ルゴラウラウ村と震災

 今日はハトリア郡ルゴラウラウ村での活動でした。


 ハトリア郡はエルメラ県の中にある郡ですが、とにかく山の中です。

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 クルマで山道を進み、ランクルとパジェロのミッションをぎしぎし言わせながら進むこと4時間。ようやくルゴラウラウ村に着きました。途中山の尾根道から美しい東ティモールの大地が見渡せます。

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 なんて美しい国でしょうか。でもここは世界最貧国。人々の平均月収は80ドルほどです。インドネシアからの独立を果たしたのが2003年ですが、なかなか国の経済状況は悪く、ハトリア郡へ行くための道路も整備されていません。今は乾期なのでまだ行くことが出来ますが、雨期に入って道路がぬかるめばそれでもう完全に孤立してしまう村がいくつもあります。食料は自給自足をひいていますから何とかなるにしても、医療は孤立すると大変です。特に急病や難産などはそのまま命を奪いかねません。そこで「地球のステージ」は2009年3月からこのハトリア郡に入ってまずは伝統的な産婆さんに繰り返しセミナーを開催し、より上の技術を身につけてもらう活動をしてきました。それによって今フォローしている5つの村にはそれぞれ一人ずつ、トレーニングを受けた助産師さんを配置することが出来ました。

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 彼女たちは単に助産師としてだけでなく、地域の保健の向上を担う中心人物として活動してくれています。そして、さらにヘルスワーカー(日本でいうところの保健師さん)を養成し、これも各村に1~2人配置して日々の活動を行っています。そして月に2~3回、アイダ医師が巡回診療をかけ、重い病気や継続した治療が必要な人の治療を行っています。今日はそんな中、昨年7月から一番新しく活動を開始したルゴラウラウ村に出かけたのです。

 活動している東ティモールの村に出かけるといつも思います。

「豊かだ」

 と。自給自足が原則なので、人々の生活は孤立していてもちゃんと成り立っているのです。山間のわずかなくぼみに畑を耕し、たくさんの家畜を飼い、少し離れた河沿いの平地には田んぼを耕しています。そして山道の脇には自生しているコーヒーの樹が。今まさにコーヒーの収穫の時です。食卓を想像してみてください。田んぼからのご飯があり、畑からの野菜があり、家畜からの肉があり、食後のコーヒーがいれてあるのです。他に何を望みましょう・・・。今日も昼食をいただきましたが、栄養バランスの視点で見ても十分足りているといっていいと思います。ただ、条件付です。それは地球温暖化がこれ以上気象を変えないことです。昨年はものすごく雨がたくさん降り、作物の育ちが悪かったために人々は苦労しました。そう、自然の動きによって栄養状況が左右されるので、なるべく自然には落ち着いていてもらわないといけない生活なのです。だからせっかく平和的に自給自足の生活をしている東ティモールの山間部の皆さんも、地球温暖化が進むと食べられなくなって、困ってしまうのです。彼らはほとんど二酸化炭素を排出しません。自動車、乗りません。乗っても小さなバイクのみです。電気、使いません。夜は暗くなったら寝ます。ただ村に1,2台テレビはあります。クルマのバッテリーをつないで電気を得て映すのですが、村で決めたニュースの時間しか映しません。

 そんな地球に優しい人たちが、温暖化によるあおりを受けて作物を得にくくなっているわけです。これは二酸化炭素を多く排出している国の私たちがしっかりと考えるべきテーマだと思います。

 それでも気候が落ち着けばいつもの自給自足が維持できて彼らは争うことなく平和に暮らしていきます。でも心配がもう一つ。それが病気です。人間いろんな病気にかかります。例えばこの村ではマラリア、デング熱、結核などが深刻です。自然と隣り合わせに暮らせば、それだけ病原菌とも近くなってしまうリスクを抱えます。だから僕たちはこの地に保健活動で入っています。保健予防教育をすることで少しでも病気にかからなくても住む可能性が高くなり、助産師さんやヘルスワーカーさんがその仕事を担っています。そして病気にかかり始めたときも、知識がちゃんとあれば早いうちに手が打ててそれ以上病気が悪くならない可能性が出てきます。だから僕たちは「保健分野」で活動を展開することに大きな意味を感じてこれまで続けてきました。

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 ルゴラウラウ村について、うちの助産師とヘルスワーカーが保健予防教育をしたあと、いよいよの診察が始まりました。今日は現地代表のアイダ医師と二人なので、まずはアイダ医師が子どもの、そして僕が大人の担当に別れて診察を始めました。東ティモールに通って11年、テトゥン語を覚えて7,8年。すぐにテトゥン語が出てくるのでいつものように通訳は無しで診療を進めます。やっぱり風邪が多いですね。何せこの村の標高はかなり高い。だからこの乾期の寒さで風邪をひくのです。

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「あ~ん」第一弾

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「あ~ん」第二弾


 ここは南半球。日本と季節は逆です。これから7,8月にかけて気温がどんどん下がってみんな風邪をひいたり、場合によっては肺炎になったりしますので、今のうちから予防が大切ですね。マラリアはこの乾期には少なくなるので、あまり今回は出逢いませんでした。

