくんだ。
もちろん日常の救急の仕事だから、違う日時、違い時間、違う場所だけど、スイッチが入りそうになる。
“ああ、きっとこの扉の向こうに亡くなっている人がいるに違いない”
ってな。そうすると足が震えてくる。
オレどうしちゃったんだろうって思うんだよ・・・。だからもうオレは隊長は出来ないと思う。この前からナンバー3に落としてもらった。もうナンバー1(隊長)は無理だ。
どうしてこんなふうになるんだろうか。絶対の自信があったのに。どんなことでも乗り越えてこられたのに。この30年の中でこんなことは一回もなかった。もう消防士辞めたいと思うこともあるんだよ。」
真実の言葉でした。今はただひたすらお互いに語り合うしかない。なかなか涙を見せない屈強な友人だけど、話ながら目を真っ赤にしていました。それでも決して涙は見せない。
強靱な精神を持っていればいるほど追い詰められるということがあります。今回の津波はそんな強靱な人物の心にも大きな負担を強いています。まだまだたかが4ヶ月。心して日々を過ごしていかなければなりません。
桑山紀彦
行きたくても、行けない!自分の判断で沢山の人の人生まで変えてしまうかもしれん。沢山の方が、家族を失った悲しみとは違う、悲しみや葛藤に苦しんでらっしゃるでしょうね。3/11 テレビで100人以上の遺体が…とか見た時、それを目の当たりにしながら、行きたくても行けず苦しんでいる人がいるんだぁと思ったのを思い出しました。辛いですね。吐き出しても吐き出しても… 辛いです。
奈良女子大学訪問顛末記(ショート・バージョン)
「明日、ならへ行ってくる」
「いったい奈良で何があるのよ」家人は怪訝な声で尋ねてくる。
「奈良女子大学で、地球のステージの公演があるんだ」
「それって変な宗教じゃあないんですか。あんた、騙されやすいんだから。マジでお人好しだし。やさしく言われたらすぐに信用するし。大丈夫でしょうね今度は。清盛の尿瓶(しびん)のようなことはないですね」
僕は以前、古道具屋から平清盛の尿瓶(しびん)を5000円で買っきたことがある。家人に大目玉をくらったことは言うまでもない。
「まあ、とにかく明日は奈良へ行くからな」そう言い放って、訝る家人を尻目に奈良女子大学へ向かったのである。
今回の「地球のステージ」は、いつにもまして衝撃的なものであった。震災編では身に詰まされる思いがした。言葉が出なかった。終演後、司会者が「皆さん、今日は猛暑のなか、お越しいただき本当に有難うございました。暑気払いといってはなんですが、この後ビール祭りを行いますのでよろしければ参加して下さい」
席を立ちかけていた僕は、足がピタリと止まった。なに、ビール祭り、ビールが浴びるほど飲めるのか、これは凄い。僕は即座に反応した。
主催者のO先生とテーブルで話をした。
「地球のステージもこれで8回目でして、それからアレコレ、斯く斯くしかじかでありまして云々・・・」
「うんうん、なるほど」相槌は打つが僕はほとんど聞いていないのである。こんなに料理とビールが並ぶのか。やはり国立はたいしたものだ。変なところばかり感心している。
「ところで、なかお、先生はいったい何の先生ですか」O先生は、僕にはお構いなく問いかけてきた。僕が一番聞かれたくないものを訊いてきた。
「ええっー、まあ、あのうう、高校のうううっ」僕が口ごもったときである。O先生の知り合いの大学の先生が席にきた。助かった。
「Oくん、本学の教育をどう考えるかね。いつまでも女子教育でもあるまい」さすが大学の先生である。時代を見ている。
「今の時代は違いますよね」とO先生が相槌を打つ。
僕は味噌田楽やローストビーフに鳥の腿肉、山盛りの料理にしゃにむに喰らいついていた。僕の生ビールはすでに大ジョッキ4杯目を空にしていた。もう、すごい酩酊である。
「ところでOくん。日本は社会システムがなっておらんと思わんかね」
「そうですね先生」O先生が再び頷く。
「それは社会科学の貧困から来ているのだ。カントやヘーゲルを日本は見直さなくちゃあならない」
僕はそんな変な現象が日本に起こっているのかかと思ってしまった。うつろな目をして偉い大学のの先生に訊いた。
「関東地方では、そんな変な現象が起こっているのですか」
「なんですか、なかおくん。変な現象とは」大学の先生もO先生も訝しそうな目で僕を見る。
「関東では下痢が流行っているのですか」
「はあ、あなた、なにを言っているのですか」
「かんとう、と、げりの話をしていませんでしたか」
「なかおくん、カントとヘーゲルと言ったのです。関東(かんとう)と下痢(ヘーゲリ)ではありません」
「はあ、そうなんですか。カントとヘーゲルですか。なるほど、なるほど」
そうはいってもカントとヘーゲルとは僕には何のことだかさっぱり分からない。関東と下痢ならわかるのだが。
そんなこんなで奈良女子大学を後にした。
家に帰ると「新興宗教の集会どうだった」と家人の問いかけである。地球のステージとは、宗教の集まりではありません。家人にはどうも理解できないらしい。バカな人である。そうはいっても、このボクもあまりカシコクないのではないか。いったい奈良女子大学まで何をしにいったのか。ハンセイ、ハンセイ。
和歌山 なかお
今日のブログ~報道では知り得ない苦悩がよくわかります。
被災者だけでなく、救援側の人も深い傷を負っている話はすごくショックでした。
