昨日、うちの音響さん、須藤さんとその相棒の藤山さんにお願いして江里ちゃんの家の窓と玄関をベニヤで塞いでもらいました。
ある日江里ちゃんが久しぶりに入ったら、自分の部屋に人が入った形跡があるのを発見し、とても落ち込んでしまったことが気がかりでなりませんでした。だから少なくとも大きく開いたガラスサッシ部分と玄関をベニヤで塞げば、アホな連中は入らなくなります。
いつかは取り壊すにしても、それまで何度か江里ちゃんとは家を見に行きたいし、その際にいい想いでのままの家であってほしいな、と思うのです。さすがの須藤さんの腕で、見事に「お休みしている」お家のようになったと思います。
これで時々江里ちゃんが、みたい、訪れたいというときに行けるといいなと思います。
その足で久しぶりに石巻へ向かいました。
青年海外協力隊、ガーナ隊OBの菅野芳春さんに会いにいくためです。
菅野さんはステージの5番「ガーナ篇」の主人公で「白き村人」と呼ばれています。協力隊として現地で活動していた2年間、それはそれは現地の人に愛され、信頼されて、エイナブリム村のサブ・チーフにまで選ばれた菅野さんです。今回もガーナ支援のためにずっと泊まり込んでいる沖縄は小浜島のキビ狩りの仕事が一段落するのを待って、石巻に駆けつけました。それ以来2ヶ月半、石巻の専修大学キャンパスのテント村に暮らしながら、ずっと、黙々と渡波(わたのは)小学校を拠点に支援活動を続けているのです。
菅野さんが言いました。
「協力隊OGとOBはとにかく”見て見ぬふりしない”心の強い人たちだから、こうして協力隊のベース基地をつくることができました。多い時で20人近い協力隊経験者が集まり、日々の仕事をしていました。
もちろん、途中で仕事の都合により帰る人もいるけど、現在も僕を含めて4人のスタッフがここにずっと泊まり込みながら活動してます。
僕たちは途上国で“開発支援”というものを学びました。それは現地になじみ、とけ込み、なるべく現地の人々の力を引っ張り出すことを主眼としています。だから、見た目の派手さはないけれど、石巻の人と仲良くなり、“いつもそこにいてくれる人”として信頼されて今の活動があります。」
確かに、渡波小学校ではその中心組織として被災者支援をしています。瓦礫撤去は一段落ですが、毎日お昼の炊き出しを数百人分つくり続け、物資の受け入れや整理、資金の獲得や就労支援の活動を行っています。
「菅野さん、生活費は?」
「いや、僕も自分たちでつくった炊き出しご飯を食べて被災された皆さんと同じ生活をしているから、基本的にお金はほとんどかかってないです。移動の車もJICAの二本松訓練所が課してくれているし、基本的に今の僕は無職、無収入、住所不定という存在です。
でもそこが大切。そういうスタンスで関わるので渡波の皆さんと自然なつながりができていつも同じ目線で活動できているんです。
でもね、協力隊経験者らしいこともちゃんとしているんですよ。」
そんな菅野さんが連れて行ってくれたのは、水をかぶってすべてがだめになっていた学校の放送室でした。
「130cmで水につかったので、すべての放送設備は使用不能でした。だから、何か連絡ごとがあるとみんなメガホンもって走り回って苦労していました。しかし我々は協力隊経験者です。ちゃんと中には電気関係の専門家がいて、音響に詳しいものがいて、この配線を修理始めたんです。
そりゃあ最初は大変でしたよ。そのラインが何階につながっているのか、ひとつひとつ確認ですからね。でもあきらめないのも協力隊の志ですからね。ついにこの装置が完成しました。」