 この村は活動がしっかりと行き渡っているので、今日も軽い風邪程度の疾患で終わっていきました。それでもアイダが30人、僕が38人の診察をして村を離れる時間が来ました。

 

 村の人はみんな仲がいいです。お互いに助け合っている。足りないところをみんなで話し合い、みんなで生活を改善しようとしています。ふと思い出したのが津波が来た直後から1,2週間くらいの僕たちの生活です。何もなくなってしまった名取の街。電気も水道も来ず、店もガソリンスタンドもみんな閉まって不安におののいていたあの時期。みんなで助け合っていたことを思い出しました。

 みんなで声をかけ、あるものを分け合って、一つ一つの出来事に意味を感じながら毎日を過ごしていました。もちろん不安だらけで、決して視線を前には向けられないうつむいた日々でした。でもみんなでうつむき加減に立ち尽くしていたので、自然に手を取り、歩調を合わせてゆっくりと「輪」になっていた気がします。このルゴラウラウ村のように。

「何にもないから協力し合う」「困難があるから助け合う」そんな人間の心の原点がここにあるような気がします。僕たちは震災から3ヶ月目に入って、普通の生活が戻ってきてはいるけれど、その裏側で忘れてしまいつつあるものがあるように思えています。それは「優しさ」「思いやり」「素直さ」「努力」「我慢」「踏ん張り」「頑張り」・・・。

 でも、このルゴラウラウ村にはそれが今もあって、その心の原点が大切なんだよということを教えてもらったと思います。何もないように見えるルゴラウラウ村の風景。でも目には見えなくても存在する生きる標(しるべ)がそこにあるように思えました。そして確かに津波直後の私たちが確実に分け合っていたそんな生きる標(しるべ)を今こそ再確認するべき時なのではないか、と村をあとにしながら思ったのです。

 そんな東ティモールはなんと100万ドルの支援金を日本に送りました。自国の復興のために使うべき100万ドル(約1億円)を日本に送る東ティモールの人々。ここに、

「困ったときはお互い様。これまで日本にはずいぶんお世話になってきたから。日本が大変なときは僕たちが応援するよ」

 という相互扶助の気持ちがあります。それは海を越えて、国境を越えて人類が取り組んできた国際協力の心がはぐくんできた気持ちではないでしょうか。だから改めて国際協力という活動が持っている力の大きさを感じた出来事でした。

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村からの帰り道。アンダマン海の夕焼け

桑山紀彦

ルゴラウラウ村と震災」への10件のフィードバック

  1. 今日も一日 お疲れ様!
    日本も、本当に少し前まで自給自足の生活をしていたはずなのに…
    優しさ・思いやり・素直さ・努力・我慢・踏ん張り・頑張り!心して日々、過ごして行きます。
    東ティモールの活動も着々と前進しているんですね。東北も、少しずつ三歩進んでニ歩下がるかもしれないけど、前進していきましょう!

  2. なんと美しいのでしょう。
    尾根道からの山々も
    海に沈む夕陽も。
    世界が空も海も
    つながっているから
    温暖化が進み
    東ティモールの豊かな暮らしを
    脅かすとしたら、
    それが私たちの
    暮らし方次第だとしたら、
    今すぐに
    改めるべきところは改め、
    できることから行動する。
    ほんとうに、
    国際協力は
    私たちの暮らしを見つめることが
    始まりですね。
    これからも
    東ティモールのコーヒーを
    紹介する時には、
    100万ドルの日本への支援のこと、
    豊かさの意味など
    語り合えたらと思います。

  3. 山間の地に医療体制が定着しつつありますね。何時の日か桑山さんが行かなくても済む時が来るのでしょう。偉大な種蒔きをされましたね。
    高度成長、一極集中、核家族化を促した団地政策、無駄が横溢した物質社会、~そして何かを置き忘れてここまで来てしまった。「隣は何をする人ぞ」が普通になって心遣いが希薄になり、挙句が昔はあまりなかった孤独死の増加。やっぱりおかしいですね。
    自然に近い生活ほど率直な心をはぐくむのでしょうか?
    連帯感のある地域がそこにある。心の原点が生きている。
    日本にはどれくらい有るかなあ?
    みんなが思った震災直後の気持ちをいつまで維持出来るかなあ?
    人に迷惑をかけない人間が増えるといいなあ。
    やっぱり「地球のステージ」が果たす役割は大きいです。

  4. 大変な医療支援を続けられている桑山先生とスタッフの皆さんお疲れ様です。
    震災を経験したことで医療支援の大切さを、一層痛感しています。
    何物にも代えられない命を大切にしなければいけないですね
    どの場所に生活しても皆生きるために、生まれてきたのですから。
    東ティモールの人々にとって貴重なたくさんのお金を、お送り下さり胸一杯の感謝です。桑山先生お知らせいただきありがとうございます。
    日本の政府がきちんと対応し、再生のための仕事をしてほしいです。

