それぞれの役割の中で

 今日は百か日の法要の日でした。

 あれから百か日。津波にのまれて亡くなった方の百か日の法要。我が名取市では合同慰霊祭が行われました。うちの明ちゃんとリンリンが慰霊祭に参加しましたが、大ホールはもちろん小ホールにも人が入って、どれほどの人がこの慰霊祭にお祈りに来たかったか、とてもわかりました。
 
そんな中、僕は海老名市にいました。
 今日は海老名市役所が特別に開いてくださった「地球のステージ~震災特別篇」の公演日なのです。もちろん名取にいたかったけど人には役割というものがあり、今日の僕は名取の「今」を海老名の皆さんに伝えることでした。
 今日は震災特別篇なので、これまで活動してきた「イラン南東部大震災」「スリランカ津波被害」「ジャワ島中部大震災」をシリーズで行い、そのあとに「震災篇」を上演しました。午後2時46分は「ジャワ島中部大震災篇」の歌「アヨ、バンキット!」の始まりの時でした。でも、閖上中学校に津波が襲ってきたのは午後4時2分です。だから2時46分よりも、4時2分の方が僕にとっては大切な時間だと思います。
 
 海老名市役所は、内野優(まさる)市長に「地球のステージ」が気に入って頂け、実に5年間毎年年末の人権週間には定期公演を行うのはもちろん、市長の「市内の全小中学生のこの地球のステージをすべて見せる」という決定の元、3年にわたって市内の学校をくまなくまわってきました。今年ですべての小中学校を一巡します。こんな自治体は、山口県周南市、富山県砺波市、仙台市泉区の他にはありません。
 海老名は熱い街なのです。
 今回、海老名市役所が呼んでくださったのは、
「津波祈念資料館の建設に少しでも尽力したい」
 というお気持ちからでした。そのためには早いほうが良いということで今回の公演となったものです。
 「津波祈念資料館」には、既にホーム-ページがありますのでこちらから
 公演が終わったとき、びっくりしたのは内野市長でした。会場を埋め尽くした800人の市民の皆さんがゆっくりと帰って行かれるその中に入り、大きな声で、
「募金お願いします!!」
 と声をかけてまわってくださったのです。最初に用意した箱が小さいことに気付いた市長は、
「もっと大きい箱もってこい!」
 と一言号令。そしてミカン箱が用意され、そこへ入ってくるお札の降ること降ること。本当にお金が降ってくる勢いでその箱に貯まっていくのです。その光景に僕は心底びっくりし、皆さんが本気で僕たち被災地のことを思ってくださるのだと言うことが心からわかりました。
「離れいるからこそ辛いという気持ちがある。だから離れているからこそ一生懸命応援したいという気持ちになる」
 それがひしひしと伝わってきたのです。
 優(まさる)市長、本当にありがとうございます。我が名取市の佐々木市長ととてもよく似ていらっしゃる。豪快で繊細、明るくて慎重。聡明で未来を見すえている。いつか佐々木市長と逢って頂きたいと思いました。
 そして集まった総額が、40万701円。
 40万円!です。たった30分で・・・。
6/18-1
内野優(まさる)市長です。
 これが人のつながりだと思います。こうやって僕たちはたくさんの人に支えられながら生きていくんです。
 ありがとう海老名市。また秋の学校公演と12月のステージ6番でお逢いしましょう。
 名取に帰ってきて江里ちゃんと話しました。今日は江里ちゃんのお父さんのお葬式です。
「ちゃんと終わった?」
「うん、電報ありがとね。」
「うん、本当はいきたかったんだけど・・・。」
「大丈夫。でもちょっと疲れた。」
「明日は休める?」
「ううん、3月11日に閖上に入れなくて手前で足止めされたときに泊まった二木の人のところへお礼に行くの。」
「そうだったね。今度一緒につれてって。」
「うん、いいよ。」
 江里ちゃんのお父さんのお葬式もこうして終わり、江里ちゃんも少しずつ心の整理をしていくのでしょう。
「江里ちゃん、お父さんの写真は?」
「うん、遺影は22年前のものだったよ。」
「・・・そっか・・・。」
「うん、それしかないんだ・・・。全部流されたから。」
 江里ちゃん、でもお父さんの顔、忘れたりしないから大丈夫だよ。
桑山紀彦

