自責の念

 「オレよ、走ったんだ。親父の手を引いてよ、走ったんだ。でも親父何度も何度も転ぶんだ。何回か脳梗塞やってっからね。正直走れるわけねえんだ。でも、そのまま家に置いておくわけにはいかねえし。最初担ごうと思ったのよ。でも、お袋もいるから、お袋にも気を遣わねばなんねし、もう精一杯だったんだ。でよ、2回目に親父が転んだとき正直思ったんだ。“このまんまだとオレも死ぬ”ってな。ひどいべ、オレ自分のこと考えたんだ。病気して歩けねえ親父のことよりもよ、オレ自分のこと考えたんだ。そしたらお袋が叫んだんだ。

”ほれ、津波来た-!”

ってよ。そんで振り返ったら屋根の上に黒い水と船が見えたんだ。屋根の上に船だぜ。これはもう助からねえとおもって、親父の手を離して、先走っていくお袋の手を取って近くの建物の横にあったまわる階段(らせん階段)に飛び込んだんだ。そしたらな、ゴ~ッて音と共に水が襲ってきて流されかけたんだ。お袋の尻押してよ、上に押し上げたら一気に水がかぶさってきて引っぱられたんだけどよ、偶然な階段の手すりが触れたのよ。

“これ離したらもう終わりだ”

 ってばかりにぐっと握ってたら顔まで水がかぶさってきた。もう息も出来ねえ。

 そしたらお袋が俺の名前呼んで手を出すんだ。ここで手をつかんだら、お袋も流されちまうと思ってよ、オレはその手をつかまなかった。お袋の手をつかんだらよ、親父も助けられねえオレが、お袋も死なしちまうって思ってな。

”母ちゃん、上にあがれ!”

 って言うのが精一杯だった。でもよ、お袋はあきらめねえんだ。オレのこと必死に助けようとするんだ。危ねえから自分のことだけ考えて早く階段上あがれって言いてえんだけど、口ん中にゴボゴボ水入ってくるからよしゃべれねえ。涙だけがどんどん流れてきたよ。

”もう、オレのことはいいから、親父を見捨てたオレのことなんか放ってていいから逃げろ”

ってよ伝えたかったんだ。でも出来ねえ。しゃべれねえ。オレどうするといいんだ。このまんまじゃ一家みんな死んじまうって思ってたら、少し水が引いたんだ。不思議だった。水が肩の辺りまで引いたのよ。そんで、

”かあちゃん、上にあがれってぇの!”

って言えたんだ。そしたら母ちゃん泣きながら、

”あんた見捨てていけるかい!”

って言うんだよ。オレ今でも忘れねえ。その言葉忘れねえ。だってよお、オレは親父見捨てたんだぜ。母ちゃんオレ見捨てなかったのに、オレ父ちゃん見捨てたんだぜ。親父、足悪くて付いて来れなくて流されちまった。次の日遺体で見つかった。オレのせいだ。オレがちゃんと手、引かねえから親父助けられなかったんだ・・・。」

「だって、精一杯だったべな。」

「ああ、みんなそう言うんだ。津波は自分のことだけ考えねえと死んじまうってさ。でもよ、お袋はオレのこと考えて助けようとしたんだぜ。なのに、オレは、オレは・・・親父を見捨てたんだ。」

 どんなふうに言葉をかけると良いのか、僕にはわかりませんでした。自分のせいで人が死んだんだと思ったとき、その心の負担はあまりに重い。もちろんすべてのことの必然があり、やむを得なかった、どうしようもなかったという慰めは当然だと思います。でも目の前にそんな思いで悲嘆に暮れている人がどんどんいらっしゃいます。ただひたすら話を聞くことしかできないのですが、いつの日か、

「生き残った自分がなくなった人の命と願いを背負って少しでもよりよく生きていくのだ」

 とみんなが思えるようになるといいとは思います。でも今は、まだその言葉すら力を持たない、そんな時期でもあるのです。この苦しみと哀しみをどうやって分かち合い、痛みを減じていくことが出来るのか、日々の努力です。

6/14-1

今日の閖上

桑山紀彦


自責の念」への10件のフィードバック

  1. 助けられなかったという自責の念、辛いですね。
    災害や戦災に遭われた方の中には辛い体験をしていらっしゃる方がいますね。
    きっと忘れることはできないと思いますが、心の傷と折り合いをつけられるようになるまで、
    桑山さんがずっと寄り添っていかれるのですね。
    社会的心理ケアが広がって地域ぐるみで支えあえるようになりますように。

  2. 聴くだけしか…かも知れないけど…その「しか」が、今できる100%ですよね。いつか、それが土台になって…花が咲き、実が成ることを信じて…。閖上の土を見ながら…想ってます。

