怒濤の月曜日

 今日は、ミキ子さんが外来に来てくださいました。

 ミキ子さんは本名でテレビやブログにでてもかまわない言ってくださっている方です。
 ミキ子さんは「クローズアップ現代」や「クローズアップ東北」にもでているお母さんなので、ご存じの方もいらっしゃるかとは思いますが、息子さんを亡くされて号泣されるのがミキ子さんです。
 あれから4ヶ月が経とうとしています。
 ミキ子さんの毎回の変化は人間の強さを証明するものになりました。
1)初回
 ミキ子さんは号泣し、「息子が死んだのは自分のせいだ。自分を救いに来ようとして代わりに死んでしまった。自分が死ねば良かったのに、自分が息子を殺したようなものだ。」
 と悲嘆に暮れていらっしゃいました。
 僕もただ一緒に泣くだけでした。
2)二回目
 遺体が見つからないことに深い哀しみとイライラ感を募らせて、ますます自分を責め続けていました。一目でいいから逢いたいといい、何で自分だけこんな目に遭うのかと苦しい気持ちがどんどんでていました。
3)数回目
 ここへ来て話して泣くと気持ちが楽になるけど、世の中の人は自分の痛みなど全くわかっていない、と周囲への怒りや不満が出始めていました。
4)遺体発見
 ようやく息子の遺体が見つかった、と実に晴れやかな顔に変わっていました。もちろん哀しみは変わらないけど、その亡き息子の表情が実に穏やかだったと語り、心の中の整理ができるようになっていきました。
5)2ヶ月目
 息子は優しかった、親切で声も通るし、自慢の息子だったという語りが始まりました。息子の写真を初めて見せてくれたミキ子さんは「まあまあ、男前だっぺ?」と笑顔を見せました。だんだん息子のことが語れるようになっていったのです。
6)3ヶ月目
 そろそろ兄のところに居候するのも良くない、自分は一人暮らしをすることにしたと宣言。自活の方向へ向かって歩き始めました。小さなアパートですが、自分で決めて引っ越しの手配をし、本来のミキ子さんらしい前向きな気持ちが出てきた頃です。
7)百か日目
 何で一緒に死ななかったのか、何で自分を残して息子が先に行ってしまったのか、一人暮らしをするようになって寂しいときそう思うようになっていました。どこかでふらっと「母ちゃん」と、もう一回帰ってきてくれるんではないかという気持ちになることがあり、夢の中にも出てきて少し気持ちが寄り戻ってしまっているような印象を受けました。
8)もうじき4ヶ月の今日
 やっぱり息子は、自分を生かそうと思って亡くなった、思いやりのある息子なんだと思い直し、そんな息子が身代わりになることで救ってくれた自分の命を大切にしないと息子に申し訳ないと語るようになりました。
 老い先短い自分ではあるけれど、息子が託してくれた命をちゃんと全うするために、世のためになるようなボランティア活動をしないとなあ、と語るようになりました。
 先に病気で亡くなった夫(息子にとっては父親)と息子は天国で再会し、今一緒にいる姿が見えると。だから自分もやがてその二人に会えるから、一人暮らししていても寂しくはないのだ、とも語りました。
 74歳にして、息子を失いながらもこうしてその悲劇に前向きな意味をゆっくりと見つけながら進んでいくミキ子さん。天国から息子さんはホッと一安心されているような気がします。
 いくつになっても人間はたくましく生き抜いていく生き物のようです。
桑山紀彦

怒濤の月曜日」への8件のフィードバック

  1. 私ね母は生きていれば74歳。亡くなられた息子さん、私と近い年齢の方かな?
    凄いですね。生かされた命を大切にこれから生きていこうって考えられるなんて。私の今の目標は母が亡くなった年まで、あと5年。この5年を抽象的ですが、思い残す事なく生きる事です。私も負けない様に生きていきます。

  2. 今日、こんな事がありました。職場にお土産を持って行きました。そのお土産を渡すと一人の男性職員の方が、「懐かしいなぁ」「どうしてですか?」と聞くと奥様が私と同郷だと分かりました。ご実家の住所をお聞きして、私の実家とは離れていますが、同級生にもそこの同級生土地から通学している子がいたので、「出身高なんてわかりますか?」と聞いた所、なんと、私の卒業した高校!先輩でした。大先輩です!
    なんだか 感激しました!