それぞれの役割の中で」への10件のフィードバック

  1. 震災から百か日、江里ちゃんのお父様の告別式という大切な日に海老名に来て下さり本当にありがとうございました。
    桑山先生の、皆さんがただ普段の生活を大切に思い過ごして下されば・・・という言葉に涙が溢れました。
    内野市長が箱を持って立ってらした事にも感動しました。
    明日はまた、横浜でのステージとの事。
    くれぐれもお身体ご自愛下さい。
    また12月にも是非海老名にいらして下さい。
    それにしても、私には何ができるのでしょうか。
    もどかしいです。

  2. 今日は東北地方のあちこちで慰霊祭がおこなわれた様子を新聞やテレビの放送で目にしました。7692人の方がまだ行方不明。 私も海老名の地球のステージに行きました。私の前には、おじいちゃんおばあちゃん、お父さん、お母さんそしてお子さん二人の一家総出で足を運んでくださっている家族の方でした。省吾のライブで言うならアリーナ席はほぼ満席でスタンド席も埋まっていました。これまで何年も地球のステージがあったからこその東北に対する関心と気遣う気持ちがこうしてたくさんの市民の方があしを運んで下さったんですね。きっと! 最後に市長さんが涙声で想いを言葉にされたのがまた印象てきでした。

  3. 皆さまの暖かい思い、ご尽力される桑山先生。この震災で感謝の思いを抱かない日はないです。
    辛い体験をされ苦しい日々を過ごされている方が多い中、百か日がすぎました。
    少しでも心の力が湧いてきたと思える人は、応援して下さる皆さんの思いを支えに前を向けたらいいなと思います。
    まだ苦しい人は、一人で我慢しないで助けてと声に出して欲しいと思います。
    犠牲になられた方々のためにも、生かされた命一分、一秒を大切にしたいです。

  4.  昨日、テレビで洋画を観ていたときのことです。「イーグリル・アイ」というアメリカのスパイアクション映画でしたが、緊迫感があり、なかなか娯楽映画として見ごたえのあるもののように思えたのですが、最後まで観ることができませんでした。
     よくある、ハラハラ、ドキドキという場面が続いてなかなか面白いのですが、安心して観ていられないのです。東北のことが頭の隅にあるからです。東北地方に考えられないような悲劇を僕も忘れることができません。映画は架空のお話しですが、東北の悲劇は現実だからです。
     僕たちは、映画やドラマを見る時、ハラハラ、ドキドキを楽しみながら観るものです。自分の日常が平和な安心して暮らせる現実が前提になっています。その前提が崩れたとき、このようなスパイアクションではあるけど、パニック映画は見ることはできません。僕は被災していませんが、東北の人々の苦労や悲しみを思うとどうしてもこの映画を最後まで観ることはできませんでした。
     昨日は、百箇日の法要であったそうですが、謹んでご冥福をお祈りしたいと思います。
     合掌。
        和歌山 中尾

  5. 桑山先生
    昨日は海老名のステージありがとうございました。昨日買ったCD国境ない大地聞きながらコメントしてます。(先生の歌声は心地良い!!)
    震災特別編・またまた感動的で素敵でした。だんどり悪くタクシーで駆けつけた時は、市長さんのお話が始まった頃。会場の体育館は二階席までいっぱいでしたね。
    ステージでのお話。今回の東日本大震災も未曾有の被害でしたが、世界の国々で、大地震や大津波に遭い苦しんでいることに改めて教えていただきました。その中でも希望を見つけ出し、立ち上がり、生きていく姿。復興支援で支え、生きるきっかけをつないできた桑山先生の言葉はあったかくて、胸がいっぱいになり、ボロボロ泣いてしましました。
    最後の日本。東日本大震災の名取の話。
    それまでゆったりと、ハプニング(?)にも動じなかった先生の声のトーンが、心なしか変わった気がしました。きっとお話や画像のひとつひとつに想われることも多かったのでしょう。先生は心の底から優しいそして素直な気持ちを失わない方です。その気持ちがみんなの心に伝わり響いてくるんだと想います。
    市長さんの泣きながらの最後の言葉もそうでしょう。そしてがんばろうって元気になるんです。市長さんが、「みんな立ち上がって先生を送ろう」とスタンディングオベーション。鳴り止まない拍手もよかったなぁ。
    最後のほうに出ていったので、市長さんのみかん箱募金箱には気づかなかったけど、CDの脇にあった募金箱に押しこんできました。(本当にぎっしりでしたね)
    僕の前のおばあさんは、同じように募金箱に押し込んでポンポンたたいたあと拝んでました。復興の願いごとでしょうか。そんなこともうれしい思いです。
    歩さんの赤い消防車を置いた「津波祈念資料館」完成したら是非駆けつけたいです。
    今日、改めてこのブログの3/11から読み返しました。コメントの読みました。本当に大変な思い、がんばってこられましたね。これからまだまだでしょうが、たくさんの応援する人たちと一緒になってすすんでいきましょう。
    「普通の暮らし」ができる日々のために
    本当にいつもありがとうございます。
    僕も今の場所で精一杯生きていきます。

