今日は暑い一日でした。夏の足音が聞こえてきますが、このまま暑くなると心配なのが避難所です。
名取市の場合は結局様々な事情で仮設住居に入れない(らない)人が200人ほどいらっしゃるため増田西小学校と増田小学校の体育館は引き続き避難所として運営されることとなりました。つまり5月末で避難所の完全閉鎖は出来なかったのです。やっぱり難しいですね、人間には本当に個々の事情があるんでしょう。すべてを枠の中に納めていくことは至難の業であり、この2つの避難所が残ることになった今、暑さ対策をしっかりしていかないと非常に厳しい事態となることが予測されます。クリニックとしても対応策を考えて行く必要があると思いました。
さて、今日は少し時間を見つけて映画「岳」を見に行きました。
なかなかの出来であり、Yahooシネマでも高得点のレビューを持っている「岳」、北アルプスに生まれ育った僕は期待していました。しかし、途中何度も息が苦しくなり、胸がつぶれそうになりました。
まずはお父さんと二人で山に登った小学生の息子。滑落した父の帰りを山小屋で待ちますが結局遺体となって下山したときに、その子が泣きながら、
「父ちゃん!父ちゃん!」と遺体にすがる姿。その叫び声が聞こえてきた瞬間、胸が締め付けられ涙が噴き出してきて、突然嘔吐が襲ってきました。喉の奥からこみ上げてくる「球」のようなものをはき出したくなる感じです。外来で幾度も幾度も語られてきた物語が完全にそのシーンにダブります。
それでも退室せず何とかそのシーンを乗り切ったあと、今度は滑落して遺体となった大学生の息子を出迎えるシーン。両親が山の飛行場でそのビニール袋に入った息子の遺体に駆け寄り、
父親:「違う、違う息子ではない」
母親:「そうよねそうよね」
でも開けた瞬間に
父親:「おお~、剛~!」
母親:「嘘でしょ、嘘でしょ!」
と叫ぶシーン。まともに見れない聴けない。まるで僕がずっと聴いてきた閖上の皆さんの話してくれた情景が映画のシーンと重なってよみがえってきます。遺体安置所での肉親の確認。泥の田んぼの中に我が子を見つけたときの話。喉の奥の「球」が大きくなり、胃がぎゅーっと縮まり胃液が飛び出してきました。
「どうしよう、出ようか・・・。」
と思ったのですが、ここで出てしまうと僕はずっとこういったシーンが見られなくなると思って我慢しました。
続いて、長沢まさみ分する女性山岳警察官が遭難して、真っ黒な山の尾根で雨でびしょびしょになりながら
「誰か来て~!」
と叫ぶシーン。まるで3月11日の夜の閖上のよう。家やクルマに取り残され、びしょびしょになりながらもかろうじて生き残り、翌朝救い出された老夫婦とダブりました。
今の日本映画にこれほどの「死」のシーンがあるとは・・・。これまで何気なく見てきた「映画」、そして「死のシーン」。ついにその一つ一つが心に刺さってしまうようになっています。毎日の外来で語られる「死」「行方不明」「破壊」「喪失」・・・。それにまつわる「哀しみ」「慟哭」「悲嘆」「落胆」「失望」「怒り」「苦しみ」。その感情のすべてに付き合っている今、僕の心もずいぶんむき出しになっていることがわかりました。当分、誰かが死ぬシーンがある映画は見られない。と言うことは、実はほとんどの映画が見られないのかもしれません。僕の中での「死」は「ドラマ」ではなく「生傷」ですから。
医者になって24年。新米医者の頃から多くの死に触れてきました。当直で何人もの人を看取ってきました。ある人は年齢が来ての老衰。ある人は喉にモノが詰まっての窒息死、ある人は世をはかなんでの自死でした。でも今回は違います。たった十数分で町と人のすべてを持って行った津波による「死」です。それはあまりに突然で、あまりに重く、あまりに哀しい。外来で語られる慟哭は僕の心に常に突き刺さり、いつの間にかその人の気持ちや情景に同化する方向でベクトルが動いているようです。