それは、微妙に配線が交錯した配電盤でした。
「スイッチ一つで1階、2階、3階、全館と分けて放送できるようになりました。これでもう伝令のために人がゼイゼイと走らなくてすむようになったんです。僕たち協力隊OB&OGは、こうして途上国で学んだことをここで活かしています。」
とても誇らしそうでした。
あきらめない菅野さん。そして生活の、人生のすべてを掛けて今目の前にある問題に淡々と立ち向かうその姿は5年前にガーナで会った時の印象と少しも変わりませんでした。まさに「ぶれない菅野さん~白き村人」です。
そんな石巻の門脇小学校では、心ある先生たちが総合学習できちんと津波のことを取り上げ、子どもたちの心の中に埋没しかけていた記憶を確かめ、形にしようとしています。
先生たちが立ち上がって、
「この経験をきちんとカタチにするべきだ」
ということで、阪神淡路大震災のときにドキュメンタリー映画をつくった監督に依頼し、子どもたちの日々の様子や、津波への気持ち、それを乗り越えようとする姿を映画に収める活動が6月末から始まりました。
親御さんの中には、
「津波のことを思い出させるようなことは、いかがなものか」
という意見もあったようですが、先生たちがきちんと、
「これは必要かつ大切なことなのです」
と統一した姿勢で関わり説得して、「映画製作」と言う方向へ進めるようになったとのことです。
素晴らしい石巻の先生方。
ぜひ、映画完成の後には、構想中の「津波祈念資料館」で上映してほしいなあ、と思っています。
桑山紀彦
ガーナで何でもやる、空手も教えちゃう菅野さんのボランティア精神は筋金入りの本物~その地に密着した実行力に脱帽です。
江里ちゃんの家のベニヤ仕切り・放送施設の修理・子供たちの映画作製・・・これら一つ一つの地道な活動が復興活動そのものなんですね。
理屈を云い合っているより、一刻も早く実行の基盤を作ることが大切だということは、誰でもわかるのに彼の人たちには何故できないのでしょうか?
バンクーバーより、毎日かかさず読ませていただいています。
海外青年協力隊を経験された方々が、被災地で活躍されているということを知り、とても感動しました。
かつては支援を必要とする国々のために地道に貢献された方々が、その知識や技術を母国の日本で再び役立てられていること、すばらしいことだと思います。身につけたことは何事も無駄ではないのだということに、改めて気づかされました。
みなさんに少しずつでも平安が訪れることを願っています。
須藤さん、ご苦労様です。これで、えりちゃんの家に心ない人達が進入出来ませんね。良かったです。
菅野さんは、沖縄から石巻にいらしていたんですね。映画が出来上がったら私も是非 みたいです。
暑さで目が覚めました。また、寝ます。
江里ちゃん家、一安心ですね。須藤さん、藤山さん、有難うございました。
菅野さんの「見て見ぬふりしない」姿勢は筋金入りですね。強い人だなと思います。
石巻で作成中の映画、先生方が子どもたちのためにと頑張ってくださったんですね。
津波祈念資料館での上映、叶うといいですね。
えー!
すがのさん、専修大にいらっしゃるんですね!
わたしもそこのテントをお借りしたんです!
何メートルか先にいたのに!!
次回機会があれば、一緒になにかしたいです(>_<)
地球のステージの細胞があちこちにいるんだー!
須藤さん藤山さん ありがとうございます。
菅野さん ご苦労様です。
地球のステージ繋がりでしょうかほんとうに素敵な仲間たちがいますね。
昨日関西も揺れました。
和歌山 震度5強
和歌山の中尾さん大丈夫ですか?
