踏ん張りどき

 昨日、外来に来てくださった節子さんは、息子の姿を追い続けていました。

「閖上に行くのは、どうも辛いけどね。やっぱり日に日に何もかもなくなっていく感じがしてさ。わたしゃ踏ん張って何度も通ってんだよ。
 閖上を知って人はさ、この何もかもなくなっちまった更地を見る度にため息しかつけないさね。でも一見更地に見えてもねいろんなものが出てくるんだ。私ん家は6丁目だからさ津波の方向考えりゃあ7丁目に流れていったって思うさね。貞山堀超えて、たくさんのものが流れていってるはずなんだけどさ。やっぱり学校のだだっ広いグランドの中で、コンタクトレンズ見つけるみたいなのんだわね。正直参ってたんだよ。
 そしたらね、見つけたんだ。亡くなった息子のトランペットがさ!
 まあトランペットはわかりやすと思うでしょ。でも泥にまみれたトランペットはね、ヤカンの口にも似てっから最初は台所用品だって思うわね。でも見つけたんだよ~、息子のトランペット。すごいと思わない、せんせ!」
 そういって赤ら顔をもっと赤くさせて全身を揺すりながら節子さんは笑いました。圧倒的な肝っ玉のかあさんです。
「そしたらさ、そのトランペットのすぐ横に筒があったんだよ。筒!そう、息子の卒業証書さ!ちゃんと中に息子の高校の卒業証書が濡れないで入ってたんだ。これまた大当たり!もう山で金山掘り当てたみたいなもんだよ。もう嬉しくて嬉しくてさ。」
「節子さんの根性だなあ。」
「そうだよせんせ、人間根性さ。そうやってわたしゃ閖上の港で生きてきたんだ。でもね、どうしても息子の写真が見つけられないのよ。ここまで出てきて写真が出てこないってことはないよね。だからトランペットと卒業証書のあたりくまなく探してんだ。もちろん写真の展示してる閖小の体育館にも繁く通ってるよ。」
「見つかるよ。絶対に。」
「うん、見つかってくれたらね、もう一回元気になれそうな気がするんだ。だから天国に先に行っちまった息子にお願いしてんだよ、写真のありかを教えてくれよ、ってさ。あ~夢でもいいから出てきてくんないかな~。」
 節子さんはそういって笑いながら泣いていました。
 たった一枚の写真を求めて節子さんの気持ちは張り詰めています。その一枚の写真がどれほど貴重で、どれほど大切か・・・。
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閖小に展示されている無数の写真もそろそろその保存に限界が来ようとしています。時間と共にぼろぼろになってきているし変色もひどい。そして何より分類されていないので、探す手間だけでも膨大な時間が過ぎていってしまいます。
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でももう二度と手に入らない命のかかった写真たち。デジタル化を急ぐしかないです。
 昼の便で東ティモールに向かいました。機中は今回始めている心理社会的ワークショップ(心のケア)の実践マニュアル作り。これを作っておけば僕たちだけでなく、他の人もそういったワークショップが打てるようになる可能性があります。そうしたら、閖上小学校や閖上中学校だけでなく、被災した生徒さんが勉強する学校で心のケアのためのワークショップが出来るようになります。7時間の機中の時間があっという間に過ぎていきました。
 そして着いた経由地バリ島。
 勢いのある途上国はとにかくエネルギーがすごい。熱気と共に、ぐんぐん成長しようとする上昇気流が伝わってきます。
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 4月末のジャワ島もそうでした。でも、そんな時にふと思い出すのです。あの何もかもなくなってしまった名取の日々を。
 ガソリンが枯渇し、スーパーも閉まり、食べ物もなくなってしまったあの頃。僕たちはそれでもじっと我慢して何とかしのいでいました。しかし、やがて少しずつものが入り、ガソリンがゆっくりと流れ込み始めたときに感じたのが、
「人類とは、生きて行くにあたってあまりに多くの資源を使い尽くそうとしている生き物だったんだ。」
 というものでした。それまであまり感じることはなかった感覚。そう、人類は生きていくために本当に多くのものを消費し尽くしてきている。「通常の生活」を維持するために使われるあエネルギーや資源、食物はあまりに膨大で、
「人間って、こんなにも資源を使い尽くさないと生きていけない生物だったのか・・・。」
 と途方に暮れた日のことを思い出すのです。
 途上国はまだ発展の途上にあるかもしれない。でも、ものすごい勢いでガソリンを使い、食べ物を消費しています。それはこのニッポンも全く同じ。
 今でこそ首都圏は節電が染み渡り東京駅も構内は暗く、全体が「電気を無駄にしないように」という雰囲気になっていますが、世界を見渡してみれば人類は暴走中です。
 機内で読んだ天声人語に書いてありました。
「地球の歴史を45Mの長さに例えれば、原人が登場して現在までが2cm。」
 では、文明を持つ人間になってからは一体何ミリ?
 そう思うとたった数ミリの歴史のこの人類、私たちが使い尽くそうとしているエネルギーや食物消費はもはや地球にとっては「土壇場の暴発」としかいいようがないのではないでしょうか。
 名取の生活も3ヶ月目に入ってかなり普通になってきました。でもやっぱりあの時感じた、
「人類が生きていくために使い尽くそうとしている食物やエネルギーは、限りのあるものだ。だとしたら大切に使っていかないと人類は長続きしない。“普通の生活”といって求めてきたものの何割かを見直して、抑えられるところは抑えていかないと、この地球に嫌われる。」
 という感覚は大切にしないといけないのではないか、と。
 天声人語は言いました。
「それでも、だだの一人も振り落とさないで回り続けてくれている地球の寛容さ」
 さすが、「天声人語」と思いました。
 明日から東ティモールでの活動が始まります。
桑山紀彦

