今日は、友達のメイさんと空港に向かいました。
めいさんは3月11日、空港で働いていました。津波が空港にあたるその瞬間も2階で仕事をしていました。クルマも流され、1000人を超える人が空港ターミナルビルの中に閉じ込められ不安な一晩を過ごした中にメイさんがいました。
めいさんは家族と連絡が一旦は取れたのですが、ある時を境に取れなくなり、不安な気持ちを抱え続けていました。人間は情報不足が一番心の負担になります。
「どうなんだろう・・・」
「こうなのかな・・・」
不安を抱えることはとても辛かったと思います。でももともと気丈で元気いっぱいなメイさんだから周りの心配は伝わってくるけど、ここはしっかりしないとと自分を奮い立たせていました。
そしてメイさんは仙台空港が遠くなりました。どうしても近づく気持ちになれない・・・。職場なのにと思えば復帰も視野に入れないといけないのに・・・。
こうして近づけないところができてしまう人はメイさんだけではありません。春代ばあちゃんだってどうしても通りたくない道があります。それは津波にのまれそうになった道。いつも迂回してきましたが、1ヶ月ほど前、明ちゃんも一緒にクルマでその道に近づいていくことから始めました。初回は難しくその道に入る手前で引き返しました。春代ばあちゃんには負担でした。でもその後、お孫さんが、
「おばあちゃん、踏ん張って行こう!」
と誘ってついに春代ばあちゃんはその道を通れるようになったのです。人はこうして乗り越えていくものです。でも「時期」が大切です。
メイさんとフリード君に乗って空港へでかけました。
杉ヶ袋の交差点を越えて行くと、
「ああ、このあたりはまだまだ手つかずだったりするんですね。」
メイさんが言います。
「そうですね。クルマも結構残ってます。メイさん大丈夫?」
「はい、大丈夫です。」
気丈なメイさんです。
「あのあたりで、家族が見つかったんです。」
「橋のたもと?」
「いいえ、アクセス線の高架の下です。」
「そうですか・・・。」
メイさんの一言一言に、最大の注意を払いながらクルマを進めました。
「ああ、公園の遊具が・・・、なぎ倒されてる。」
「はい・・・。」
道は北釜の集落に入りました。
「何にもない・・・。」
「はい、何にもないですね。とても受け止められません。」
「ショックです。」
橋を渡って空港敷地内に入りました。
「メイさん、大丈夫?」
「はい、大丈夫です。でも頭の前のあたりがジンジンしてきました。」
「・・・。」
空港の周遊道路をゆっくりと走ります。クルマの乗降ポイントにさしかかりました。
「こんなふうになっているのか・・・。」
メイさんがぽつりと言いました。
「メイさん、降ります?」
「はい。」
びっくりしました。ちゃんと降りて中に入る決心をしてきているんです。立派です。
フリード君を停めて、中に進みました。入り口で一瞬、メイさんは立ち止まりましたが、一緒に働いてきた同僚を見つけて、手を振りながら中に入っていきました。
「メイちゃ~ん!よくきたね~!」
みんながメイさんを囲みます。
「どうしてた?大丈夫?」
一気にみんなが涙目になっていきました。メイさんも涙ぐみながら、みんなと話し始めました。気丈な人です。
同僚の一人が話しかけて下さいました。
「メイちゃんは、明るくて前向きで、気丈な人だから、“大丈夫”って自分で背負ってしまうんです。もっと弱音吐いても良いんだよっていうんだけど、メイちゃんは強い人だから、踏ん張っちゃう。」
「でも、みんなと会って泣けてきてますね。」
「私たちも、あの日のことやその後のことを話すとまだまだ涙が出てきます。」
「それでいいと思います。自然なことだから、泣けるうちに泣いておいた方がいいと思います。」
「そうですね。でもメイちゃんはなかなか涙見せないから・・・。」
いい仲間を持っているメイさんはこうしてついに仙台空港に入っていけました。
心の傷はまだまだ完全に癒えたわけではないと思います。でも、こうして一つ一つ乗り越えていくメイさんの姿を見ていると、僕たちができることが見えてくる。それは、お互いに「あの日のこと」をしっかりと話して物語りにし、形にして心の中に落ち着けていくこと。それは心の中の引き出しに整理良くしまっていくようなイメージに似ていると思います。そんな課程の中で僕たちはもう一回「がんばろう」と思えていくのだと思います。
戻るクルマの中で、
「どうでした?」
「はい、いけて良かったです。」
「そうですね、よくやりました。」
「はい、なんかみんなに申し訳なくて・・・。」
「いえいえ、リハビリだと思えばいいんですよ。」
「そうですね・・・。」
人はこうして困難を乗り越え、強くなっていくのだと思います。たくましきメイさんに幸多きことを!