映画好きな僕は幾多の映画を見てきましたが、津波以降、気を紛らわそうと4本の映画を見に行きました。「ナルニア第3章」「パイレーツオブカリビアン4作目」「コナン」そして「岳」どれも、「死」の場面で反応が起きています。特に今回の「岳」は「山岳事故」がテーマだったので重かったようです。
しかし、かといって「もうダメだ」と思うことは一切なく、これからもみんなの「死の物語を聞いていこう」と思えるのはなぜでしょうか。それはおそらく「死の物語」を語る人は「生きている」からです。その「生きている人」がいる限りその人を支えたいと思う。そのためには共にその「死の物語」を聴き、一緒に紡いでちゃんとした物語にする役割が僕にあるからだと思います。大切な人の死の続きにその人の「生」があると思いたいのです。
江里ちゃんと逢いました。今日は同級生と秋保温泉に足湯に行ってきたそうで。少しずつ余裕が出てきている感じがしました。
でも江里ちゃんが言う。
「最近涙が止まらなくなるの。」
「何でかな。お父さんのこと思い出す?」
「う~ん、どうかわかんないんだ。でもね、胸のあたりがぎゅーって押しつぶされそうになるんだ。」
「早くに仕事復帰しすぎたかな。」
「どうかな・・・。」
「もう少し休んでたほうがよかったかな・・・。」
「でも何もすることないのも良くないと思うから。」
「強いなあ、江里ちゃん。来週東ティモールから帰ってきたら、ゆっくり話しようね。土曜日には戻ってくるからね。」
「うん、わかった。食器棚ありがとね。とってもカッコいいのが届いたよ。」
「よかったな~。ニトリで買ったんだよ!今日見に行きたかったんだけど、時間なくてね。」
「うん、今度見に来てね。」
「もちろん。」
江里ちゃんは懸命に生きています。お父さんの死をどう乗り越えようとしているのか、それはまだ胸の中かも知れません。ゆっくりと一緒に歩きながら二人で言葉にしていければと思います。
江里ちゃんのことを含めた読売新聞の記事は今のところ8日(水)の夕刊の一面になる可能性だそうです。やっぱり夕刊か、地方では見れないんだけどなあ、と思うと同時に「政局の動向次第では飛ぶ(記事が載らない)可能性があります」
とのこと。江里ちゃんの命の物語と、茶番の中央政治家の話でどっちが大事なのか、誰が「どっちを載せる」と決めるんでしょうね。
さて、これから東ティモールに飛びますが土曜日には戻っております。頭の中は震災と心のケアでいっぱいなのですが、東ティモールのダン先生、アイダたちとの仕事も鋭意継続中なので。また現地から報告します。ブログはあくまで「毎日励行!」です。張り切っていきますのでよろしくいお願い致します。
桑山紀彦
わたしもいろんな死と出会ってきました。今日は、自死した方の葬儀を行ないました。しかし、桑山さんのように「死」を自分の中に取り込むようなことはありませんでした。桑山さんは、体が反応するまでに、いろんな方の「死」を取り込んでいらっしゃるのですね。
「人は死んでもなお生きている!」というのは実は…すべての人の心の一番奥底にある希望の種のような一種の信仰です。おそらく「これ」があるから死を乗り越えることができるのでしょうね。「死んでも生きつづける!」この希望が、この想いが実現しないとすれば、これほど不条理なことはないでしょう。この希望は、すでに実現しているのです。おそらく自分も死ねばそのことがはっきりとするのでしょう。
それにしても…今の日本の政治にはまったく期待できない。いつになったら、この愚かさに気づくのでしょうか。今までのいろんなツケが、あらゆる世界にまわってきています。「再生」を信じて…一歩ずつ…。
桑山さんの心が悲鳴を上げている。
それでも使命を果たそうと向き合っている。
何て意志が強いんだろう。
でも、お願いだから頑張り過ぎないでね。
