文部科学省が予算を出し、宮城県教育委員会が採用して「地球のステージ」はこの4年間ずっと被災地の学校をまわることができています。もちろん目指すのは「津波に向き合い、そこから学んだことをこれからに活かしていく」という未来志向。それを文科省も県教委も認めて下さり、こうして公演が続けられていることを誇りに思います。
何より宮城県の熱い心を持った現場の先生方がいらっしゃって、「うちでやりたい」という声を上げて下さらなければこの公演はなり立ちません。「伏せておく」のではなく「向き合っていこう」という指向の多くの学校がいつも手をあげてくださっています。
今日は山元町の山下中学校でした。
ここでは津波の時園児バスを津波が襲い、大切な命が複数失われたことで裁判にもなり非常に苦しい経験をしてきた町です。実際その時園児バスに乗っていて救出されたり、大切な友だちを失った子どもたちが今中学校1年生、2年生になっているのです。さて、どこまで伝えるか迷うところであります。しかし今の山下中学校はちゃんと「向き合おう」としてくれています。津波の映像も津波の話しも先生たちとしては「しましょう」という指向。素晴らしい先見の明を持った先生方の集まりです。もちろんそうではない先生もいるでしょう。あの時閖上中学校に在籍していたのに、全くそのことを語らず伏せ続けている「背を向けた」先生もこの学校にはいます。しかし、学校の運営に携わるトップ3の先生方がしっかりと「向き合っていこうではないか」という未来志向を持っていらっしゃるので今日の公演が実現しました。
しかし、津波の映像のあと公演中に2人の女子生徒が泣きながら退席しました。壇上からもそれは見えていました。先生が付き添い体育館を出て行く姿。それは「申し訳ない」と思うけれど、今はそんな生徒をみたら、
「今はそれでいい。でもいつかは向き合おうね。」
という思いで見送るようにしています。丹野さんが言っている、
「乗り越えるのではなく、受け入れていこう。」
という指向がまだ見えていないのかもしれません。でも公演のあと先生が教えてくれました。
「二人とも大丈夫です。ひとしきり泣いたらあとは普通に戻って、一人は公演に戻っていけました。戻れなかったもうひとりの生徒についても、お母さんと常にコミュニケーションをとり、こういった津波に関する学校行事があって、涙が出たり不安定になっても過度に反応せず、それを見守っていこうという話ができています。だからこれでいいのだと思っています。」
そんな先生が聞いてきました。
「実際今の中1,2年生は津波の時年中、年長さんの幼稚園児でした。果たして心の傷として津波のことは覚えているものでしょうか。」
それにお答えしました。
「心的外傷は、”死ぬという恐怖”がなければ成立しません。その意味において小さな子どもたちは”守られて”います。つまり厳しい出来事があっても、それに”死の恐怖”を感じないような”守り”の構造が心の中にあり、傷つかないようにできているといわれています。だからひょっとすると津波の出来事は覚えているけれど、死の恐怖を感じていない可能性があります。とすれば心的外傷を受けていない可能性があります。」
もちろんこれには大きな個人差があるので、一概に上記のようには言えない場合もあります。しかし往々にして5歳以下の小さな子どもたちは、(いい意味で)視野も狭く、感じ取る能力も限定的なので、津波の出来事を心の傷として持っていない可能性があります。
そんなことも含めて先生たちはもっと積極的に津波のことを伝えていこうとしている傾向もありました。そしてその先にあるものは、
「もう4,5年もすれば津波のことを知らない世代が中学生になってきます。その時にあの津波から何も学んでいなかったら、私たちの日々は”無”になってしまいます。だから、ちゃんと伝えていきたいという気持ちがあるのです。」
実に”考える”先生たちでした。
こんな中学校が宮城県でももっともっと増えていくといいように思います。
桑山紀彦