  6. 百日法要 は 「卒哭忌」とも言うそうです。〝嘆き悲しむ時期を 卒業 する 時期〟ということなのでしょうが… 私の場合は、 まだまだ 無理でした。
    血が吹き出しているのを 止血 する時期 は 過ぎていましたが…。ごく薄い膜が張ってきたばかりの状態で 無理矢理剥がしたりすると 傷口から 血がまた吹き出してしまいそうな感じでした。
    無理をしないで、まだまだ安静にして下さいね。かさぶたになり、自然にはがれ落ち 傷口が癒えていくまで まだまだ 時間がかかります。
    静かに耐えて、毎日手を合わせ、生活を淡々とこなしているうちに、傷口がいつのまにか厚くなっている事に気が付くのです。でも今は 本当に 被災地の方には、辛い時期にあると思います。
    私はいつも、心の中で祈っています。日本中が、一緒にこの苦しみを乗り越えようと思っているはずです。
    一緒にがんばります。

  7. 百か日法要は合同慰霊祭で悲しみを分かち合ったのですね。
    犠牲になられた皆様のご冥福をお祈りいたします。
    大切な方を亡くされた皆様にはまだまだ辛い時期でしょう。
    心身ともに疲れの出るころですから、大事になさってください。
    海老名市の応援、うれしいですね。
    津波祈念資料館、是非、実現したいですね。

  8. 1日遅れのコメントです。
    非常に鮮烈で感動的な素晴らしいステージでした。
    久しぶりに聴いた「アヨ、バンキット」特別編にぴったりの歌で胸に入ってきました。CDがほしいくらいでした。
    熱心な市長のもと、あの大きな会場で咳払いひとつ無く、じっと聞き入った人たちが集まった海老名市もすばらしい。
    特に近くに座っていたガールスカウトの幼い女の子が、最後まで姿勢を崩さずきちんと見ていたのには驚きました。
    所用で海老名から相模湖経由で中央道に出ました。夕方5時過ぎの下り車線にも拘わらず、1000円料金の最後とばかりに結構な混雑ぶりでした。安い内に楽しもうという人たちが多いいなあと思ったら、ちょっぴり複雑な気持ちになりました。

  9. もうあの日から百日が過ぎたのですね。心からご冥福をお祈りいたします。
    百箇日というとても大切な日にかかわらず、海老名へ来て頂きまして、ありがとうございました。
    千葉のときと同じ、家族三人で参加することができました。
    6歳の子は帰宅後、オモチャのシンセに向かって、この子なりに感じた事を、知っている言葉をくっつけて、作詞作曲しています。まだ、感じた事をうまく口にして語ることはできませんが、先生が歌にして伝えようとされているメッセージは、確実にこの子のような幼い子供にも届いているなと改めて感じます。
    いつものように私達が逆に、涙と一緒に心が洗われ、勇気をいただいて帰ってきました。。
    歩さんの消防車、そして名取市の方々のそれぞれに語られた魂や思いの詰まった資料館が完成しましたら、家族で見に行きます!小さな力にすぎませんが、これからも心寄り添い応援しています。
    子供の通う小学校に、『地球のステージ』のポスターが貼ってあると教えてくれました。たくさんの子供たちの心にも、先生の大切なメッセージ届けてください。心からお待ちしています!

コメントを残す

あなたのメールアドレスは公開されません。必須項目には印がついています *