踏ん張りどき」への9件のフィードバック

  1. 母は強いんだ。ほんとに強い…。
    昨年、母を亡くして、その存在の大きさに気づきました。
    被災を体験した桑山さんが東チモールで何を見るか楽しみにしてますよ。

  2. 節子さん良かったですね。見つけた時の様子が目に浮かぶ様です。写真も見つかると良いですね。
    今日は新聞で閖上の事を二つ見ました。今、帰宅中。もう一度読んでみます。
    飛行機の中でも ゆっくりしていられない桑山さん。やめちょきいよ!と言っても無駄なので言いませんが、良い物 作ってね。

  3. 読売新聞の多摩版に、閖上中野球部と調布にあるアメリカンスクールの野球部が試合をしたそうです。
    もう一つの記事は閖上で理容店を営んでいらしたかたのお話でした。奥様を津波で亡くされた方です。町内会の役員をされていて、一人暮らしのお年寄りを避難させようとご近所を回られていたそうです。ご主人はお父様のいるデイサービス施設に行き何を逃れ、閖上中に女性の手を引いて避難途中に奥様は津波が閖上をのみ込んでしまった様です。中学時代のお友達(三男を亡くされ、奥様は行方不明)に励まされハサミをもたれ、今、避難所回って散髪のボランティアをされているそうです。
    東京は夜になって雨が降り始めました。明日から、満員電車に乗って頑張ります!

  4.  民放テレビで指揮者、佐渡裕がベルリンフィルを指揮する番組を引き込まれるように見ました。すぐ続いて「情熱大陸」で、伊集院静を追う番組もつい面白く見てしまいました。
    期せずしてどちらも、東日本大震災に触れて、「震災を経験したあとで、音楽とは?」あるいは「小説を書くとは?」という疑問を自問していました。そしてこの自問は、多くの日本人が3月11日以来してき、今もしているのではないでしょうか?「私は今ここでこうしていて良いのだろうか・・・?」と。
    そして確実に今までと違った生き方し始めているのではないでしょうか。誰かがコメントされていましたよね。「普段の生活」といっても今まで通りの普段の生活ではありえない、と。
    そうだと思います。そして多くの人が変わり始めているのではないでしょうか。そう信じています。