  3. 印象的だったのでクローズアップ現代画面をよく覚えています。
    記録に残したい劇的なドラマですね。
    人間って年齢に関係なく誰でもこんな復元力があるんでしょうか? 勿論、ドクターKのよきサポートありきと思いまが・・・。
    驚きです! 自分だったら自信は?????
    足尾銅山鉱毒公害に、権力にの横暴に身を捨てて闘った田中正造翁のことが夕刊に掲載されていました。
    そのあと、TVで××大臣が宮城県知事に対して、勘違いも甚だしい言わずもがな発言と、市長に独りよがりのセンスを疑うサッカーお遊びパス画面の報道。なんじゃこれ!気分はむしゃくしゃ!
    あのふんぞり返った滑稽な態度は、明らかに世間ズレを気付かない代議士先生病。復興の足をひっぱっている~。
    ああ、永田町に田中翁は出ないものか。

  4. ミキコさんと サラエボで桑山さんが出会ったおばあさんとが 重なりました。
    サラエボの戦争で爆撃をうけて 自分以外の8人の家族全員を失ったおばあさん。
    朝8時から 夕方5時まで 家族の眠るお墓に通う事が、残りの人生の全てになってしまったおばあさん。あのおばあさんは、ミキコさんのように、心の拠り所を見つけてくれたかしら?
    息子に託された命を
    「誰かのために役立てたい。 輝かせたい。」という気持ちになったミキコさんのように、サラエボのおばあさんも、前向きな気持ちになっていてくれますように。
    「誰かのために 自分にも何か出来る事があるかもしれない。役に立てなくちゃ。」という思いが、家族を亡くした者には 生きる力になるのですよね。

  5. もし首都直下型の地震が起きたらどうなるのか。3月11日、首都東京は帰宅難民で溢れ返った。二次災害を恐れた政府は枝野官房長官を通じテレビで呼びかけた。「無理に帰宅するのは止めてほしい」。
     これを受け各ターミナル駅は通勤客で溢れ返った。近くの学校や体育館に向かう人々。または駅の構内へ座り込む人々など、不安を抱えながら人々は一夜を過ごした。なんの混乱もなくその夜は過ぎていった。このことに世界が驚いた。「日本人の、なんと秩序の正しいことか」と。世界のマスコミは日本人の礼儀を称賛した。
     シンガーソングライター(桑山先生はシンガーソングドクターであるが)のさだまさしはこの日都内のスタジオでレコーディングの真っ最中であった。スタジオがドンという突き上げるような音とともにかつて経験したことのない激しい揺れを感じた。レコーディングは直ちに中止。
     さだはその後伝えられるニュースに注目した。地震と津波のニュースはさだのこころを揺さぶった。ただ言葉を失くした。惨劇の前にしばらく立ち直れなかったそうである。
     ミュージシャンとして何ができるのだろうか。なにもできない自分。大いに悩んだ。
     一ヶ月後、笑福亭鶴瓶に声を掛けられやっとの思いで被災地に向かった。一か月が過ぎ、ようやく落ち着きを取り戻すことができコンサートを被災地で行うことができるようになったそうである。
     あの、地震と津波は多くの人に被害を及ぼしたが、被災地以外の人にも多くの被害を与えていた。
     こころの被害の大きさをあらためて知る思いがした。
              和歌山   なかお

  6. 先週末、石巻で泥かきをしてきました。
    知り合いもいない中の申し込みでしたし、なんにもできないかもしれないと思っていました。
    でも、以前スタディーツアーで連れて行ってもらった東ティモールの若いママさんが会話の中で、
    『この国に来てくれてありがとう、ずっとこの国を忘れないで欲しい』
    ってゆっていたのがわたしの中にはあったので、役に立たなかろうが忘れてないよってゆう気持ちを届けたくていってきました。
    実際目にした津波の爪痕はまだ言葉にできません。
    たった2日間ではありましたが、地域の方々にお話を聞けたり、心の通った交流ができて幸せな時間でした。
    そして、改めて限られた時間しかない自分の人生で、大切なものは大切にして、一緒にいたい人とはできるだけ一緒にいて、家族や友達と深く付き合っていきたいと思いました。

  7. 息子さんが 身代りになって 自分をいかしてくれた
    残りの人生を大切に過ごしたい
    そこまでたどり着くのにどんなに 大変だった事でしょう~
    まだまだ これから 戦いの日々が繰り返すのでしょうね。
    でも ほんの少しづつでも 心が軽くなりますように 心からそう願っています。
    被災された方々が 明日に希望の光を見出すことができますようにー

  8. ミキ子さんの立ち直りにはただただびっくりです。こんなにも強くなれるのですね。
    息子さんの分も精一杯生きてほしいです。
    今日、3月末から4月初めにかけてみやぎ生協の支援に入った方から少しお話を聞きました。
    幼い子どもが必要としている牛乳1本売ってあげることができない無力さに落ち込んだそうです。
    閖上の街でガレキ撤去を手伝ったときには、ヘドロにまみれた力仕事で握力はなくなるし、
    座れず倒れてしまうほど疲れてしまい、毎日やり続けている人達の苦労が身に染みたそうです。
    被災地での経験を伝えることが、改めて皆さんの気持ちを復興支援に向けると感じました。

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *