津波祈念資料館は「館長日誌」(=ブログ)を始めました。この館長とはもちろん桑山のことですが、特に動画を中心に掲載していく方向です。まずは最近創った「詩」を公開しました。伴奏は石橋優子のオリジナルピアノです。
閖上地区では現在3カ所で定点の撮影をしていますが、その一つ、「マンホールの定点」と呼ばれるところで閖上への気持ちを詩に込め、クリップにしました。鎮魂と復興への願いを込めて創りました。
「津波祈念資料館」の中の「館長日誌」をご覧下さい。
今日は少しだけ嬉しいことがありました。
宮城県山元町は沿岸部でひどい被害を受けましたが、その海岸でずっと食堂「しあわせ堂」をやってきた友達の光夫さんと話していたときのことです。
「オレずっと食堂が嫌で嫌で、お袋が亡くなって親父と二人になってから、ずっと親父と二人でやってきたけどどうしても食堂って仕事が好きになれなかったんだ。そんでまあ、嫌々やってたけど幸い近くに海あっから、ずっと一人で波乗りやってたんだ。油臭い食堂の仕事が嫌でも、波に乗ると気持ちよくてね。そのうちの仲間も出来て楽しかった。でも、どうしても生きていくために嫌々やってる食堂が引っかかって、心の底から波乗りは楽しめなかったんだ。だから結構引きこもってた。
今回津波でオレの食堂、土台だけ残してみんな持ってかれちまった。もう跡形もないんだ。それ見たとき正直“ああ、終わった”って思ったと同時にホッとしたんだ。これでもう食堂に煩わされなくてすむってね。あとはずっと親父と避難所暮らし。やる気も、夢もみんななくしてた。
そしたらこの前避難所に張り出されてた「役場の臨時スタッフ募集」っての見つけてさ。最初はオレには関係ねえって思ってたのに、何でか気になってたんだ。食堂切り盛りしてた頃はオレのこといっつも“働け働け”って怒鳴ってた親父が今はしょぼんとして、病気がちになって言うんだ。“食堂が残ってたらなあ”って。
それ聞きたくなくてもうヤケで臨時職員受けたら受かったんだ。そんでもう働いて2週間。いや、毎日忙しいけどやりがいあるんだ。ほとんどが支援物資の整理やらなんやらだけど、全国からこんなにもたくさんの“気持ち”ってのが、オレの小さな名もない街に寄せられてきたんだって思ったらなんだか嬉しくてよ。元気が蘇ってきたんだ。不思議な感覚だった。赤ちゃんの服からおじいちゃんの服まで、本当にありとあらゆる服が集まってんだ。もちろんほとんど新品で、古着はないな。
そんでもって次にさ、「海にかえりたい」って思うようになってんだ。津波の直後はあれほど落ち込んで、もう二度と海にはいかねえ、海沿いに住むなんてとんでもねえって思ってきた自分が、また海にかえりたい、波に乗りたいって思うようになってきたんだよ。びっくりだ。ただ働いて、全国からの支援物資に触っただけでよ、こんな気持ちになれたんだな。
そんでさらに驚いたことに、”もう一回食堂やってみっか”なんてな、冗談にも言えなかったことを思うようになってんだ、オレ。もちろん自信はないし、親父の協力ないと出来ないけどさ、“食堂やりたいな”なんてね。津波にさらわれなかったら絶対に思わなかったことだ。そしたら、ずっと食堂嫌々やって引きこもってた頃の自分が恥ずかしくなってきてよ。なんでもっとちゃんと定食つくったりして勉強してなかっただ、って後悔しはじめてんだ。
まだ気力は十分じゃない。まだ今はやれる自信ない。でももう少し先の課題として海にかえることと、食堂やること考えられるかもしれないって思ってるんだ。」
全国の支援物資は正直余ってしまいどこもだぶついています。でもこんなふうにそれに触れた人が、心の中に小さな火を灯していることもまた事実です。
いつか「しあわせ堂」でチャーハン食べたいですね。
桑山紀彦
ひとの気持ちの流れ方(?)と言うか、以前は嫌で仕方なかった事や物をちょっとした切っ掛けで、好きになったり、やる気になったり。
チャーハンを振舞う日が一日でも早く訪れると良いなぁ。食器類は、お値段以上ニトリで!
