津波、見てやるぞ!

 いま、名取の街では家が、クルマがどんどん撤去されています。

 街の再生のため、そして次のプランのため、それは必要なことなんでしょう。でも、まだまだ気持ちの整理が出来なくて、その撤去に戸惑う人たちがたくさんいます。僕自身も、閖上の3丁目や5,6丁目の真っ平らな風景や、北釜の更地を見るとものすごい喪失感に襲われます。
 かといって瓦礫がそのままそこにあり続けることも良くないのでしょう。でも、どこかでもう少しだけそのままでいてくれたら、と思う気持ちがあるのも事実です。心の整理は人によってペースが違うので、場合によってはひたすら失われる気持ちに苛まれてしまうときもあるのです。
「娘のね、クルマが撤去されるみたいなんで、見に行こうかどうしようか迷ってるんだ。」
里美さんが思い詰めたように言いました。
「でもね、夫は見に行くなっていっている。見に行くと泣いちゃうから。そしてどうしていいかわからなくなるからなんだ。」
「でも、このまま見に行かないと、後悔しないかな。」
「そうなのよ、撤去されてから“見ておけば良かった”って思いたくはないのよ。」
「うん、見に行っておいた方が・・・。」
「そうだよね、見た方が良いよね。」
「見たら泣くとは思うけど、思いっきり見て、思いっきり泣いた方がいいと思います。」
「そうだよね。そうだよね。やっぱり最後に見ておこう。」
 里美さんなりに決心されていったようです。
「わたしね、最近思うことがあるの。それはずっと避けてたことなんだけど、津波の映像なんだよ。」
「・・・?」
「襲ってきた津波の映像、わたしはずっと避けてたんだ。でもね、最近思うんだ。“津波を見てやるぞ!!”って気持ちが強くなっているんだ。」
「見てやろう、って気持ち。」
「そう、いつまでもびくびくとしてたくないいつまでも、ヒヤヒヤと避けていたくなくなってきてるんだ。」
「いつくらいから?」
「最近だね。本当に最近思うようになったんだ。それはね、津波は我々を困らせようと思って意志を持ってきたんじゃないって思うようになったからだと思うんだ。」
「なるほど。」
「意図して困らそうとしてきたんじゃない。あくまで自然のなかで、起こりうる出来事がやってきたんだ、って思うようになってきているんだ。だから津波そのものを恨んだり、怒りを感じたりすることがなくなってきてるってことなんだと思うよ。」
「すごいなあ、里美さん。」
「すごくないよ。でもね、なくなった娘のことを考えると、いつまでも津波そのものを恨んでいても気持ちが晴れないって思うようになってきてんのかも知れないな。」
 強い人です。
 明日はついに百か日です。名取市では合同の慰霊祭が行われます。江里ちゃんもお父さんのお葬式です。僕は海老名でのステージ。それぞれがそれぞれの場面で心の中の役割を確認していきたいと思います。
 今日は震災以降初めての北海道公演。3月8日のあいの里東中学校のステージの3日後に津波でした。だからあいの里東中学校でみんなと撮った写真を見る度に、
「この日にかえりたい。そしてこの日にみんなに向かって11日の津波のことを伝えていれば、こんなにたくさん亡くならなくてすんだのに。」
 と思っている自分がいました。
 素直な北海道の高校生に感謝。あいの里東中の卒業生もたくさんいてくれました。
6/17-1
桑山紀彦

津波、見てやるぞ!」への9件のフィードバック

  1. 昨日、つながり食堂というラーメン屋さんがテレビで紹介されていました。福島から埼玉に避難された方がオープンされたラーメン屋さんです。自分と同じ様に県外に避難している人達の励みになりたいとおっしゃってました。私の住む町にある某企業の社宅に福島から15家族避難されてきました。回覧板が回って来て、皆さんが今、必要とされている物リストが提示されました。明日は我が家にある使用していないタオルや食器類、洋服を持って行きます。

  2. 被災された人たちにとってはゴミじゃないですよね。どこか引っかかるものを感じながら割り切らないといけない~と思ったらせつなくなりました。悲喜こもごもこうして時が過ぎてゆく。やっぱり祈念資料館に意義があります。
    現実を直視して挫けずに気持ちを奮い立たせる、これは「諦め」ではなく「勇気」です。言う資格はありませんが、里美さんガンバレ!