テレビから変な音がしたと思ったら すぐに グラッと揺れました。ほんとうに怖いと思いました。
ちょっと揺れただけなのに・・・
東北の皆さんのこと わかったつもりでしたが、ちっともわかっては いなかったと思いました。
ほんとうにごめんなさい。
嬉しい話を聞いても 辛い話を聞いても 腹の立つ話を聞いても 涙が出ます。
涙もろくなってしまいました。
桑山さん 明ちゃん 優子さん スタッフの皆さん 体力のいる季節に なりましたが ご自愛ください。
和歌山県、震度5強
ドンという音とともに突き上げるような地響きがした。とたんに大きな揺れ。
僕は校舎沿いの道路を歩いていた。
その地域一帯が暗雲に包まれたような異様な気配を漂わせていた。見上げると校舎がゆっさと揺れている。この校舎の中では授業の真っ最中である。教師や生徒が悲鳴を上げているのが手に取るように分かった。しばらく揺れが収まるのを待った。
揺れが収まり、校舎の中に入っていくと口々に地震の恐怖を話しだしている。
「この揺れは阪神大震災のとき以来」
「あのときよりも、今の揺れの方が大きかったわ」
「もう、怖かった、死ぬかと思った。阪神大震災のときもこんな揺れだったよな」
本当は20年ぶりの震度5強である。阪神大震災より前のこと。
「ボクは校舎の外の道路を歩いていました、校舎が揺れるのが分かりました」
「そうなんですか。ものすごく揺れましたから。本当に怖かったですよ」
「東日本大震災の震度7ってどんな揺れなんでしょうか。震度5でもあのような揺れですから。考えられへんわ」
その後、生徒を早く帰宅させた。
地震から2時間たった後、帰宅しようと駅に行くと改札口からゾロゾロ人が出てくる。ホームには列車がドアが開いたまま停まっているのが見える。電車から出てきた人に尋ねた。
「この電車はいつ頃から停まってるのですか」
「地震があった直後です。もう2時間になりますよ。運行再開の目途は立たないそうです。ですから乗らない方がいいですよ」そう言われた。
しかたなく、我が家に電話をすると、家人の冷たい声が聞こえてきた。
「もうちょっとしたら動くわよ。待ってなさい」けんもほろろである。どうやら迎えに行こうという気はないらしい。しかたなく待つことにした。
電車の中は冷房を切っている。おまけにドアは開いている。蒸し暑くて堪らない。1時間ほど席に座っていると駅員が水の入ったペットボトルとカロリーメイトを配り出した。JRも最近はサービスが良くなったものだ。
さらに1時間待っていると、今度はタクシーで送るという。駅員が乗客に行き先を尋ね回っているではないか。これはなんと、タクシーで送ってくれるというのか。JRもたいしたものだ。
我がふるさと方面へ向かう乗客と相乗りし、タクシーは深夜の国道を突っ走った。料金はもちろんJR持ちである。同乗はサラリーマンとボクと高校生2人である。
「きみたちも大変だなあ。もう期末試験は終わった」
「6月いっぱいで終わったところです。今日は部活の帰りなんです」
そう言いいながら高校生は携帯電話を触っている。横目で待ち受け画面を見てみるとMJのTHIS IS ITが映っている。驚いて話しかけた。
「それって、MJだよね。あの映画見たの。あの映画はよかったと思うけど」
「ええ、最高でした。MJはやはり世界最高のエンターティナーだと思いますよ」
「MJを待ち受けにする高校生なんかそうはいないだろう。きみはMJが好きだと思うけど、きみもONLY ONE かな」
「そうかもしれなせんね」
そういって高校生は嬉しそうに笑った。
ONLY ONEは僕にとっては日頃願っていることである。嬉しい話だ。ここにも自分だけの世界を持っている人がいるのだと思いこの高校生が頼もしくなった。
こんな余波もあるものだとタクシーの中で考えていた。
和歌山 なかお
「
映画の取り組み、実りますように。私は、阪神の震災の映像から未だに逃げています(被災してないのに)。けど、この取り組みは大事だと思います。
菅野さん、素晴らしい!
協力隊OBらしいです。
よし!わしも頑張う!って気になりました。
ブレないこと。
私が尊敬する人たちがみな同じく口にする言葉。
私が唯一絶対の真理と信じている言葉。
その真理が、日和山の上から南浜町を見下ろしながら号泣した石巻市で今存在してくれていることに
喜びを禁じ得ません。被災してもなお、ブレない被災者の方々の強さに、感激しております。
辛いことは辛い。
人として、決して間違った感情ではありません。
そのことを誰も否定することはできません。
それでもなお、ブレない東北地方の方々に心より敬意を表したい、と思います。
我々も、未だ支援の手を緩めるつもりは全くありません。
来週も、我が社から、直近の後輩が福島県へ業務支援に向かいます。
被災者の方々がブレないかぎり、我々も最後まで寄り添う覚悟でおります。