その山間の中学校は、美しい只見川のふもと、三島町にありました。
全校生徒28名。部活はバレー部のみ!でもみんな仲が良く、一緒に人生を歩んでいる「同士」のような関係。そしてそれを見守る先生、保護者、そして地域の人たち。
今日のステージは今年度の公演の中で間違いなく最小の全校生徒数を記録するものではありますが、校長先生のたっての希望で見事に公演することができました。規模は小さいかもしれないけれど、まとまり感や団結力は非常に高い、素晴らしい中学生の集まりでした。
こういった学校に置いては「学校の中の戦争の火種」という話しではなく、この三島町を基礎として世界に出ていこう!というテーマこそふさわしいと思いましたので、あえて「ガザ50日戦争篇」ではなく「ミャンマー篇」を持ってきました。まさにミャッセミャーの子どもたちのようにこの三島町の28人の中学生がまっすぐに育っていくことを期待するからです。この町を故郷とし、この町を守るために何ができるかを考えながら成長していってほしいという願いを伝えました。
その足で国道121号線、大峠を越え米沢に入り、事務局長明ちゃんの故郷、上山市(かみのやまし)の細谷に寄りました。その途中見えてきた蔵王連峰。真っ白な雪に覆われ、それが西日に輝いて真っ赤になっていました。なんという美しさ。今日は空気が澄んでいるのか蔵王を手に取るように手前に見えてきます。
18歳からずっとすぐそばにあった蔵王。46歳になって山形を離れるまでの28年間ずっと見てきた蔵王が「お帰り」と言ってくれているようでした。
いつも天気が晴れるようにお祈りすると必ず晴れていく、驚愕の晴れ女明ちゃんのエネルギー源は亡くなった明ちゃんのおじいちゃんとおばあちゃんです。ウユニ塩湖も、帯広も、御巣鷹の尾根も、富士山もみんなそうやって晴れてきました。そのいつものお礼にお祈りをし、日曜日の夜で混み合う山形市内を走り、西バイパスにある昔タヌキを飼っていたお寿司屋さんに久ぶりに寄って山形空港に入りました。このまま羽田に戻ります。
いつか山形市内の公演が入ることを祈りつつ、また戻ってこられればと思います。
桑山紀彦