今日は宮城県の山の方の中学校での公演でした。
実は3年前にも文科省の支援を受けこの学校で公演したのですが、その時は津波で息子を失った大川ゆかりさんの語り部講話を入れての「地球のステージ」~短縮版でした。公演が終わり、学校が「合唱をプレゼントしたい」と言って下さるので、ゆかりさんとドキドキしながら聴いていると、本当にがく然とするくらい蚊の鳴くような歌声で全く身も気持ちもこもっていません。さすがにゆかりさんに失礼だと思い、
「それが人に心で届けようとする”歌”なのか。」
と問いかけ、校歌をうたうようにお願いしたら張り切って歌ってくれたという出来事があった学校でした。そして3年後、今度は復興庁の支援を受けて再び呼んでもらったこの学校。最初から雰囲気がおかしい状況でした。妙にハイテンションな子がいます。校長先生の話の最中に、うちの映像担当に向かって手を振ってきたりします…。一見するとフレンドリーな様子ですが、校長先生が話していらっしゃいます…。
映像にミスがあり、ヒマラヤの映像の時妙なアラートが一瞬出てしまいました(久しぶりの映像担当、絵莉香ちゃんもびっくり)。その時の3年生女子からの笑いの出方の不自然さ…。常に公演中は後ろの映像担当席と連絡を取りながら進めていきますが、何カ所かで子どもたちの様子に??のサイン。
山間の穏やかで静かな環境。津波の被災者もおらず、学年1クラスずつなのでみんなお互いを知り尽くした環境。一見するとまとまって仲がいいように見えるその「表面」とは異なる「内面」の不調律さ。かえって学年1クラスでクラス替えもなく、小学校の頃からずっと同じ仲間なので、一度関係が悪くなるともう「決裂」のままクラス全体が乱れてしまう危険さをはらみながらの毎日が続いているのではないか…。
途中でそんなことを強く感じたので、今日は「パレスチナ篇~50日戦争篇」のあとによくコメントする、「学校の中の戦争の火種」の話し。「クラスの平和をどう守るか」の話しを強調しました。子どもたちの心に届くといいのですが…。
そういえば昨日の海老名の小学校も多くの課題を感じました。
この5年間ほど全国どこの学校もとても落ち着いていましたが、昨日、今日と2連続で疑問を感じる子どもたちの姿に、
「また学校における”荒れ”の波が来ているのか?」
という不安を感じました。それが杞憂であってくれるといいのですが、子どもたちの”荒れ”は基本的に大人たちの”荒れ”を映していることがほとんどです。日本が何か嫌な方向に向かって進んでいるその前兆を子どもたちが素直に表現しているのかもしれません。
複雑な思いで学校をあとにしましたが、救いは校長先生も教頭先生も、多くの先生方がその子どもたちが表現する「課題」に気づいていらっしゃり、しっかりとそれに対策を講じていらっしゃることでした。だからこの「地球のステージ」を呼んだのだと言われた時、身が引き締まる思いでした。
桑山紀彦