  5. IBMがトップを走り、石油がじゃぶじゃぶの時代に、コンピュータの典型的な利用例として語られた話を思い出しました。全米各地の気候・気温をコンピュータを使ってデータ化し、何時種を蒔き、何時開花させ、何時出荷すればよいかを決めて生産して、全米1の花屋さんになった日本人のサクセスストーリーです。
    今、季節に関係なく祭壇に菊の花が飾られるのもそのお陰です。
    以後、数十年~石油化学の発展と様々な分野の技術の進化が相まって、夏の野菜が何時でも食べられ、地球の裏側で獲れた魚を新鮮なまま運んで食せるようになり、そして気がつかないうちにそれが当たり前な社会になってしまった。これ全部、資源とエネルギーの大量消費です。特に日本はフードマイレージ世界一なのに、それが飽食と大量廃棄を支えている。皮肉なものです。
    人間は一度便利を味わうとなかなか元へ戻れません。しかし、被災地の方たちが炊き出しのおにぎりやお味噌汁を「有難い、美味しい」と言われた思いを皆が忘れずにいて、何が「本来の普通」なのかを見直して、少し後退する気持ちになる事を期待したいものです。
    とにかく、ガソリンがないだけで生活が壊れるのですから、その怖さを忘れないようにしましょう。

  6. 私の住むカンボジアの田舎では、夜7時を過ぎると真っ暗。出歩く人は稀です。代わりに朝は4時過ぎに始動。湖に漁をする人のヘッドライトが点々と灯ります。
    昔は日本でも同様な暮しがあったけれど、もう戻ることはできませんね。
    「合理的な生活」を、改めて考えて見たいものです。

  7. “それでも、ただの一人も振り落とさずに、回り続けてくれている地球”を今こそ大切にしなくてはいけないと思う。
    最近は通勤途中に海岸沿いのいつもの通勤道を、泣かずに通れるようになりました。
    天気の悪い日の波は津波を思い出させ、今だに震えますが、前に進む自分がいます。
    元気に退院していったはずの患者さんが、津波にのまれ、遺体となり発見されたと聞いては悔しくてたまらなかった。
    涙が止まらないこともありました。
    今はその患者さん達を思い出しては、前に踏ん張り出さなきゃっ!!と、目の前の違う患者さんと共に頑張らなきゃいけないと、思うようになりました。

  8.  どうも風邪を引いたらしい。体がポカポカと温かい。それでも日曜日は年に一度の定時制通信制総合体育大会の日である。休んでいるわけにはいかない。さいわい会場は僕の家から5.2キロの和歌山県立日高高等学校。競技種目は卓球とバドミントンであるが、近隣の定時制高校の生徒が多数集まっての、昼間行われるスポーツ大会である。普段の練習の様子からこの生徒はなかなかいけるなと思っていた生徒はやはり上位に食い込む。本校の2年生の陽クンはバドミントンで三位となった。そのころには僕の風邪は僅かな火照りを残すだけだった。
     夜、情熱大陸を観た。最後の無頼派といわれる仙台在住の作家・伊集院静ということで先週から楽しみにしていた番組である。東京と仙台を往復しながらの作家生活であるが、震災の当日は仙台の自宅にいた。この日の放送でも、ゆりあげ地区を訪れる姿を映していた。ゆりあげに来たのはこれで三度目だそうである。
     作家の目に、この震災はどう映ったのであろうか。担当ディレクターが尋ねた。
    「どうおもいますか。この惨劇を作品にできますか」
    「そう簡単にはできないね。想定外とか、そんなあやふやな、あいまいな言葉で片付けられるものじゃあない。小説というのは普通の生活があって、その上に成り立つものだから、その前提が崩れたから、そう簡単には小説は書けないね」
     伊集院静はゆりあげ地区にそう言って立ち尽くしていた。
     大作家にして、ただ呆然と見つめることしかできない惨劇。私たちはここに多くを学ばなければいけない。
     テレビを見終わったとき、体の火照りは消えていた。
       和歌山 中尾

  9. 節子さんの執念が実って、トランペットと卒業証書を手にすることが出来ました。
    本当に良かったです。息子さんの大事な形見になりますね。写真も見つかりますように。
    写真をデジタル化して残す取り組みを進めているところもあるようですが…。急務ですね。
    消費だけでは心は満たされないことを本当はみんなわかっているはずなのに。
    いのちを、心をもう一度見つめ直す機会にしたいです。

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