今日は京都の同志社女子大学でのステージでした。
今年で5年目のステージは同大学子ども学科の藤原孝章教授が呼んでくださっているものですが、常に学生さんが中心となり、進行もみんな学生さん主導で行われます。いつにも増して真剣に聞いてくれる同女の生徒さんたち。「震災篇」がとても身近であり、大学生として何が出来るかを模索し続けてきているからだと思いました。
ステージが終わって、いつもの交流会が始まりました。毎年ステージ終了後に開催されているこの交流会は、年を追うごとに参加者が多くなりかつその質問内容や聴く姿勢が年年レベルアップしていることがうれしい限りでした。
そんな中で出た大学生からの質問とその答えです。
質問1:
紛争による心の傷と、自然災害による心の傷ではその癒し方に何か差がありますか?
桑山の答え:
そうですね、正直最初は人災である紛争の方が人に対する憎しみを抱えるという点において心を癒しにくいと思っていました。自然災害の方があきらめが付いて次のステップにいきやすいと理解していたわけです。ところが実際に津波の被害に遭った皆さんと日々接していると、「誰を憎んでいいかわからないことの方が辛い」という意見が大半でした。だから、紛争被害はある意味で憎む相手がはっきりしているので、それに対して怒りを持てば方向性がはっきりとし、かえってそのほかの部分は日常化していきます。でも自然災害はその怒りの矛先が定まらないために心の中が悶々として日常生活全般に悪影響を及ぼす可能性があるということがわかってきました。だから、自然災害による心の負担は逆に紛争による心の傷よりも扱いにくいという感じがしています。
質問2:
現地に活動として入れることになった場合、どんな姿勢が必要でしょうか?
桑山の答え:
今回思うのは、妙に「専門家」と呼ばれている人たちの方が現地の反感を買い、現地に迷惑をかけて帰っている感じがすること。逆に「何でもしますので」という無垢な姿勢で現地入りした人たちが地元に大きく受け入れられ、交流も進んでいい仕事をしているように思います。それはおそらく専門家と呼ばれる人たちは前もって現地のニーズを想像し、それに沿って自分を形作り現地に持ち込んでしまう。でも現場のニーズは刻々と変化し、前もって予想していたニーズが合っていない場合も多々あります。しかし専門家と呼ばれる人たちは変なプライドもあるので、そのまま専門性を現地に押しつけて不評を買うというパターンです。でも、「出来ることは現地で探そう」という姿勢で入る人は、その現地でのニーズ把握に対して柔軟なので、いい仕事をするということなのだと思います。
だから基本的に現地にあるリアルなニーズを把握した、自分にできることを模索していく姿勢が大切。変な「専門性」のようなものがかえって現地にとって迷惑になるかもしれないという視点は大切かと思います。
質問3:
今回自らが被災したことによって、今後海外の支援活動に対する自分の姿勢に関して変わったと思うことがありますか?
桑山の答え:
震災直後入ってくれた東京のNGO、SHARE(国際保健市民の会)は、さぞ災害救援を自らの手でしたかったでしょうに、
「桑山医師と藤川医師の両名を休ませるためにきた」
といって、夜勤を貫いてくださいました。おかげで僕たちは休むことが出来て持続することが出来て、24時間体制は盤石となっていったのです。こういった
「自分は活躍しなくてもいい。地元の人間が活躍するべきだ。そのために自分たちは黒子でもいい」
というSHAREの姿勢は後世まで長く語られていくと思います。現場で被災した人間として今も心から感謝しています。そんな姿勢の大切さを学んだことは大変重要だったと思います。
今後海外の震災現場などに赴いたとき、やはり
「まずは自分が患者さんに聴診器を当てて・・・。」
という思考ではなく、まずは地元の医師が持続して活動できるために自分に何が出来るかを考えるべきだと強く思うようになりました。地元でがんばっている人を応援するという姿勢の大切さです。
九州のある西の県からきた臨床心理士が、地元の心療内科として行っている「心理社会的ケア」について、見てもいないのに、「○○という文献を読んだか」「△△という学問は勉強したのか」などと批判に終始している姿勢を見たとき、情けなくなりました。自分が心理の専門家ということでそのまま被災地に貢献できると思って勘違いしている人だと思います。まずは現地で何が行われているのかを謙虚な姿勢で聴き受け入れ、あくまで自分は黒子に徹しながら側面支援をする姿勢を持つべきところを、大きく間違えた関わりをしていると思います。
このように、今回学んだことは、「そこにずっと住み、ずっと活動している人間を支えるのが、外部からきた一時滞在の人間の役割」ということです。今後の現場に活かしていきたいですね。
ずいぶん高度かつ深い内容に質問がいっていると思いました。
(向かって右が藤原先生)
藤原先生はじめ、現代子ども学科はいい人材を育てています。直接被災地に行かなくても、こんなに真剣に考え悩み、自分にできることを考えている日本の大学生に会えて嬉しくなりながら、次の公演地、姫路に向かいました。
桑山紀彦
内容の濃い交流会ですね。質問に答えながら、桑山さんも色々と再確認出来たりもするんですか?どんな質問をされても、いつも的確に分かりやすく答えていらっしゃいますよね。明日は中学校ですか?
