今日は朝からいい天気でした。
いつも通い続けている閖上に、今日も行きました。
昼近くなるとたくさんの人が日和山に登ってきます。それこそ様々な県のナンバーの人たちがいらっしゃいます。前は
「なんだ、物見遊山か?」
などという人もいたけど、いまはそんな感じもなくなりました。ある意味閖上のみんなも、
「いまのうちにちゃんと見ていてほしい」
という気持ちになっているのかもしれません。
そこに一台の破壊されたバスが置いてあります。
それは、近くにあったバスターミナルに置いてあった宮城交通のバスが津波に襲われてひしゃげてしまったものでした。何人かの人が一生懸命写真を撮っていました。そして来た人が、
「いや~ひどいな。ここまで津波で破壊されるんだな。」
と納得して帰って行くのを見ました。このバスで誰かが亡くなったわけではないのですが、とにかくそのつぶれ方が激しいので、県外から来た人などは津波のひどさをそこで知っていくのです。
その時、やはりこういったアイコン(刻印)が「今から」必要なのだと思いました。どんどん更地になっていく閖上。それは復興のためには必要な手順だと思いますが、一方で津波の被害を忘れないためには何らかのアイコンが必要になってきているのです。それが、今のところは日和山のひしゃげたバスになっているわけです。百か日を過ぎて、少しずつ心が落ち着いてきているいま、そのことを忘れないためのアイコンが求められている気がします。
これから閖上を訪れる人が、何らかの形で津波のひどさを感じていくために何が残せるか、それが大切なのだと思います。被害者の皆さんの気持ちに逆なでして触ってしまうような展示物では良くない。しかし、津波の惨劇をきちんと伝えられるようなアイコン性(刻印性)を持ったものが必要です。
私たちが現在影ながら保存している赤い消防車は確実にアイコン性(刻印性)を有するものだと思いますが、展示していくことに抵抗を感じているご遺族もひとかたいらっしゃいます。その方の気持ちを汲みながら、一方で人々に津波の現実を伝えるアイコンとして消防車を見てほしいという気持ちもあります。場合によってはその消防車を我が町で展示したいという人も出てくるかもしれません。それを受け止めて行くべきなのではないでしょうか。
今後閖上がどうなっていくのか、それはすべての被災地の抱えているテーマでもあります。だからこそ閖上の復興と、記憶の継承を同時に進めていくことがいま求められているのだと思います。
(バスの写真は明日掲載しますね)
桑山紀彦
ここ数日、読売新聞に閖上の家族の事が連載されています。その方も地元の消防団の方であの日、非難を呼び掛けて走られていた様です。津波でひしゃげたバスも映像で見るのと直に見るのでは感じる事が全く違うんですよね。消防車…理解して頂けると良いですね。
興味本位、野次馬、怖いもの見たさを100%避けるのは困難です。遺族感情を考えると難しい問題ですね。
しかし、アイコンを見て感慨を覚え、心洗われる人が一人でも増えてほしいというのが、見せて伝える資料館の願いだと理解しています。
資料館の使命と重要性を理解いただけるよう、なんとか頑張ってください。
人ごとのようなコメントで恐縮です。
忘れないための資料館。残された「もの」が伝える力は大きいと思います。
そのバスを名取市で保存することは難しいかしら?
消防車もご遺族のお気持ちが変わられる日まで大事にしたいですね。
まだ百か日が来たばかりですもの。心の整理がつかないと思います。
津波祈念資料館HP・館長日誌に「赤い消防車」をアップされたのですね。
吊り上げられる消防車が痛々しいです。
大阪城に行ってきた
大阪はそんなにも「たこ焼き」が有名なのだろうか。
大阪城公園に座って見ているとあちこちに「たこ焼き」屋の看板が目につく。なるほど、これならば綾瀬はるかが大阪城公園に座って「たこ焼き」を頬張るのも納得できる。玉木宏が「たこ焼き」屋のあんちゃんを演じたのには違和感を覚えたが、「たこ焼き」屋のあんちゃんが若い女の子が声を掛けてもいいとおもえる様子である。日曜の午後の大阪城公園にはそんな雰囲気が漂っていた。
「トヨトミ・プリンセス」の映画を見たせいで大阪城を見てみたいと思ったのである。
午後からは、朝から降り続いた雨も上がり日もさしてきた。修学旅行の定番か、バスガイドさんに案内される中高校生がワイワイガヤガヤいいながらあたりを徘徊している。おお、これが天下の大阪城なのだと思って天守閣に向かって歩き出した。
天守閣はこれが三代目である。秀吉が築いた大阪城は、大阪夏の陣で灰燼に帰し、二代目は、徳川家光が秀吉の大阪城とは位置を違えて建てたが、戊辰戦争のおり、新政府軍の攻撃によりほとんどが焼失した。現在の大阪城は昭和五年に鉄筋コンクリート五階建て八層で建築が始まり、昭和6年に完成したものだ。
豊臣時代の大坂城(大阪城ではない)は現在の大阪城の地下にあるそうである。「トヨトミ・プリンセス」ではその地下に大阪国の国会議事堂があり、そこで大阪の独立を宣言するという奇想天外の物語となっているが、独立宣言してもいいような大阪文化といえるはずだ。例えば、たこ焼きとか・・・。
天守閣には途中までエレベーターがあり、その後階段を徒歩で天辺まで登ることになる。
階段を昇っていると様々な言葉が聞こえてきた。
「しぇーしぇー、しゃあー、しゃあー」「いやあー、いやあー、いえー、いえー」
とか
「あんにょん、ひ、はしむにか」「はんやんひ、ひょうひひゃ」
とか、僕にはいったい何を言っているのかまったくわからないが、たぶん中国語か韓国語だと思う。ここも国際都市なのだと思ってしまう。しかし、言葉が日本語でないだけで、容貌だけではまったく見分けがつかない。われらはやはり同じアジア人なのだと思ってしまう。
頂上から大阪の街を睥睨してみると、天下人の気持ちが彷彿としてくるが、異国の人々には、この風景がどう映ったのであろうか。人は、上から世界を見下ろしたい動物なのだろうかと思ってしまう。その気質があるとするとなぜか悲しくなってくる。上からばかりは見ていると物事を間違ってしまうものだ。
議員たちも、上からばかり見ていると、被災地の人たちの本当の苦しみはわからない。底辺で生きる人々の苦しみを知るべきだ。
大阪城の天守閣に登りながら、そんなことを考えた。
和歌山 中尾
もう 百日じゃなく まだ 百日なんだよね。
被災証明書が ネットオークションに出て 悲しくて泣いた。
誰も 買わなかったと聞き ほっとした。
立ち上がっていく 被災された方々の報道に勇気付けられ涙する。
まだまだ 大変でしょうが 復活してほしいと祈ります。
みなさん お身体を お大事に!!
原爆ドームも原爆投下当時の様子を刻印してくれています。
津波の映像も津波のすごさを示すバスも残せる物は残して、未来のために大切に保管するべきではないでしょうか?