東ティモール5日目

今日は朝からベニラレに向かいました。

棚田で有名な景勝地です。中国企業によって「破壊」された重要幹線道からは外れているので、細いけれど舗装されたいつもの東ティモールらしい道をたどって懐かしいベニラレにつきました。今は乾期なので、田んぼに水はなく緑もありません。でも空撮するとその様子が確かに見て取れて良い感じです。

この小さなベニラレの街にカトリックのミッションで有名な教会が運営する小学校、中学校、高校があり、その高校にあたる学校がホテル業務などを教える専門学校になっています。10年もルートインで働いてきた川口洋平さんはそこに配属され、ようやく1ヶ月が過ぎたところでした。

しかし既に学校の先生たちにとてもなじみ、ちゃんと自分の居場所をつくっていらっしゃいました。学校内の寮に暮らしながら、授業に積極的に参加し、初代隊員としてこの学校で何が出来るか模索しているところです。実際に10年もホテル業に従事し、マネージャーという重要な立場での経験を授業の中で活かしているところですが、学校からは日本語や日本文化に触れるようなきっかけを作ってほしいという要望も引き出し、良い感じで活動が始まっていました。

この隊次から二本松訓練所においてテトゥン語を学べるようになって、確実に即戦力につながっていると感じました。

それにしても洋平さんのすごいところは、とても冷静かつ焦りに巻き込まれていないところです。ともすれば赴任した頃から「自分は何を求められているのだろう」「自分は本当に必要とされているんだろうか」という葛藤が始まりやすいのが協力隊ですが、洋平さんをそれを冷静に受け止め、

「最初はみんなそんなものだと思っています。需要は自分で見つけていくものだと自覚しています。」

と大変冷静です。もちろんそんな冷静な日々だけではないけれど、焦っても始まらないと考え、散歩をしては村の人とまずはふれあうことを心がけています。でも一つ笑ったのは、余りにゴミがたくさん落ちているので、自主的にそれを拾っていたら、

「やめなさい、頭がおかしいって思われちゃうよ。」

と止めが入ったことでした。善意でやったこととは言え、たぶんそのゴミを売るんだろうと思われた可能性もあり、どんだけ協力隊はお金に困ってるんじゃ??という誤解につながる寸前だったわけですが、何かを始めるにも一つ一つ、ゆっくりとだと思います。

何より、例え何も出来なくても一人の日本人が意思を持ってこの地に来たことだけでも十分意味のあることだとは思うけれど、なかなかそう思いきれないのも、協力隊の人たちの高いやる気が故なのだと思うところもあり、悩ましいところです。

でも自然体でゆっくりと活動を始めている洋平さん。きっと抱えきれないほどの出逢いと活動の実績を重ねて行くのだろうと思いました。

彼がつくった親子丼。最初はみんな怪訝に見ていましたが、美味しいと分かるとどんどん売れていきました。こんなところも一つの成果だと思うのです。

再会を約束して「破壊された」道をディリに戻りましたが、やはり4時間以上かかりました。一体いつになったらこの主要幹線道バウカウまでの道はまともになるのでしょうか。

それでもとても美しい夕陽が北海岸線に沈んでいきます。人々の生活のためにも、この美しい地域の観光のためにも「道」は大切。一説では「もう3年もあのまま放置されている」という意見もあります。

なんとかならないものでしょうか…。

桑山紀彦

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