東ティモール4日目

今日明日と東ティモールはお休み。でも週末は2018年度1次隊でこちらに著ている観光隊員の川口洋平さんに会いに行くべくアイダ、サビーヌと待ち合わせて、空港に明ちゃんを迎えに行きました。そこでまた逢ったのがPARCIC(パルシック)の伊藤順子さんでした。昨日も大使館のレセプションでは会っているのですが、よほどのご縁なのかまた再会。

順子さんとはもう18年のお付き合いになります。2000年4月から始めたこの東ティモール事業は当時日本のNGOがほとんどいなかったため、またまたディリに拠点を置いていたSHARE、PARCIC(当時はPARC~パルクでした)、そして「地球のステージ」が一つの家を借り、同居していた時代があります。夜になると停電が頻発していたので、みんなでよくトランプをやっていました。特にSHAREの久保さんという駐在の方がナポレオン好きで、僕たちはあっという間に余り知られていないトランプゲーム、ナポレオンの虜になったものです。

その後時代は流れていき、UNTAET(ウンタエット)~国連の暫定統治時代となり国がにわかに活気づいていきました。空港通りになぜか突然「おふくろ」という日本料理屋が出来て、新潟出身のおかみさんは、

「海外は東ティモールが初めてなのよ~」

という豪傑でしたが、2年ほどで閉店となりました。それから再び騒乱に近いような時代が来たりといろいろとありましたが、忘れられないのは2002年5月20日。そう、独立のその日の式典に参加できたことでしょう。駐車場が遠くて歩いて30分はかかりましたが、今まさに目の前で国が独立を宣言するというその場所にいられたことを光栄に思いました。

クリントン大統領や当時の国連事務総長、アナン氏が来たり、占領してきた側~インドネシアのメガワティ大統領がたった4時間だけいたりと話題満載でしたが、翌日21日の東ティモールは静まりかえり、独立の喜びと言うよりもこれから独り立ちしてやっていかなければならない不安の方が大きいように思えました。

そしてその日からも16年の月日が流れました。

順子さんは東ティモール人と結婚し、現在3児の母。一番上はもう13歳になったと聞いてびっくり。これからの東ティモールにずっと根ざしていく人だと思います。時々会いながら自分たちが歩んできた2000年からの日々を確認していきたいと思います。

さて、バウカウに向かいました。

その途中、ほぼ全ての道が「破壊」されていました。もう今ではあの優雅で美しい北海岸線走る国道は姿を消し、バウカウまでのほぼ全ての道の舗装が無理矢理剥がされ拡張され、道の両側はほこりだらけになっていました。

なぜこんなことになってしまったのか。余りにひどい未舗装道路に変わってしまったバウカウまでの道。特にマナトゥトゥからバウカウの間はデコボコがひどく、クルマも壊れるばかりの状況です。道の真ん中にうずたかく積まれた土砂。やがてこれで道のかさを上げるのだろうけれど、邪魔になってクルマもまともに通れません。

残念ながらそのほとんどの仕事を中国企業が担っていました。

彼らのやり方はまさに「日々の生活道路であることは全く眼中に入れず、ただひたすら舗装を剥がし、幅を無理矢理広げ、そこで今年度予算がつきているのかあと次年度予算が来るまで舗装も何もしない。」

すなわち東へ延びる唯一の道、大動脈であることを全く考慮せず、周辺住民の生活や流通のことなど全く眼中に入れず、自分たちのやりたいように工事する。安く請け負っているから途中で資金が尽きてデコボコにしたままほっておいてもう半年というありさまです。

そう、この東ティモールでも中国の覇権主義が台頭しています。その結果東へ延びる唯一の大幹線道路はめちゃめちゃに破壊され、以前は約3時間でつくことの出来たバウカウに、今回は4時間半かかりました。舗装が無理矢理剥がされ拡幅されてオフロードになってしまってからの放置はもう半年になるとのこと。これが中国流「国際協力」の現場なのでしょう。

こんないい加減な道路補修能力でこの東ティモールも大迷惑。今後アフリカに覇権主義を持ち込む鼻息荒い中国は、どんな道をアフリカに作っていくのでしょうか。とにかく感じたことは、日ごろの重要な生活および幹線道路だということを理解しないで、そこで暮らす住民にも歩み寄らないで、ひたすら”良い道にするんだから我慢しろ”という視点で工事しているところがとても残念でした。これでは東部への観光にも大打撃です。もちろん流通にも大きな支障をきたしています。工事に終わり(=完成)が見えないところを、請け負った中国企業や、覇権主義を進める中国政府がどう考えているのでしょうか。きっとそんな中国企業のトップや政府要人は契約だけとっととして、あとは絶対にこの現場には来ないのでしょう。だから現実に何が起きているのか、全く分からない。「人民のことなど関係ない」という中国的視点はここ東ティモールでもはびこっているように思います。

明日、陽が落ちるまでにディリに戻るにはベニラレを14時には出ないといけない。かえって後退してしまっている道路事情。どうすると良いのでしょうか…。

桑山紀彦

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