  5. 今日は写真がいっぱいでうれしいです。
    明ちゃんも元気そうですね。
    自給自足の村に保健と医療を援助する活動。現地の皆さんが担っていて素晴らしいですね。
    他人を思いやる温かい気持ち。国際協力のお手本ですね。
    もっと地球温暖化を食い止める努力をしなければ、と申し訳なく思いました。
    私たちの暮らし方が東ティモールの皆さんの暮らしにつながっているんですものね。

  6.  一昨年セブ島へ行ってときのことです。もちろん桑山先生のような人助けをするというような立派なことは僕にできようがありません。遊びのリゾート。それを思い立ったのは、中尾家は一家揃っての海外旅行というものをまだ一度もしたことがありません。海外へ行くときは、それぞれの目的(留学だったり、語学研修だったり、観光だったり)のためいつもばらばら。そこで今回は家族四人揃って一度出かけてみようということになったのです。南の島にしたのは僕の希望です。旅費のことを考え、バリやハワイは家族四人では手が出ませんでした。浮かび上がったのがセブ島です。
     ホテルはリゾート感満載でよかったのですが、ホテルから一歩外へでると違いました。特に凄かったのは、フェリー乗り場の水上生活者の人たちです。フィリピンも台風の通過コースにあります。水上家屋は台風によりひとたまりもないだろうなと思いました。また、フェリーに乗り込むときです。桟橋を歩いていると、丸木舟にのった沢山の水上生活者たちが集まって来たのです。なかには乳飲み子を丸木舟に乗せたお母さんもいます。フェリーに乗り込もうとする観光客たちに、今にもひっくり返りそうな小さな舟から大きな声で物乞いをするのです。乳飲み子を抱えたお母さんは、どうかこの子のために恵んで下さいと泣き顔で訴えてきます。もちろん、陸上でも物乞いする人たちは大勢います。タクシーが信号で止まると、一斉にもの売りがタクシーの周りを取り囲みガラス越しにいろんな物を売り付けにきます。しかし、丸木舟の物乞いは陸上の比ではありません。なぜなら陸上の人たちは、陸の上に住めているのです。台風接近による、風雨や波浪は陸上ではまだそれほどでなくても、海上ではひとたまりもありません。そこにしか住めない人たちが丸木舟で集まって来るのです。着るもの一つ見ても陸上の人たちより貧しいということが分かります。言い方は悪いかもしれませんが、子どもを出汁にして物乞いをしなければいけない人々がいるという現実に、僕のリゾート感は消失していたのです。
       和歌山  中尾

  7. 先生お疲れ様です。
    世界中の方々を助けてくれて本当にありがとうございます。
    どうかお体だけは壊されないように。

  8. 事務所にメールしたのですが返信がこないので、こちらに書き込みさせていただきます。ステージ6のCDはいつ頃販売予定ですか?

  9. 自給自足で思いやりながら暮らしている途上国も、やがて先進国の経済の波を受けて、様々な企業が乗り出して行くのでしょう。格差が恐ろしいです。自給自足が成り立たなくなる実態が恐ろしいです。本当の幸せとは何でしょう

  10. 与える援助でなく、育てる援助。国も見習って欲しいものですね。それにしても、東ティモールにとっての100万ドルというのは、とてつもない大金です。
    中高生相手に教えていると、時々「なぜ途上国に援助をしなければならないのか?」と真剣に問う生徒がいます。その疑問は、今の日本で暮らしていれば、持って当然だとは思います。第2次世界大戦後、日本が復興し繁栄できたのは、援助してもらったからなんだよというような説明をします。しかし、東ティモールからの「いつも助けてもらっているから、困ったときはお互い様」という100万ドルの援助の事実は、それだけで答えになりますね。
    ところで、「彼らはほとんど二酸化炭素を排出しません。焼き畑、あまりしません。」の部分ですが、誤解を招きかねないので、説明しておきます。「先住民の行う小規模な焼畑」は地球温暖化にはほとんど関係ありません。熱帯雨林を少し切り開いて焼き、その灰を肥料に2〜3年イモなどの作物を作り、少し移動して同じことを繰り返していくのが、本来の焼畑です。排出する二酸化炭素もしれていますし、数年すれば森林は再生しています。
    2002年に次のようなキャッチコピーのコスモ石油のCMがありました。「環境広告シリーズ 〜生きるために森を焼く人たちに、森を守ろう、という言葉は届かない」
    あたかも、先住民たちが森林破壊の首謀者であるかのコピーです。しかし、森林破壊をして地球温暖化に影響するような「大規模な焼畑」を行なっているのは、目先の利益を目的にする大企業や失業者対策などに利用している国家なのです。
    数年前、開発教育の研究会で同じようなことがありました。多くの人が初耳だとおっしゃってました。このブログを読むような良心的な人には、ぜひこのことを知って欲しく、長々と書いてしまいました。桑山さんも、これからはよろしく。

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