昨日は朝はわりあい涼しかったのにどんどん気温が上昇して、35度前後になったみたいです。7/1からは節電ダイヤになります。ご近所のパン屋さんは、毎日午後1~2時間お店を閉めて15%電気の使用量をカットするそうです。
子どもの頃、一夏に25度超える日すら数日じゃったのになぁ…
もういちど、幽霊でいいから会いたい
フェリーを降りて、スタッフから渡されたメモに記してある料理店の住所を目指して九龍島の繁華街を歩いた。(中略)
まだ、誰も着いていなかった。撮影が長引いたのかもしれない。ビールでもやって待つことにした。給仕を呼んだ。なかなかあらわれなかった。少し大声を出した。
おずおずと一人の男が顔の汗を拭いながらあらわれた。その顔を見た瞬間、ボクは手にしていた煙草を落とした。
疲れ果てたように首に滴る汗を指で拭いながら男はボクに、まだメンバーが揃わないのか、何か飲むか、と訊いた。男は新米の給仕なのかどこか怯えているような物の言い方だった。しかし、それ以外の顔は、目も、鼻も、唇も・・・、すべてが先生と瓜ふたつだった。
男がテーブルの上で煙を上げているボクの煙草を指さした。ボクはあわてて煙草を拾おうとしたが、指先が震えて上手くつかめなかった。ようやくつかんで灰皿に入れた。
「何か飲みますか」
男の声がやけに遠くで聞こえた。
「ああビールを下さい。青島(チンタオ)ビールを」
青島、青島と男はくり返し、立ち去ろうとした。ボクは声を発した。
「君は、君は、君は・・・・」
ボクの声は段々と大きくなっていた。
男はその声に驚いたのか、おじけづいたような情けない目をして部屋を出て行った。
「あっ、待て、待ってくれ」
ボクは男を追い駆けた。だがそこに男の姿はなかった。若い女の給仕に、今ここにいた男はどこに行ったか、と訊いたが、彼女は言葉が通じないのか、ただ首を横に振るだけだった。厨房に続く扉を開けたが、そこにはコックたちが忙しく立ち働いているだけで皆がボクを睨み返した。
席に戻り、男を待った。
---先生、こんなところにいたのですか。
ボクはつぶやいた。
待ち遠しかった。
男はあらわれなかった。ビールも来ない。燃え尽きようとする煙草だけが燻っていた。
大粒の涙がとめどもなく流れはじめた。
伊集院静「いねむり先生」より
和歌山 なかお
SHAREの姿勢、桑山さんの答え~おっしゃる通りです。
「地元の言葉で同じ目線で接することで患者さんと信頼関係を作ることが重要」であると、前に云われていたことに繋がっていますね。
話は変わりますが・・・・・
TBSラジオの「小島慶子のキラキラ」でゲストが原発のことにふれて面白い話をしていました。
【震災と津波は自然災害だから真剣に「自分に何ができるか?」と考えたが、原発は人災なのでひっかかるものがあり今一つ素 直な気持ちで対応できない。
それは何故か?