先週、総会の翌日数人でディズニーシーに行きました。台風の影響もあってか人も少くてどのアトラクションも待たずにすみました。どのアトラクションに乗っても、「これは津波を経験したら、乗れないね。」等、何故かアトラクションに乗る旅に震災と結び付けている自分達がいました。確かに 映画って‘死’の場面、結構ありますね。(最近あまり見てないけど…) 今日は子供の中学の時のPTAの本部仲間と飲み会でした。このメンバーだったから、地球のステージを呼べて、ステージを見た先生が子供の頃の夢を思い出し、海外協力隊でアフリカに行かれたんだなぁなんて思いながら、喋り続けました。老眼鏡の話も盛り上がりましたが…
東ティモール、体調崩さない様に。
今、桑山さんは死に直面した人々をサポートしています。つまり混乱の現場に立って毎日死と生の境目を見ているわけです。
人々の「心の再生」に深い情愛を持って対処している桑山さん故に、昨日ご自身で語られていたフラッシュバックがひっかかり一瞬ドキッ!としました。
私は、地球のステージで広島の焼け野原の記録や、ゴミの山で裸足で働く子供の映像などを見ると、終戦直後の自分を思いだして必ずこみ上げるものがあります。何故ならば、自分が生きてきた当時の年代と重なるからです。誰にもそのような一面はあると思います。
だから「いつの間にか、その人の気持ちや情景に同化する方向でベクトルが動いていく」のは理解できます。
でも大丈夫ですよね!「もう駄目だ」とは思わない。この試練をてこに役割意識を持つ。やっぱり強い!!
江里ちゃんの物語、次を期待を込め待っています。
映画。
結構今まで見てたのに、3月11日以降見ていないなぁ~
桑山さんのブログ読んでいて 自分のこころの中で気づいたことが・・・父のこと
私が中学校に入学した年の秋、癌でガリガリになって亡くなった。
病が私から父を奪ったのだ。
たくさんの人が 慰めてくれた。悲しいのは私だけではない。わかっている。
でも いつも あなたたちに 私の気持ちなんかわかるはずがない。と 斜めから見ていたような気がする。。
死を 長~い間受け入れられなかったのだ。今も 封印しているのかも・・・
今充分に幸せでも・・・
死を受け入れるって とっても難しいんだよな~45年たった今も・・・
私事ばかり書いてごめんなさい。
桑山さん東ティモール気をつけて行って来てください。
私たちが先月見せて頂いたのは「カンボジアの地雷の近くの診療所」「ガザ地区の少女たちの海辺の一日」でしたが 独立後の混乱している東ティモールの現在はどうなんでしょうか?
桑山先生の笑顔の中に心身のお疲れを感じてしまいますが 東ティモールの地で新しい再生の物語に出会いこれからお仕事を続けられるための新たなエネルギーとなることを期待しております
気をつけて行ってらしてください
こんな災害の最中でも、東ティモールを忘れないのですね。つねに他人事にしない桑山先生、他人を見つめ自己を見つめてらっしゃる。頭が下がる思いです。
「岳」、よく見にいかれましたね。僕なんかは多くの人の死と接している場合、絶対に選ばない映画です。見る前から、人の遭難、雪崩れ、雪の中の耐乏が映画の中に描かれることが予め分かるからです。自分に悲しみや苦しみがオーバーラップすることが予想できるからです。でも、それを「生きている」からだと受け止め、それを乗り越えようとする、精神科医としての自分へ処方の仕方に納得すると同時に敬意を払うばかりです。
被災地と、世界で一番新しい独立国、東ティモールの人々のためにも頑張ってください。ダン先生にもよろしく(僕はまだ会ったことはありませんが)。
和歌山 中尾
今の東ティモールはもう乾期でしょうか?
今日やっと北部九州は梅雨入り。
今日は曇りで雨は降っていません。
東ティモールの南十字星は見えるでしょうか?
バイロピテのダン先生、アイダにサビーヌ、
みなさんがとても桑山さんを待っていると思います。
やることは山積みでしょうが、
どうぞいい時間をすごしてきて下さい。
いってらっしゃ~い。