桑山紀彦
桑山さんは本当に精一杯の愛で患者さんを導いているんだなと感動しました。
辛い思いを抱えながらも、皆さん、勇気を振り絞って乗り越えようとされているんですね。
「泣けるうちに泣いておいた方がいい」心を開放することは大事なのだなと思いました。
暑くなって来ました。スタッフの皆様もどうぞご自愛ください。
いえ、患者さんでなくて友人たちとの関わりです。あしからず・・・。
良い仲間をお持ちですね!金八先生 特に好きな番組じゃないけど、[人と言う字は…」を思い出します。
実家から新幹線で帰って来ました。JR西日本の間、クーラーが寒くて上着を来て寝ていました。何故か熟睡して名古屋に着いた事に気がつかず、暑くなって目が覚めました。東京電力の管轄下に突入してクーラーの設定温度が上がったのでした!明日からも暑い… そして、品川で降りて山手線に乗り換えて原宿下車。代々木体育館へ!今日も省吾に元気を貰いました。本当なら来週は仙台じゃったのに…
桑山さんのコメントに、ちょっとウルッと来ちゃいました。
メイさん、お強い方ですね。
そして、自らも被災しながら、そんなご友人を思いやれる優しさに裏打ちされた、桑山さんの強靭さに改めて敬服しました。
昨日は、地元の障がい者支援団体の総会に出席させて頂き、今回の災害の被災地、避難所での色々なお話をうかがいました。
障がい(特に、外見から分かり難い精神的障がい)のある方々にとっての辛い現実を知り、胸の痛くなる思いでした。
また、そうした方々の支援に入られたJDF(日本障がいフォーラム)の方々が、自身は被災していないにも関わらず、被災地に赴いて色々見聞きしただけの事で、数週間後にTVのニュースや新聞記事が見られない状態になった、まさかPTSDになるとは思わなかった、とおっしゃっていました。
「津波祈念資料館」の必要性をひしひしと感じます。
今の私に出来る事として、周囲の人々に話し回ろうと思いました。
ともに行動してその流れの中で、平らかに気持ちを受け止めてあげる。彼女の心の壁がすこしづつ低くなる。
これって、子供が安心するように一緒に添い寝してあげる気持ちと一緒ですよね。 素晴らしいなあ~。
心の中に、「 整理して 収まりのいい場所に きれいに しまっていく」正に、その感じです。
息子が亡くなった場所には 辛くて近づく事が出来なかった。でも そのまま 避けて通っていたら、ぐちゃぐちゃの散らかった部屋を そのまま放置している感じだったでしょう。
だから、その場所に行って、手を合わせ花を手向けました。自分の心の傷の状態を看ながら、誰かに 甘えて支えて貰いながら、そんな事を ひとつひとつ 乗り越えていかなければならないのだと思います。
そんな事を積み重ねて行くうちに、心の中の整理された部屋の中に 目には見えないけれど 愛する者の存在を感じる事ができるようになりました。
ぐちゃぐちゃの部屋では、そこに来てくれないのかも。
めいさんは 桑山さんに見守って貰って良かったですね。
もうすぐ夏休み
この夏、記録的な猛暑が訪れるらしい。その上、原発事故の影響から、全国で15パーセントの節電の実施。国民はこぞって出かけて家庭での電力の消費をゼロとし、節電に協力するようにと各自治体が働きかけている。ではいったい何処へ出かけていけばいいのかというと、各旅行会社は人気商品をこぞって売り出した。震災ボランティアツアーである。
近畿日本ツーリスト、宮城県の被災地支援と東北六魂祭観光と銘打った、2泊3日のツアー。15日23時東京発、16日朝から午後まで被災地で活動し、同日夜と17日午後までは祭りを楽しむ。各地の特産品も販売。参加費用は33、500円である。
HISでは、岩手県田野畑村での清掃活動と仙台七夕まつり。期間は8月4~8日まで。4日23時新宿駅を出発し、平泉・中尊寺見学の後、6、7日は地元の人と共に机浜番屋群復興支援、北山崎清掃活動を行なう。8日に仙台七夕まつり観光をして帰京。参加費用は49、800円である。
地球の歩き方、宮城県沿岸部のボランティアと平泉観光で3泊4日の旅。出発日は7月17日と23日の二日。初日は22時に新宿駅西口を出発し、2,3日目は南三陸町・女川町などで避難所の清掃、がれきの撤去。最終日に岩手県平泉町で中尊寺金色堂などを観光する。座禅体験もある。これで費用は4万6000円である。
観光と復興支援に興味のある方はぜひご参加を。それと、体力に自信のある方・・・・。
僕はというと、首が痛い、腰も悪い、足がけいれん、それに持病のヘルニアも。およそ、満身創痍である。観光はいいが、がれき撤去や清掃活動にはまったくの役立たず。その上に極端な虚弱体質でこのような活動に参加するのは到底無理という生きていてなんら存在価値があるのかと思えるような人間である。
復興支援に強い意志と体力のある方、ぜひご参加を・・・・。
和歌山 (意志と体力のない)なかお
読んでいて、ぞっとしました。
私も5月3日に仙台空港へ行きました。
忘れもしません。仙台空港鉄道の入り口でみつけた1本の線。
駐車場の地面から約3mあたりにくっきり残っていた直線。
商売柄、その線をみて、すぐに理解しました。
その線が水没ラインであったことを。
その直線は、私にそこで起こったこと全てを教えてくれました。
直線であるということは、一定期間その位置に水が停滞しないと起こらない現象です。
つまり、そのラインまで水没したこと、さらに、一時的に安定した状態があったということは、
逆にいえば、安定する以前の状態があったこと、その不安定な状態が津波であって、津波の高さが
3m以上あったこと、そして、もっとも理解したくなかったことは、この状況下、生存率が低かった
であろうこと、全てを理解してしまいました。
その瞬間、恐怖と認めたくない気持ちが入り交じり、吐いてしまいました。
あの光景が今も鮮明に残っています。
ですので、このブログを読んだ瞬間、その恐怖感が鮮明なまでに蘇ってきました。
被災していない私でさえ、これほどの恐怖を感じるのですから、ご本人がたにとって、どれほど
堪え難いことか。心中、察するばかりです。
誰も、急速な現況復旧を望んではいません。
むしろ、みなさん、いろいろなものを失ってしまった以上、現況復旧を望むこと自体、無理である
ことくらい、理解はしています。
無理せず、ご自分のペースで、これからを創っていっていただきたい、と願うばかりです。