今日の中学生はがんばりました。
灼熱地獄の体育館で100分、「地球のステージ」の3番に付いてきてくれました。しーんとして、一生懸命聴いてくれましたね。そんな生徒さんたちに感動した僕は「震災篇」の終わりに新しい話をさせてもらいました。
「あるお母さんが教えてくれました。
ーせんせ、最近閖上におばけが出るって話知ってる?
ーいや、聴いてないです。
ー夜ね、走っているおばけが出るんだって
ーホントに?
ーはい、津波から逃げようとして遅れた人がおばけになって走っているんだよ
ー・・・
ー昼にもね、走っているおばけ、見える人には見えるんだって
ーそうか・・・
ーわたしね、その中に自分の子どもがいると思うんだ。うちの子どもは足が遅かったから、だから逃げ遅れたんだ。だからうちの子どもは今おばけになって走っていると思う。
ーうん・・・。
ーせんせ、私どうしても逢いたい。おばけでいいからうちの子どもに逢いたいんだ。そしてぎゅっと抱きしめてあげたい・・・。
みんな、これが人が生きて死ぬということです。だからどうかもうこの中学校の中で人に向かって“死ね”と言わないでください。たくさんの人が亡くなったんだ。だから決して生きている人に“死ね”といわないでほしい。
そしてどうか、人が傷つくような行為や言葉を投げつけないでください。たくさんの人が傷ついてまだ立ち上がれないんだ。
同じ日本で起きたことなんだ。同じ日本人がたくさん亡くなってたくさん傷ついたんだ。だからもう“死ね”といったり人を傷つけるようなことをしないでほしい。それは被災地を応援することになるんです。
みんなもがんばって募金したよね。ありがたいことです。でもね、募金よりももっと出来ることがあると思うんだ。それはもう学校の中で人に向かって“死ね”と言わないこと。人を傷つけるようなことをしないこと、それはみんなが学校にいながらもできる被災地への支援なんだよ。
津波で無念の中で亡くなった人や、残されて心の傷に苦しんでいる人のことを考えて、「もうオレは人に向かって“死ね”なんて言わない。もう人を傷つけるようなことはしないぞ。」
って思ってもらえたら、被災地に暮らす僕たちはどれほど幸せに感じるだろうか。たくさんの亡くなった人も今も残されて苦しんでいる人も、そんな遠い地に暮らすみんなの「痛み分け」の気持ちを感じて元気を出せるかもしれないんだよ。」
中学生は水を打ったように静かに聴いていてくれました。
そして撤収。ギターをしまおうとしたその瞬間、
「お前、今なんて言うた!?」
先生の怒号が体育館に響き渡りました。
「なんて言うたんじゃ、お前!!」
6人の先生が集まりました。その中学生は凍り付いたように静かにしています。
その生徒が帰り際、となりの女子生徒に
「お前は死ね」
と言ったようです。それを聴いていた先生の怒りは頂点に達し、今し方被災地の人間が気持ちを込めて涙声で「もう死ねなんて言うな」と言っているその5分後にとなりの生徒に「死ね」と言った。そこで「お前は何を言っとるんじゃ!」と強力な指導に入った現場でした。
僕は自分の周りを片付けながら、その動向をじっと感じていました。ガツンとしかられた生徒は一瞬くちごたえをしたようで、一層先生の怒りを買っていました。
これが現代の中学生の一つの姿なんだと思いました。厳しい現実です。足が遅くて逃げ遅れた自分の子どもに、おばけになっても逢いたいというお母さんの気持ちは、その中学生には届きませんでした。哀しい現実です。でも一方で僕がすごいと思うのは、先生たちの即座の対応の素早さです。
そういった心ない言葉を見過ごさない、うやむやにしない。徹底的に指導する。ついには一旦教室に戻っていた他のクラスの生徒さんももう一回全員体育館に呼び戻されて、即座の学年集会です。それは延々と1時間以上も続きました。先生たちは汗も、涙も一緒になりながら、一心に生徒に語りかけます。
「なんてまっすぐな指導なんだろう」
僕は感動していました。
心ない生徒はいるでしょう。でも、この中学校の先生はとことん関わる。しかも全体できちんと関わる。即座に動く。そうやって何が正しいくて何がいけないことなのか、はっきりとその場で伝えていくのです。
そんな先生を見ていると、気力も体力も、そして時間も限界の中で本当に先生たちはがんばっていると思いました。職業としては本当にストレスの多い、大変な仕事だと思う。でもあきらめないで目の前にいる生徒たちに全力で関わっていきます。こういった先生たちがいる限り、例えまだまだ心ない中学生が影で弱い人に対して「お前は死ね」などと言っても、必ずいつかはそんなことがなくなると思えました。
その意味で、ここに来れて本当に良かったと思いました。
これからも「地球のステージ」は人の命の物語を伝えていきたいと思います。
桑山紀彦
凄い先生じゃね。それこそ、見て見ぬふりじゃないけど、聞いてないふりしたり、注意したにしても、口先だけ…
こんな指導してくださる先生が、まだ、いるんだぁ。 ブログ読んで嬉しくなりました。
それにしても、暑い中、みんな、よく頑張ったね?
ついつい 軽い気持ちで「死ね」って言ってしまう子供達に、話してくださいね。「死ね」って言ったらいけんって!