心の傷は人様々なので、これからじわじわと困難がふえると思えてなりません。
まだ復興活動は始まったばかり。せめて行政には心の休まるような善策をスピーディに実施して欲しいものです。
昨日も大きな余震があり、宮城岩手福島で震災後初の津波を観測しました。わずかな高さとはいえ、長い揺れと津波注意報に緊張が走りました。
もう4カ月でも心はまだ3月11日の感覚が残っています。
NHKアナウンサーの津田さんの言葉は、被災地に住み共に暮らす人達の心に寄り添い同じ感覚で的確に伝えてくれて、私は安心して聞いていられました。
福島の若者の番組は見ていませんでしたが、スプレーの花とはいたずらみたいですね。自己満足と思われてもいたしかたないのでは。
消防士自衛隊警察官の方々、長年大変な経験と訓練を重ねられた皆さんの活動に支えられて、今の私達の生活があります。
あの日前々日から目視で確認されていた、多くの方々のご遺体を前に二次被害を防ぐため、唇をかみしめて冷静な判断されたと思います。ご家族は一刻も早く救出して欲しい思いでしたでしょう。けれど現場の状況は悪すぎました。
今なお苦しみの中におられる皆さん、どうか一人で抱え込まないで下さい。
心配して見守っている人が身近にいます。
相手の立場に立つということの難しさを感じます。
どこまで深く考えられるか…。私も自省しています。
救出する側の皆さんのお気持ちは本当に辛ったと思います。
ご苦労様でした、としか言えません。
これから少しずつでも外に出して楽になってほしいです。
判断する、とは、つらいことですね…。
花の模様・・・私もテレビ見て違和感がありました。
誰かのために少しでも力になりたい・・・その気持ちは大事だけど、それを相手や周囲がどう受け止めるかは人それぞれで本当に難しいとおもいます。ボランティアなどもそうですが、支援とは何なのか考えさせられる事が多いです。
これは批判ではないのですが、このブログを拝見させていただきながら、精神科医がこんなに患者さんのことを赤裸々に書かれていいのだろうか?という違和感がありました。個人の承諾を得て行っていると思うし、書く内容も吟味されてるでしょうし、現実の姿を語り継いでいくことは社会のために未来のためにとても大事なことですが、外国や遠い地域の話ではなく地元に住んでる者としては、少し複雑な心境があります。時には、もしかしてこれって○○さんのこと?と思ってしまう時などもあるし、地元では被災者いじめも発生しています。悲しいけれどそれも見逃してはいけない現実だとおもいます。
また、津波被害に合っていなくても、私の身近ではうつ病やPTSDかも?と思われる人が増えてきました。被害の少なかった私たちは弱音を吐いたら申し訳ないという想いがあります。思いやりのある人ほど積極的に支援活動にも参加しているし、また様々な現実を見聞きし、またテレビやネットなどの情報・映像を見ながら、それが脳裏にやきつき自分が体験してるような感じになったり、悪夢を毎晩見たり、突然泣き出したり、物理的には普通の生活を送れる環境にあるのにそれができず病的になってる人が増えているように感じます。また東北人特有なのか、この位のことで他人に迷惑をかけてはいけないという人が少なくないようにおもいます。
という私も軽い抑うつ状態です。でもついついこのブログを見てしまいます。桑山先生や地球のステージの働きを応援したい気持ちと、被災した人々の「現実」を知り少しでも理解したいと思うからです。でもとてもとても苦しくなるときもあります。
まとまらない内容でスミマセン。
塩川中学校のものです
ホームページから、メッセージを送ったのですが
来ましたか?
すごくいい、講演でした!
また、今度待っています!!
桑山先生
本日夕方のNHKニュースを見ていたら名取の取り組みを紹介していました。
先生の姿が見られるのでは・・・と思いながら見ていました。
明日はいよいよ北九州ですね。
万難を排して見に行きます。
お会いできるのを楽しみにしております。
昨日の日曜日は、県小児科医会の総会がありました。年2回あるのですが、今回は急遽「東日本大震災~○○の小児科医にできること」というテーマで開催されました。
医師会や赤十字病院、国立病院機構などから派遣されて活動してきた先生たちの報告がありました。みなさん立派に活動してこらました。
しかし、総会に参加されたほとんどの先生が、派遣される人はどうやって決まるのか知りません。全く知らないところで救援チームが決まり派遣されて帰って報告がある。疎外感があります。
集まった多くの先生のなかにも「できれば行きたい」という人が多くいたと思います。その先生たちにNGOやNPOがいっぱい頑張って活動していることを教えてあげたい、と思ったのですが、どうも気の弱い私は発言できませんでした。ごめんなさい。
仙台市の消防士さん、またナンバー1(隊長)として働ける日が来てほしいと思います。
3年前位に、東中野で地球のステージありがとうの物語を見ました。 その時にきいた曲がずーっと耳についています。けれど、やはりこれだけ経つと細かい歌詞などは忘れてしまって・・・ あれは何という曲なのでしょうか?
一番印象的なワンフレーズは、「あなたの街に何がありますか」ってところで、高校生でまだまだ世界を知らないながらも、あの曲とドキュメンタリーの深みに嵌っていました。
乱文失礼しました