極東裁判でA級戦犯の大半が、「自分個人としては戦争に反対だったが、それを云うと非国民扱いされるので決定したことの忠実な実行者に過ぎない」と無罪を求めた。
全体の流れ(空気)には忠実だが物事の本質がずれても沈黙してしまうのが日本人の国民性が表れた顕著な例である。
これと同じことが、今、福島原発問題で起きている。
即ち、政府も東電も正面の事故処理に躍起となっているが、3カ月を過ぎているのにまだ何も見えてこない。
誰ひとり責任をとりますといった発言もない。
テレビをみていると「原発を管理するルールを守ってちゃんとやっていた」「津波の規模は想定外であった」と悪びれることがない。「だから我々は悪くない」と言わんばかり・・・政府も東電も、基を築いた自民党も財界もまったく人ごと。
これってA級戦犯と同じ姿勢で、60年たっても国民性は変わっていない。だから今の政治家や東電幹部には期待できない。
国民にとっては迷惑な話である。
東電の社長は年俸を半分にすると発表しているが、それでも3200万円もある~ふざけるな!と言いたい】
・・・以上(異常)の内容です。
勇気を持って発言したら、村八分・いじめに会う社会って今でもあるんですね・・・。
学生さんとの交流、良かったですね。真剣に学ぼうという姿勢が素晴らしいですね。
「地元でがんばっている人を応援する」という姿勢、意識しないとなかなか出来ませんね。
相手の立場に立って考えることを常に意識するように努力したいと思います。
写真の中の明ちゃんに会えてうれしいです。明ちゃんの笑顔、素敵です。
優子ちゃんも今週は名取で頑張ってくれています。
事務局の皆さんもどうぞ健康に気を付けてくださいね。
桑山さん、後藤さん
忙しい中、震災特別編(同女板)公演をしていただきありがとうございました。
4月2日の神戸での公演に比べて、内容が内省的(reflective)で、よかったです。あれから2ヶ月、3月から3ヶ月以上たっていて、私たちの心模様も変化していることを感じました。
ふと、学生時代に好きだったフレーズに「我深き淵より来たり」ということばを思い出しました。ジャワ震災編もパレスチナ編もヒロシマ編もなんか以前とは違った「深み」というか「あつみ」がありました。
学生たちは、昨年の公演がなかったこともあって、最初から勉強しなおしました。私もよく考えているなあと思う質問ばかりでした。参加者の中には一般の方や近隣の先生もきていただき、広い新島記念講堂では少なくみえましたがが、200名ぐらい来てくれてました。学生たちも感動していたようで、参加者アンケートもまたまとめたいと思います。
今回は現代社会学部の「震災復興に向けてエールをおくろう」というとりくみの一環としておよびしました。これからも同女の学生といい交流ができればと願っています。
次は、奈良女子大ですね。よろしくお願いします。
有意義な地球のステージされたこと 嬉しく思います。
関西に来られているのに 参加出来なくて残念!!
地元の子どもたちに 絵本や紙芝居などで お話を届けていて なかなか時間が取れなくて・・・
先程 TVで800人の従業員を抱えておられる震災にあわれた社長さんが 言われた言葉に涙しています。
家族を亡くされたり、家を無くされた方が多いのに その上職を無くされたら生きていくのに大変。相談相手もなくなるからと 踏んばる。新入社員もそのまま 採用。
なかなかできないよね。
今日も 暑くなりそうですが、桑山さん明ちゃんお身体に気をつけてくださいね!
藤原先生、PRありがとうございます。
ひろのさんはじめ関西にお住まいの方、土曜日ですのでぜひご参加下さい。
日 時:7/9土 13:00~15:00(予定)
場 所:奈良女子大学講堂(近鉄奈良駅北へ徒歩7分)
参加費:無料(奈良女子大学教職員組合が負担します)
内 容(予定)
オープニング:(曲)「世界の片隅から」
イラン震災救援篇:(曲)「勇気のしるし」
ルワンダ篇:(曲)「あしたへ」
スリランカ津波復興篇:(曲)「逢いたい」
津波震災篇:(曲)「この国へ」
同志社女子大学の内容とは少し違います。
(桑山さん、これでいいですか?)
ご参加の方は、下記まで①代表者名②所属(一般でいいです)③参加人数 をお知らせいただけるとありがたいです。チケットを発行するわけでも、座席指定するわけでもありません。人数把握したいだけですが、お申込いただいた方の座席は確保します。また、当日参加もOKです。
申込先:stage-in-nara@hotmail.co.jp
またはFAX:0742-20-3360
一朝一夕に同志社女子大学のように高いレベルの学生になったわけではなく、地球のステージの良き理解者である藤原先生の教育の成果だと思います。
そういう生徒を育てていきたいですが、7/9は、地球のステージを観たことがない人にも、たくさんの人に被災地の報告という視点でもいいから見ていただきたいので、近隣お方もお誘い下さい。
おもいがいっぱい詰まったステージでした。10年ほど前に初めて地球のステージをみたときの感覚が、からだの中に戻ってきたような感じがしました。そして、自然にあったかい涙があふれました。
すごくまっすぐで純粋な桑山さんにあえて、うれしかったです。
きょうの授業のとき、きのうの「地球のステージ~震災時区別編」の話をしました。子どもたちの目がキラキラしてました。あとで「先生その人、東ティモールに行ってる?」って聞いてくる子がいました。市の事業で「ありがとうの物語」を見たんだって!
いま中2のこの子たちが卒業するまでに、一緒に「地球のステージ」を見るぞ!っていう夢がひとつできたよ♪ ありがとう(^^)
桑山先生、スタッフの方、とっても素敵な講演をありがとうございました!
私たちがみんなを元気付けて行かなければならない立場なのに、今回の講演、懇親会では逆に先生方からたくさんの勇気をもらいました。
今採用試験の直前で、とっても不安だったのですが、なんだかもう関係なくなりました!今できることを頑張ります!
そして、現場に入ったら名取のおばけのお話しや、人を傷つけない言葉使いの指導をしていきたいと思っています!