  3. また海老名に来ていただけて、とても嬉しいです。
    友人を誘って二人で行くことにしました。
    楽しみにしています。

  4. 被災者の方たちの 思いがどれ程のものなのか 私にははかり知れませんが こうしてブログを読ませていただくことによって ほんの少しでも理解することが出来て ありがたいです。日々 ここで私に出来ることを探しながら 心は被災者の方たちと共にありたいと思っています。

  5. あいの里東中学校の生徒の保護者です。
    また北海道での活動もして下されるようになり、良かったです。
    せひ、こちらても名取のお話をして下さい。

  6. なぜ、人の心は、かくも残酷なまでに強くあるのでしょうか?
    もっと脆弱につくられていれば、ここまで苦しむ必要もなかったはずでしょう。
    私自身、無理と無茶の違いは正確に認識しています。
    人の心にはリミッターが装備されていて、なぜ、そのリミッターが必要なのか?
    そのリミッターを強制解除すれば、その先になにが待っているのか?
    私自身、いやというほど思い知らされています。
    だからこそ、被災者の方々にゆっくり歩んでいってほしいと願っていました。
    にもかかわらず、被災者の方々は強くあろうとする。
    この記事を読みながら、涙が出て止まりません。
    誰も、被災者の方々になにも期待してはおりません。
    ただ願っているのみ。
    己の意思であれば、外野が口出す筋合いはありませんが、身体だけではなく、
    心もぜひご自愛いただたきたいと願うばかりです。

  7.         吉里吉里
     井上ひさしの名作に「吉里吉里人」というのがあります。東北の寒村が吉里吉里国として日本から独立するという奇想天外な物語なのですが、てっきりこれはフィクションだと思っていました。
     それは実在したのです。岩手県上閉伊郡大槌町にある地名だったのです。
     井上ひさしの小説とは別の場所なのですが、それでもJRにはきちんと吉里吉里駅まであります。なんと本当に実在するとは思いませんでした。18日付け朝日新聞朝刊で知りました。
     新聞記事によると、小説通り独立とまではいかなくとも住民自治が徹底しているのです。津波で大打撃を受けて一時孤立したが、自力で乗り切った。中心街の吉里吉里二丁目町内会は210軒の半分以上が流されたが、男性総出で重機を使ってガレキの撤去などし、大型バスのバッテリーから電気を取り出し、トイレの水を小学校のプールから引いたそうです。すごいじゃあないですか。自衛隊や警察、消防隊に頼らず自分たちで危機を乗り切った。これぞまさに独立国家。
     井上ひさしの「吉里吉里人」では言語まで日本語とは別に吉里吉里語となっている。
     例えば、図書館には洋書とかかれた外国文学の棚があり、次のような作品が並んでいる。川端康成(かわんだやしなり)「雪国(ゆぎぐに)」、夏目漱石(なづめそうせき)「坊っちゃ」、太宰治(だじぇーおさむ)「斜陽(さよー)」 。
     ちなみに川端康成(かわんだやしなり)の「雪国(ゆぎぐに)」の冒頭はこうである。
     ---国境の長(なん)げえトンネルば抜(の)けっと雪国(ゆぎぐに)だったちゃ。夜の底がはあっ白ぐなっちまってねし、信号所さ汽車っこ停まったれば、向げえの座席(ざしえぎ)がんら娘っこが立って来て、島村(すまむら)の前(めえ)のガラス窓(まんど)ば落どすた。雪(ゆぎ)で冷っこくなった空気が車内(しゃねえ)さ流れ込んだけっとも、その時(どき)、娘っこが窓(まんど)からいっぺーに外の方さ体乗りだしてはあ、遠ぐさ叫ぶように言(ゆ)ったもんだっぺ。----
     みごとな吉里吉里語である。小説の中で東北人は頑張っているのである。
     東北が生んだ詩人宮沢賢治は、源頼朝が平泉を滅ぼしたことに対して、頼朝を野蛮人と言って卑下している。
     東北には素晴らしい文化や逞しい人々が息づいているからなのです。
     それは、岩手県上閉伊郡大槌町吉里吉里2丁目、町内会の人たちのように。
             和歌山  なかお

  8. 復旧の進む中で大切な思い出を秘めた物が片づけられていくのは寂しい限りですね。
    津波祈念資料館に残せたら、と思います。なるべく多くの人の証しを、と思います。
    津波の映像を見る決心をした里美さん。本当に大丈夫かしらと心配になります。
    張りつめた気持ちを桑山さんがそっと受け止めて、これからも見守っていてくださいね。

  9. 遅くなりましたがインターアクト年次大会にお越しいただきありがとうございました。
    高校生たちも相当感銘を受けていた様子です。
    今度は藤にもいらっしゃると自由学校「遊」で聞きました。
    今後も更なる御活躍を祈念申し上げます。

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