お疲れ様でした。
9年前に初めて「地球のステージ」に来てもらおうと思ったのは、保護者会で、お母さんに向かって「死ね」「殺すぞ」って子どもが言うのだということを、たくさんのお母さんから聞いた時でした。そして、「地球のステージ」後の保護者会、「先生、うちの子”死ね”って言わなくなりました」という声をたくさん聞きました。その時は「命の教育」というテーマで「脳死」や「臓器移植」のことなども、ホームルームで展開しました。今日のブログを読んで、その時の若い先生のまっすぐな指導を思い出しました。
この中学の先生方のまとまった指導は、本当に素晴らしいです。その中学生にも、お母さんの気持ち、届いていたと思います。ここの中学の先生なら、ねばり強く指導されることでしょう。でも、先生や親の言葉では、わかっていてもきけないことも思春期のこどもたちにはあるのですよね。
だから、桑山さん、「届かなかった」なんて言わないで、これからも、たくさんの中高生たちに「命」の大切さを説いていって下さい。きっと、今日の中学生もわかっているはずです。何が、なぜいけないかを。
言葉は人を幸せにすることも傷つけてしまうこともある。中学、高校の時はちょっとしたことでもストレスになるのかもしれない。この年頃はうまく感情の整理などがつかないときでもあります。そんな時だからこそ先生がいて、ちゃんと叱ってあげて生徒が道を踏み外さないようにしてあげる。
素晴らしいことだと思います。
精神が一番変化(成長)する時で、大人の云う事を素直に聞きたくない年代なのでこういうひねくれ者はどこにでも必ずいます。本人が、「あの頃の自分はバカなことをしていた」と早く気がついてくれればいいのですが・・・
全員を呼び戻す判断をした先生の機を逸しない対応は根性ありますね。
でも、ステージは99%の生徒には浸透していますよ。
ひねくれた考えの人間。確かに存在は否定できません。
私はその子の日頃の生活、家庭環境が心配になりました。
桑山先生の話された後すぐの言動は、中学生とはいえ不謹慎です。
けれど負の言葉が日常の生活にあるのではないかと思いました。
教師が毅然とその生徒に正したことは、良かったと思います。
その生徒には桑山さんがよく使われる「斜めのものの見方」があると思います。
これから成長していく子供達を導いていくのは大人達の役目と思います。
言われた方の生徒さんも辛かったでしょう。
私の子供も中学生の時同じ経験をしましたが、すぐ親には言わず一人耐えていました。今も胸が苦しくなります。
辛い時は勇気をだして訴えて欲しい。周りが気づかずに苦しんでいる子供達は少なくないと思います。
地球のステージで 桑山さんが ソマリアでの話をされました。
戦争をしている国の風景でした。壁が銃の弾の穴だらけの家。バズーカ砲に当たって、屋根が抜けてボロボロの家。自分の家にこんな酷い事をされたら、どういう思いだろう!
びっくりしました。
街では 機関銃を付けたトラックが走り 乗っている人が 笑いながら 歩くひとに空砲を撃っている。
恐ろしい情景でした。
「ひとのことを 撃って遊ぶ ゲームは 嫌いです。そんなゲームはしないでください。」
桑山さんは、中学生に話していました。
自分が 銃を向けられた経験があれば、 あんなゲームは とても辛いと思います。酷い遊びです。私は子供に禁止です。
「死」と向き合った事のある人間にとっても 「死ね」 なんて 言葉は、胸に突き刺さります。「走るおばけ」の話は、中学生の胸に゛ストンッ゛と落ちたと思います。
そういう事を、ひとつひとつ子供達に感じてもらい、子供自身が共感することで 心が成長して行くのですね。
桑山さんは子供の心を育てているのですね。
「週刊文春」7月7日号より転載
「しんさいにあって」
たかだま そら5さい
わたしは じしんにあったとき ほいくしょにいました。
せんせいたちがしょうがっこうにひなんさせてくれました。
そのあとすぐにつなみがきておくじょうににげました。
よるはとてもさむくてこわくてせんせいに、だっこしてもらいました。
あさいちばんにパパがむかえにきてくれました。
すごくうれしくてだっこしました。
そのままそとにでてままのとことまでつれていってくれました。
ままのかおがみえたらきゅうにないちゃいました。
じしんとつなみはとてもこわいです。
報道からは窺いしれなかった、想像をはるかに超える苛酷な体験があった。この作文は名取市で被災した高玉そらちゃんの作文である。
80人以上の子どもが津波の経験を作文につづっている。「つなみ 被災地のこども80人の作文集」-文芸春秋臨時増刊号ーより。
和歌山 中尾
「(お前なんか)死ね!」
こんなに残酷な言葉はない思うのに、セリフを言うかの如く簡単にいう子どもたち・・・。
今は成人した息子が、小学校に上がって直ぐの頃、この言葉を言ったことがありました。どこからか聞き覚えてきたのか、まるで、母の反応を試すかのように、面白そうだからちょっと使ってみるといった具合でした。
小さな声でちょっと言った言葉を聞き流すことができず
「今のことばに、お母さん傷ついたよ?!」
私もこの中学校の先生方のように反応し、人が死ぬこととはどういうことなのか~から始まり、小学1年生の息子に延々と話をした記憶が蘇りました。
それ以後、二度とこの言葉を言うことはなくなりました。
こどもたちにも「人の死とは、簡単に『死ね!』などと言えるものではないということ」を、体験をしなくても、感覚として分かってほしい、そう願わずにはいられません。
「死」に向き合うことが少ない現代ですが、本当の「死」に出会ったことがなくても、
桑山さんの話を聞けば想像することはできると思います。
子どもの心を育てるには大人が真剣に向き合うことが必要です。
この中学校の先生は素晴らしいですね。私もうれしくなりました。
これからもステージで「人の命の物語」を生きることの素晴らしさを伝えてくださいね。
先生のお話、きっとその子にも少しは届いたはずです。
届いてないようだけおれど、人間みな心があるはずです。
いつか、先生のお話を思い出し、早かれ遅かれ心に響くと信じたいものです。