先日 えりちゃんと桑山さんが読売新聞の夕刊に出ましたが、今日は省吾が載っていました。写真は内藤さん記事になったのは私が行ってた横浜!震災、原発、メッセージ込めってタイトルです。最後に、ただ、楽しかったで終わるのではなく この国の未来を考えるきっかけをくれる夜だった。と結ばれてました。
土壇場に追い込まれて変わった気持ち。ぴぴぴっと感じた反省を再チャレンジのバネにする。また一人災いを転じて福となす人が生まれたうれしいニュースです。
話は変わりますが、税制優遇措置が受けられる、認定NPO法人の認定基準を緩和する「改正NPO法」が15日の国会で可決されました。ご存じだと思いますが、チャレンジする価値のある制度です。
私も支援物資に身も心も救われました。
ライフラインの寸断でご飯たけない。食材も少ない。常に揺れている部屋で、辛い時間を一人耐えていたとき、友人とそのお知り合いのお顔も知らない方々からの支援物資をいただきました。
私より大変な人達へと遠慮したのですが、「今回は甘えて下さい。」と言われ送っていただきました。
皆さんのお気持ちの暖かさと食べ物がある安心感に、涙が止まりませんでした。
全国の皆さんからのご支援を忘れずに、自分なりにできることをして行こうと思っています。
桑山先生今度は館長さんですか。○○○発進ですね。
いつも貴重なお話、本当にありがとうございます。
資料館のHP拝見しました。
動画の「マンホールの定点」での詩は、この難聴の耳にはほとんど聴き取れませんでした。
もし可能なら、詩を文字にして伝えて戴けないでしょうか。
とてもお忙しい中、無理なお願いで申し訳ありません。
しあわせ堂のチャーハン、いいですねえ。僕もぜひ食べてみたいです。人間ってこのように回復できるものなんですね。
ぼくも教育相談の係りを担当していますが(素人ですが)、津波の経験をした人が、全国からの支援物資に触れ、人のこころの温かさに感動すると、また海に戻れるものなのですね。津波にによる心の傷はもう海には戻りたくない、海を見るのは嫌だ、そのように思ってしまうものですが、このようにまた海に戻ろう、波乗りしようと思うというのは驚きです。
人間というのは、このように回復できるものだと知り感動しています。
人のこころの温かさに、実体験として触れることが大事なのでしょうね。理屈ではなくて。それがこころを動かす。
和歌山 中尾
、
光夫さんの立ち直り、うれしいですね。
仕事をすることも人間を元気にするんだなって思いました。
津波祈念資料館の動画、見ました。
桑山さんのことだから歌だと思っていたら、朗読でしたね。
ピアノに乗せた静かな語り口がしみじみ心に沁みて来ました。
なかなかいい企画だと思います。これからも楽しみにしています。
しあわせ堂のチャーハン、というネーミングに惚れました。
ぜひ食べてみたいですね。チャーハン、大好きなんですよ。
まだまだ時間がかかるとは思いますが、ぜひ待ちたいと思いました。
いつの日か、ふらっと一人の男が訪れて、チャーハンを注文するだろうことを
お伝えください。
支援物資については、こちら側としても反省すべき点はあったと思っています。
発生直後は、支援者側までパニック状態に陥ったのも事実です。
市民を落ち着かせるために、1週間は要してしまいました。
ガマンしきれずに、勝手な行動に出た支援者も発生しました。
無論、支援したい気持ちを踏みにじるつもりはありませんが、支援する側まで
パニックに陥ったことは反省点だと思っています。
そのことが、一時的に物資の偏りを生み出した実態として表れてしまいました。
支援物資によって、あたたかい気持ちになっていただけたのは誠に感謝すべき
ことなのですが、やはり、正直、当初は被災された方々の気持ちを汲むことが
できなかった点は反省すべきと思っています
ただ、私の元に集約された情報では、まだ物資が十分とは言い切れないと分析
されています。
もちろん、すでにステージがシフトしている現段階では、現金がベストである
ことは共通認識として確認しているところです。
あるいは、ここで触れられている物資とは、ライフライン(あるいは衣食住)
的なものであって、我々が今後支援しようとしている物資とは性質が違うの
かもしれません。
現段階では、夏用の服を中心として、扇風機や蚊取り線香、殺虫剤など、夏を
向かえるに当たっての支援対応を想定しています。
なんらかアドバイスがあれば、お申し付けくだされば幸いです。