  3. 涙のでる内容でした。苦しんでいる人にいつまでも裏切らずにその人のそばにいるという事。それが大事だと若輩者ながら思います。
    先日聖路加病院の日野原先生が朝日新聞に本を紹介されていました。桑山さんに伝えるのもおかしな話ですがつまり専門家に心の話をするのもという意味です。
    すばらしい悲しみ
    グリーフが癒やされる10の段階
    グレンジャーEウエストバーグの本です。宗教的なことも書いてありましたが状態を客観的に考えられる内容で門外漢ながら勉強になりました。
    当事者の話される内容はあまりにもつらく涙がでますがそこで一緒に考え長期的に過ごされる意味は大変な大きさです。それも誠実な対応なんですから。福岡にいながら先生の活動に涙がでます。じゃあ私ができる支援は?と自問自答です
    今日は昨日買えなかった読売新聞の夕刊チェック。図書館に行き確認。福岡の夕刊にも掲載されてました。先生の活動はどんどん公開されていっていてお会いしたことはありませんが嬉しいです。マイナスな面も頭によぎりますがプラスの大きさを考えると先生を心から応援する方が日増しに増えていくんだろうなと思います。
    長くなりましたが長期的な視野で私も考えていきたいと思います。
    こうやって今のそちらの状況がわかるってすごいことだなと思います。

  4. 自責の念。
    私にもあります。
    私は田中先生と同じく九州に住んでおります。
    今回の震災には全く無関係です。
    ましてや、私は神ではありませんので、今回の地震は、私が起こしたものではないことは明白です。
    しかしながら、そのことがかえって私の自責の念となってしまいました。
    なぜ、自分は無関係な存在になってしまったのか?神は、なぜ私を選ばなかったのか?
    おそらく、それは被災していない者のわがままにすぎないとは理解しています。
    じゃあ実際に被災したら喜べるのか?ときかれると、私に答える資格はありません。
    それは、本当に実際被災していないから。
    この世の理想は、悲しみは半分、喜びは2倍。
    ただの偽善に過ぎませんが、その理想に乗ることができなかったことが自責の念となってしまいました。
    5月に宮城県を訪れたのも、その自責の念からであり、無関係のままの自分が許せなかったからです。
    被災者の方々からみれば、はた迷惑な野郎にみえるでしょうね。
    勝手なことばかりいって。
    だから、今、必死になって、お詫びをし続けているところです。
    被災していないにもかかわらず、被災者の方々の気持ちを踏みにじって自責の念に陥っている自分を詫びるため。
    遠く安全な場所から、一生許されることのない罪のために。

  5. 桑山さんのブログには九州の方も、そして福岡の方もよく書き込んでおられるようですので…インフォーメーションです。7月3日に被災地再生支援の集いがあります。7月12日には「地球のステージ  in 北九州 ~東日本大震災編」があります。詳しくは http://micheleyam.exblog.jpを参照してください。
    (桑山さん、この書き込みが不適切であれば、ご遠慮なく削除してください。このように「利用」するのがよいかどうかわかりませんでしたので…。)

  6. 同じ様に苦しんでいる方も沢山いらっしゃるでしょう。吐き出して、涙を流して、ブログに書いてある様に思える日が一日でも早く来ます様に。
    私は、自分の詰めの甘さに呆れながら、脱力感いっぱいで帰路についています。

  7. 究極の体験をされた人に対して、ただひたすらに誠意をもって話を聴かれた~それでよかったのではないでしょうか。
    自分ならどうしたか考えてみましたが、死の渕を想像で語れる言葉は見つかりません(慰めは気休めの巧言令色にしかならない)
    彼も、何時の日か桑山さんの懐で立ち上がれるでしょう~いや、そうに違いありません、と思いたいです。
    こんなことを書くのも自責の念でしょうか?

  8. 辛く苦しい現実と日々闘いながら生活している人達。
    受け止められる桑山先生。
    どうぞお知らせ下さい。
    お心が壊れないように祈ることしかできませんが、痛みをお分け下さい。
    皆さんのことを大切に思います。

  9. 彼にかける言葉が見つからない。胸が苦しくしめつけられる。
    大きな自然が 人に襲いかかってきた。子どもたちの目(こころ)にも 沢山の人や家や車が流されたことが焼き付けられたと聞く。
    やっぱり 震災記念資料館は 絶対に必要だと思う。
    患者さんと先生。共に被災され苦しさが わかりすぎるだろう。
    どうか 桑山さん ご自愛ください。

  10.  人の話を聞くというのは辛いものがあります。それもこころに重荷を抱えた悲しい話しばかり出てくるのですから。しかし、その悲しい話をしてもらわなければなりません。
     聞くのは辛いです。受け止めるのはあまりにも悲しさが募って来ます。そんな多くの悲劇の体験者が数多くいる現実を僕たちはどう受けとめたらいいのでしょうか。
     それがボランティアになり、義援金になったりしているのだと思いますが、それだけでは悲しさの当事者である被災者の方々の悲しみは消えるものではないでしょう。苦しさは癒されるものではないでしょう。
     心療内科医として、その人々の心を吐き出させ、それを受けとめ治療にあたる桑山先生も、悲劇があまりにも大きすぎることを実感されていることと思いますが、こんな悲劇が日本に起こってしまったことが現実なんです。
     でも、それは大変なことで、関西に暮らす僕たちも、その悲劇を自分のことと捉えなければいけません。そうはいっても、被災地の方々の苦しみや、悲しみを充分わかるはずもないのですが。

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